11/24/2016

テレマン リコーダーソナタ ヘ短調 (TWV41:f1)


テレマンのリコーダーソナタ ヘ短調 (TWV41:f1) を初めて聴いたのはかなり昔のことではっきりしない、確かブリュッヘンの演奏だったような気がする。出だしが雄大でなかなかカッコいい曲と思った。ヤマハの楽譜売り場で偶然この曲を見つけた。 リコーダーと通奏低音のための「4つのソナタ 」ベーレンライター版 だった。演奏することなど考えてもいない、楽譜を見たいだけ、でも購入したのだ。当時はHRCを立ち上げて間もない頃でソナタの演奏なんて実力も環境もなかった。せめてサワリだけでもと思ったが、フラットが4つも並んでいるので恐れをなして、本棚行きとなってしまった。

その後渡辺清美先生のところで、チェンバロやガンバ付きの演奏会にHRCの3兄弟を加えてもらい、(刺身のツマ?)ソナタを演奏する機会ができたのだ。その後細岡師匠も独奏会を始められたのでそちらに参加、シックハルトやヴァルサンティの曲を楽章を落としたりして(表向きは時間の都合、実は指が回らない)演奏させてもらった。
今回も近江楽堂での演奏会が決まり曲目を聞かれた時に、いつかはテレマンをやりたいとの思いがあったので、この曲名を伝えたのだった。「いざとなったらできない楽章を落とせばいい」・・・

リコーダーでは有名な曲らしく多くの奏者が演奏している、私はPamera Thorby などをよく聴く。
 YouTubeで演奏例などを探しているうちに珍しい録音を見つけた。ファゴットでの演奏だ。これが実に名演で惚れ惚れしてしまう。リコーダーの演奏とは趣がちょっと違うけれども表情豊かで気持ちがよい。よほどの名手の演奏だろう。リコーダのお株を取られると心配になるほどだ。・・・ 最近になって楽譜を調べようとペトルッチの楽譜ダウンロードサイトで探すとテレマンのリコーダーソナタの中にこの曲が見つからない。??? さらに捜索範囲を広げて探したらファゴットのソナタで TWV41:f1 を発見した。このサイトではアレンジ譜も載せるからそいう場合もあり得ると自分を納得させるも、なにかスッキリしない。
何か手がかりはないかともう一度ベーレンライターの原譜に戻ってみる。序文がドイツ語なので無視していたのだが、よく見ると半分は英語なのだ。・・テレマンは2週間ごとに音楽レッスンのための刊行物シリーズ "Der getreue Musikmeister"「忠実な音楽の師」を発刊していた。(事業家としての才能も優れていたらしい)その中にいろいろな楽器のための楽譜が載っていて、もちろんリコーダーの楽譜もあるのだがこの曲(TWV41:f1)は低音部記号で書かれファゴットのソナタとして考えられている。しかし最終楽章でテレマンが「このソロはリコーダーで演奏することができる」と書いてあるのだそうだ。・・・・納得・・・曲の出だしの雄大さはファゴットに由来するのだ。テレマンはファゴットのために作曲したのだろう。しかし当時でもファゴットよりリコーダー奏者が圧倒的に多かった。そこで彼は営業上の配慮から「リコーダーでも演奏できる」と書き加えたと想像する。

曲の出自は解ったけれども演奏が進歩したわけではない。演奏が難しい場所がいくつかあり未だ克服できない。テンポを落としてもたもたすると制限時間を超過してしまう

実は演奏日が迫っていて、12月4日 オペラシティ近江楽堂 通奏低音を演奏して下さるチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバの奏者にはすでに楽譜を送ってある。
楽章を省略する案も検討してみたがこれが意外と難しいのだ、第1楽章の"Triste"は短いけれどもこのソナタの看板みたいなもので下ろすことはできない。第2楽章の"Allegro"は長大でおまけにダカーポまである。しかしこの曲の中核をなす部分で省けない。第3楽章"Andante"と第四楽章"Vivace"は短いのだがペアになっているような感じでどちらか一方だけでも外すとバランスが悪くなる。
結局どの楽章も省略できないかも知れない。昨夜はHRCの夜練習だったのだが、私がソナタをヒイヒイ練習しているのを見て、練習を切り上げて会場を私の為に空けてくれた。ありがたいことだ。

こうなるとセロ弾きのゴーシュの心境だが、結果は彼と同じとはいかないだろう。

11/23/2016

バスリコーダー専用ストラップ


以前EWI の為のストラップを作るblogを書いた。バスリコーダーにも欲しかったが、私の首は一つしか無いわけで、EWIのストラップに延長リードを取り付けて使用していた。しかし最近バスリコーダーを使用する機会も多くなったので、専用のストラップを作ることにした。
前回も使用したBIRD STRAPの方式はデザイン使用感共に優れているので、今回もBIRD STRAP用のVプレートを使用。
首に当たるパッドの部分は、前回は合成皮革のパッドを流用したが、材料が古くかつ力が加わったためだろう表皮と本体部分が剥がれてしまった。この部分丈夫な皮革とハトメ加工が必要になる、しかし皮革は比較的高価なため端切れ品などを購入することになるが、厚さや強度が一定せず、それに見合うサイズのハトメを加工するのは敷居が高い。そのため今回はストラップの構造を変更してみた。

変更点
楽器の重量をロープだけではなく、皮パッドにも受け持たせている。そのため皮パッドは引っ張り強度も高くなくてはならず、ロープとの接続点(2ヶ所)も不安の種となる。
それならば構造を少し変更して皮パッドに力がかからぬ様、楽器の重量を支えるのはロープに任せ、皮パッドは首へのクッションのみ受け持たせる。
構造としては皮パッドに結びつけていた部分のロープをさらに15cmほど延長し、左右のロープどうしで結ぶ、本結びなどが良いと思う。皮パッドは孔を何個か開けてロープを通しておけば楽器の重量を支える張力はかからないが、クッションの役割は果たすことができる。今回は皮を使用せず30mm幅のナイロンベルトを使用してみた。バスリコーダーの重量はそれほど大きくないので、これでも十分使用に耐え費用も安価である。
ナイロンベルトの加工写真を示すが、サイズなどは概寸であり厳密な数値ではない、皮革を使用する場合は両端ハトメ仕上げも可能だが、今回の構造も悪くないと思う。安全性は高まり、ロープ全長の調整も楽である。

ロープの長さ

ストラップは伸縮できるが、適正位置にVプレートが来るようにあらかじめロープの長さを決めておく必要がある。参考までに今回作成したストラップのサイズを示す

ナイロンベルトの先端から楽器取り付用のナスカンの先端まで300mm、Vプレートの位置をパッドの先端から50mmとする。長さを計ることが可能な部位はA部とB部、
A部に必要な長さは190mm×4=760mm
B部に必要な長さは 50mm×2=100mm   合計 860mm
実は今回使用したロープの全長が1500mmであることは確認してあるので、
両者の差  1500mm-860mm=640mm  
この640mmの内訳は(Vプレート内を横に通している部分、パッドに沿わせている部分、結び目部分、折り曲げなどによるロス部分)などであり、同寸法のVプレート、パッドを使う限り固定で変化がない。したがって必要なロープの長さを計算することができる。ロープの全長を L として、A部、B部の長さを決めれば下記で求められる。
L=A×4+B×2+640mm 

ナイロンベルトのパッド
写真にて概寸を示す。ベルトを所定の長さにカットしたら両端の角を丸く切断する、そのままだと繊維がどんどん解けてくるので、ガスコンロなどの炎にサッと通す。繊維の先端がわずかに溶けて溶着する。溶けすぎると固まって硬くなってしまうのであくまでサッと。
孔は熱した千枚通しの様なもので、3.5φ程度の穴を溶かして開ける

Vプレートその他
厚いアルミ板を加工して自作も可能だが、手間を考えれば部品として購入がおすすめ。
新大久保のクロサワ楽器で2100円で入手した。色もいろいろ選べる。今回は全体を細く作った新型があったのでそれを使用してみた。孔位置は同じなので機能上は変化ないが見た目がかなりスマートで洗練されている。3mmロープ、30mm巾ナイロンベルト、小型ナスカンは東急ハンズ  ロープは70円/m ,ナイロンベルトは230円/m程度入手できる。小型ナスカンは100円ショップの携帯ストラップに使用されていたりするので探してみる価値はある。 

Vプレートだけではなく、カラフルなロープも市販されているので、いろいろ工夫してみることもできる。よく考えてみるとリコーダーでストラップが楽しめるのはバスリコーダーだけなのだ。

楽器に付属してきたストラップを義務的に使っているのはダサいですよ。

10/08/2016

Vivaldi L'estro Armonico (調和の霊感)

前日の練習風景

学生時代マンドリンクラブに所属していた。9月にクラブのOBOG会があり、そこでの演奏を依頼されたので同期の有志で演奏することになった。40ウン年前の卒業だからもう半世紀に近いが、卒業後も演奏活動を続けている仲間が多いのだ。しかし練習するにも、それぞれの演奏活動でいそがしく、遠方に住んでいる仲間もいるので、練習のために集まれるのは本番前日の一回ぐらいしか出来ない。選曲は私に任されたので、 Vivaldi  L'estro Armonico (調和の霊感)No.6 第一楽章  
有名なヴァイオリン協奏曲だが、ヴァイオリンのパートをリコーダー2本で分担して演奏するアレンジがあったので使用させてもらった( 積志リコーダークラブ編曲)リコーダー1本だとソロ ヴァイオリンと第一ヴァイオリンを兼ねることになり、とんでもなく忙しいが、2本で分担するとかなり楽になる。ただそれだと solo と tuttiの区別がつきにくく、ヴィヴァルディの協奏曲らしくないので、マンドリンに加わってもらいtutti を形成する。チェロはチェロの楽譜そのままだが、本来はコントラバスもあるので、奏者の判断で部分的に1オクターブ下げた演奏もアリ。


練習の足しになるかと、私のリコーダー演奏にメトロノームを加えた音源を作り、MP3でみんなに送付したけれど再生できたのは1人のみ、(全員工学系なので問題なしと考えた私が甘かった。年齢を考えるべきだった。)
しかし心配した前日練習も特に問題なく仕上がり、響の良い部屋のせいか、かなりうまい演奏に聞こえる。多分皆さん練習したのだろう。
ヴィヴァルディの指揮する「ピエタの娘たち」は、かなりの速さで見事に演奏したと思われるが、我々はちょっとゆっくり、でも名曲だから十分に楽しめる。

本番前のリハーサルでは私が珍しく「あがって」しまい、早いパッセージで指がもつれたり、息が苦しくなったりして心配したが、本番では少し落ち着きを取り戻し、なんとか演奏できた。お世辞が混じるにしても「演奏良かったよ」と声をかけて下さる方が何人かいたし、演奏者達も「楽しく演奏できた」と言ってくれたのでとりあえず成功かな。
あとで録音も聴けたけれどちょっと貧相な音でがっかり、でも録音方法を工夫すればもう少しマシな演奏になるはず。

今回は選曲が良かったと思われる「ヴィヴァルディ様様」だ。

Vivaldi  L'estro Armonico  ル エストロ・アルモニコ(調和の霊感)
ピエタ慈善院の合奏団を指導しながら試行錯誤を重ねたヴィヴァルディがその結果をヨーロッパ全体に問うた最初のコンチェルト集で、大きな反響を呼び、バッハも編曲して研究している

<ピエタ慈善院の合奏団とヴィヴァルディの関係を引用しておきます>
「多少とも新鮮な感覚が鈍り、すぐにあら探しをする職業音楽家ではなく、熱心さと好奇心に富んだ若い生徒たちが主体となっているこの音楽家の集団が、ヴィヴァルディの指導に対して、いかに敏感な反応を示したかは想像に難くないが、この若い敏感な感受性を持つ音楽家たちに、ヴィヴァルディの人間性は完全な影響力を持っていたのである。この点においては、ケーテンにおける大バッハや、エステルハーツィーにおけるハイドンよりも彼はずっと恵まれていた。彼は時間の制限や、頑固な演奏家や、”演奏家労働組合”の厳格な規則にふりまわされずに、オーケストラの扱い方や、合奏上の問題などについて経験を積み、ゆっくり研究を進めることができたのである。」
【マルク・パンシェルル著 ヴィヴァルディ 生涯と作品 早川正昭/桂誠 音楽の友社】


7/31/2016

中国でヴァイオリンを演奏する羽目になり大恥



前回のブログ「G線上のアリア」でヴァイオリンのことを書いたが、私は中国でヴァイオリンで大恥をかいたことがある。

私の現役時代の後半は中国と日本を頻繁に行き来していたことがあった。そんな時代の失敗談である。
私自身も中国と関係を持ち始めた初期の頃で、会話もニイハオ(今日は)、シエシェ(ありがとう)ハオツー(おいしい)程度しかできない。職場も自前の工場ではなく、5階建てのオンボロビルの一階と4階を借りて操業していた。場所は深圳と言っても特別区ではなく、宝安(バオアン)地区、古い町並みは残っているがホテルやデパートもある。滞在期間は毎回1〜2週間だったが、土日の休日もあり、そんな時はマクドナルドを食べに行ったりしたものだ。本屋も見つけ何回か店に通った。もちろん本は読めないのだが、興味深かったので。珍しいと思ったのは床に座って本を読んでいる人が、何人かいたこと。床はコンクリートだし、外から土足で入ってくるわけで、それほど綺麗にしてあるわけでもない。椅子も無いし、ゴザもない、そんな場所に当然な様子で”あぐら”をかいて読んでいるのをみて、日本では”立ち読み”だけれどこちらでは”座り読み”なんだ! と妙に感動したことがある。もっともその後職場が引っ越して珠海になった時、洪北(ゴンベイ)の地下にある大きな書店では床に座る人は見かけなかったから、例外的な特殊ケースだったのかもしれない。

話が横にそれてしまった、その本屋の隣が楽器屋だったのだ。楽器屋は探していたのだが、なかなか見つからない、灯台下暗しである。間口が狭く地味だったので見つけにくかったのかもしれない。入ってみると奥は広くピアノやオルガンも置いてある、壁にヴァイオリンを下げたコーナーもあった。珍しいのでそばに寄って見る。高級感はなし、どれも中国の職人さんが作ったものだろう。幾つか変わった形の楽器があった。胴の肩がガンバのように”なで肩”なのだ。コントラバスの”なで肩”を思い出してもよい。しかし弦は4本だしフィレットはない。とりあえずヴァイオリンなのだ。胴体の裏板はヴァイオリンのような膨らみがなく、平らな一枚板、それに肖像画が刻印してあるものまである。それにその肖像は見覚えがあるような気がする。指先で触ってほり具合を確かめていると「ベードーフエン」と後ろから声がかかった。なるほどベートーヴェンなら 見覚えがあるのももっともだ。
しかしガンバ風ヴァイオリンでベートーヴェンの肖像とは実にちぐはぐ。

振り向くと店員が立っていた。ヴァイオリンの弓を持ってきてくれたのだ。ニコニコしながら手渡してくれた。手渡し方が慇懃すぎる気がして、ちょっと気になったが、音を出してもよいということだ。試してみよう。一番ヴァイオリンぽい楽器を取り上げ、弦を弾いてみると案の定音程はバラバラ、近くにピアノがないので、A線を適当に合わせた。後はAとE、AとD、DとG線を重音で合わせた。ヴァイオリンニスト達がよくやる方法だが、その時はそれしか方法が無かったので、見よう見まねでやっただけ。
とりあえず調弦終りということで後ろに振り向きかけたら、突然パチパチと拍手が起こった。見ると5〜6人の店員とかお客らしい人達がこちらに向かって拍手をしている。また間の悪いことに店内の床に段差があり、私の立っている場所は階段で2段ほど高くなっているので、小さな舞台に上がっているような感じなのだ。
「違う違う!音を出してみたいだけだ」と言いたいが、言葉がわからん!、お客たちは期待感を持った目で見上げている。弓を持ってきてくれた店員を探すも見つからない。エイ!音階でも鳴らしてみよう。下手さがわかって許してもらえるだろう。

ぎこちなく音階を鳴らしてみた。駒の高さと指板の位置がおかしいので音が出しずらいのだ。楽器を横の台の上に置こうとすると、怒鳴り声が聞こえる。よくわからないが「途中で止めるな!」と言っているようだ。そしてまた拍手。ここまできたらもう仕方がない、とにかく弾いてみよう。バッハのメヌエット、半世紀ほど前に練習した曲だが、なんとか弾けるのが不思議、しかし音程などフラフラ、音色うんぬんなどおこがましい、ギーギギギギ  ガーガーガー  ビービビビビ ズーズーズー   「こりゃダメだ思ったよりヒドイ」下手は当然として楽器もひどいのだ。しかし言い訳するにも中国語の壁、これはもう脱出するしかない。楽器を横の台に置き、出口へ向かって一目散、お客さんたちは呆気にとられているようだが、そんなのかまっているヒマはない、脱出成功、そのまま20メートルほど先の交差点付近で止まった。

「誰も追いかけてこない」そんなの当たり前! 汗が噴き出してくる。初夏の宝安は気温も湿度も高いのだ。その店へはその後半年ぐらいは恥ずかしくて行くことができなかった。中国語さえできればこんな事にはならなかっただろう。今想い出すだけでも顔が赤くなってしまう。
宝安の商店街

7/21/2016

G線上のアリア

G線上のアリア
数年前HRCでもこの曲を演奏したことがある。
周りの部員たちは平気で「G線上のアリア」と呼んでいた、それも「ジー線上の・・・」と
私はこれには納得できなくって、
バッハは「G線上のアリア」など作曲していない!管弦楽組曲第3番のエアだ!などと踏ん張るのだが多勢に無勢、簡単に押し切られてしまうのだった。
これは音楽後進国の日本だけの現象で、本場ヨーロッパではちゃんとした名前で呼んでいるさ。と思っていた。 
アリアは言語によって多少変化する アリア(伊)、エア、アリア(英) エール(仏) アリエ(独) (歌 旋律の意味) まあこれはよしとしよう。不満もあるけれど。
問題は「G線上・・」である
バッハ管弦楽組曲第3番 Air の冒頭部分 <楽譜1>

なぜそのような呼び方が生まれたのか。すでにご存知と思いますが、まとめてみます。
バッハはライプツィッヒの聖トマス教会のカントールという要職に就く前は、ケーテン公に仕えていた。
そこには小さいながらも有能なオーケストラがあり、バッハはそれに合わせて色々な器楽曲を作曲した。ブランデンブルグ協奏曲や管弦楽組曲のシリーズなど。管弦楽組曲第3番はオーボエやトランペットを混じえたオーケストラが、賑々しく序曲を演奏した後、エア、ガヴォット、ブーレ、ジーグなどが演奏される。ところがこの「エア」が絶品で、最初の1小節で低音の弦楽器達が8分音符でゆっくり8つの音を刻み、ヴァイオリンが"Fis"の音を8拍分伸ばしているだけでもうこの曲の魅力に引き込まれてしまう。<楽譜1>参照

バッハもこの曲の優秀さは十分自信があったのだろう。騒々しい序曲の直後にわざと配置して弦楽合奏だけで美しさを際立たせている。見事な演出と言える。
G線上のアリア 冒頭部分 <楽譜2>

ドイツのヴァイオリンニスト ヴィルヘルミはこの「エア」の存在は知っていたが、管弦楽組曲自体がほとんど演奏される機会はなかったのだ。彼はこの曲をピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏曲に編曲することにした。原曲では弦楽合奏なので中低音はヴィオラやチェロに任せ、ヴァイオリンは比較的高音部を担当している。独奏曲に編曲するにあたり、ヴァイオリンの中低音の魅力を引き出すべく、ニ長調からハ長調に変更した、一音だけ下げたのではなく、ドーンと1オクターブと1音下げたのだ。これ以上は下げられない限界値だ。結果この曲の最低音がヴァイオリンの最低音G線の開放音と一致した。これで独奏ヴァイオリンの中低音の魅力も演出できる。
この音域の引き下げは副産物も生み出した。曲の最低音を弦の最低音と一致させた事により、曲の最高音(B)もそれほど無理することもなく同一の弦で鳴らすことができる。つまりG線だけでこの曲を演奏することが可能となったのだ。「G線上のアリア」の誕生
掲載の<楽譜2>でもスタートの音はG線を一番の指(人差し指)でEの音を出す指定がある。それ以外の音にも適時運指が指定してあり。指示通りに演奏すれば、G線だけで演奏可能となる。
(もちろん他の弦を併用する演奏者も有ると思う)
ここではっきりしておかなければいけない点は、両者は全く別の曲になったという事。

バッハの原曲は多声部の弦楽合奏、  トップのヴァイオリンⅠは目立つかもしれないが、他のパートだってそれぞれ重要な動きをしつつ、全体として繊細なあや織のように進行してゆく。ヴイルへルミの編曲では、ヴァイオリンの独奏曲だからヴァイオリンⅠの旋律線は受け継がれているが、1オクターブ以上音が下げられ、音色がすっかり変わると同時に、演奏者の個性が色濃く反映され、ヴァイオリンⅠ以外の他のパートは、ピアノパートに取り込まれてはいるが、生き生きと動き回ることはなく、伴奏の一部として背景に押しやられているのだ。

素晴らしい曲にもかかわらず、管弦楽組曲として演奏される機会は滅多になかったが、ヴィルヘルミの編曲により単独で演奏される機会が増えた。当初は「G線上のアリア」で問題なかったが、次第に他の楽器での演奏も増え「G線上の・・」も意味なく受け継がれてしまった。
 曲名が大ヒットしたのだ。
以来 ピアノで演奏しても「G線上のアリア」と呼ぶようになった。
他の曲では「愛のメヌエット」、「恋のコンチェルト」・・のような愛称も使われているからその使い方に準ずるとも言えるが、私的には「バッハのアリア」なんていかがでしょう。もう手遅れだけれども。

では海外ではどのように呼んでいるのだろうYouTube で調べてみた。
Air on G string 
なんだ!「G 線上の・・・」じゃないか。「G線上のエア」日本だけの現象ではなかったのだ。
YouTube で"Air on G string" を検索してみると100件以上ヒットする。
しかしその中で本物のAir on G stringと呼べるものは数件しかない。
ヴァイオリン独奏で最低音G線の開放を使用する演奏は現役奏者の動画では2件、伝説上の名人がモノクロスチール写真とパチパチSP音で登場する「化石演奏」が2件ほど、かなり苦労して探してこれだけ、しかしこの4曲だけは『G線上のアリア」と呼んでも誰も文句はない。
ヴァイオリンの独奏でも最近の演奏は高い音(多分原曲のニ長調)で演奏していることがほとんどで、音の好みが変化してきた結果と思うが、多分G線は一度も使わないのに「G線上のアリア」詐欺じゃあないの。
ピアノ、トランペット、フルート、オルガンなどG線など関係ないのに「G線上の・・」

ヴァイオリンの独奏やピアノ演奏では「G線上の・・・」でもとりあえず我慢しよう。

一番ひどいのが管弦楽組曲第3番を紹介する目的で、代表して「エア」の部分だけ取り上げる場合まで、「G線上の・・・」と紹介している。バッハが聞いたら怒りますよ。


ここに至れば
私なんぞが流れに逆らってもどうしようもない。「ジー線上のアリア」でいきましょう。

上記で紹介した中でチョン・キョンファの演奏は、まさに正統派「G線上のアリア」と言える。ヴァイオリンの低い音を鳴らしきるためにいろいろ工夫をしている。
本当にG線だけなのか、他の線も併用しているのか確認したくて動画と楽譜の運指を比べてみたのだ。細部での差異はあったが、それほど問題ではない、驚いたのは最低音のG線を鳴らす時だ、単純に開放されたG線を弓で弾けば良いのに、隣のD線を押さえてヴィブラートをかけているように見える。初めは意味が分からなくて困惑したが、わかった! D線で1オクターブ上のGを押さえているのだ。
最低音のGが鳴れば、それに隣接しているD線のGも共鳴する。音は両者の合成音として放射されるわけだが、彼女はそのD線のGに強烈にヴィブラートをかけて全体の音色をコントロールしていたのだ。
ヴァイオリン奏者にとっては当たり前のテクニックかも知れないが、私にとっては驚きの発見でした。




番外編  
中国 珠海市に仕事で滞在していた時のこと、休日などはCD屋を回ったりしたものだ。
屋台のようなCD屋ならともかく、きちんとした店でも半分以上は海賊版のような気がする。
麗々しく(版権所有)などと書いた金色のラベルがわざわざ貼って



あるのもかえって怪しい。

そんな店でリコーダーのようなジャケットのCDをみつけた、やはり海賊版?、リコーダーとキーボードで演奏したHI FI RECORDERS「牧童笛」と称するアルバムなのだ。CDジャケットを確認してみた。色々ポピュラーな曲が入っている。見ていると日本語のカタカナは非常に便利な道具だ、15.MY WAY はマイ ウエイ とすれば何とかなるが、中国語では強引に翻訳するしかない、「我的道路」(私の道路)ちょっと意味がズレている?

この中に「G線上の・・・」がある「19. Air(J.S.Bach) 空気」   "Air"はわかる、むしろ正しい。原盤にはそのように表示してあったのだろう。"on G string" は省いてある。バッハの指示通りだ。しかし中国語への翻訳は”空気”??? これでは意味不明、直訳すぎる!全く音楽を解さない海賊がやったのだろう。

7/09/2016

第38回昼下がりのコンサート終了

昼下がりのコンサート終了 6月26日 
会場はいつもの「ポーポーの木」
ぼんやりしていたら1週間以上も過ぎてしまった。


管弦楽組曲第2番 BWV1067より・・・・J.S.バッハ 
(ロンド ブーレ ポロネーズ バディネリ)
「調和の霊感」Op.3 No.6 (RV356)・・ A.ヴィヴァルディ
愛の挨拶・・・・ E. エルガー
チュウチュウトレイン・・・  J.ケアリー
雨に歌えば・・・N.H.ブラウン
雨のブルース・・・服部良一
空よ・・・・難波寛臣
学生時代・・・・平岡精二
雨のメドレー・・・編曲 高梨征治 
(雨降りお月さん、雨上がり、雨降りくまの子、雨降り、夏は来ぬ) 

バッハ 管弦楽組曲第2番 
(ロンド ブーレ ポロネーズ バディネリ)
バッハ   ケーテン時代の作と思われるが、よほど上手いフルートトラベルソの奏者がいたのでしょうね。
これをリコーダー四重奏で演奏した。編曲は・・・北御門氏
これはトップパートを各部員入れ替えて演奏してみた。どの曲を選ぶかは「早い者勝ち」笑!
普段あまりやったことがないパートもおもしろいのではないか。
トップパートの演奏者が替わるので気がついたのだが、似たような曲が並んでいると思っていたけれども、そんなことはない、
各自苦労しながら演奏しているのを聴いていると、それぞれの曲の特徴というかクセが見えて来た。どの曲も個性的ですね。全体としてはまずまずの仕上がりだったと思う。
私はバディネリの担当、例の♫「あっちもこっちも勝手でしょ・・」わかりますか?
ちょっと気負いすぎて高音が出なかった箇所があった。もう少し速度を落として、曲の細かいニュアンスもしっかり演奏できれば、無理に速度を上げる必要はないのだけれど、そこが難しいところ。

ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲「調和の霊感」第一楽章  ・・・L'Estro Armonico Op.3 No.6 (RV356)
昔と言っても半世紀以上前のことだが、この曲を練習したことがある。小学校4〜5年だった。NHKラジオで「声くらべ腕くらべ子供音楽会」という番組があり、ヴァイオリンで出場する子供はほとんどこの曲を演奏していた。ヴィヴァルディの曲では「四季」も有名だが、この曲も題名こそ取っ付きにくいが、演奏を聴けばすぐに、アッあの曲だ!とわかる。

積志リコーダークラブの公開楽譜の中にこの曲を見つけた。Soloパートは難しさを分散させるためアルト2本で演奏する編曲だ。
途中も一部省略してあったり、音の高さも考慮してあるので、少し練習すれば演奏できそうだ。さすが積志! 使わせてもらいました。

細かい音の動きはヴァイオリン特有の動きであることがよく分かる。リコーダーでは突っ走るような演奏ではなく、ちょっと落ち着いた演奏の予定だったが、本番では少し緊張したせいか速度が上がってしまった。臨時記号を出し損ねたり、16分音符できざみながら上がって行く箇所で指がもつれたり、でも演奏は楽しく達成感がありました。

愛の挨拶 エルガー
この楽譜も積志リコーダークラブの楽譜を使用させてもらいました。
活躍する場がトップパートだけではなく、他のパートにも振ってある。演奏していて充実感のある音で満足、お客さんの受けも良かった。

リハーサル中 手前のトラベルソは実際には使用していない

雨に歌えば、雨のブルース クラリネット ギター伴奏
Tさんのクラリネットは迫力十分。
ご本人の話では車の中に楽器を一晩放置したとかで今回楽器の鳴りが少し悪かったそうだが、聴いていて全くわからなかった。
長年プロとしてこの楽器に関わっているから、多少の問題は乗り越えてしまうのだろう。
クラリネットはリコーダーよりも圧倒的に個性が強い。 当然拍手喝采

リコーダー合奏に戻り
「学生時代」 「空よ」 「童謡メドレー」
いづれもTさんの編曲、私はアルトでトップパートを演奏したが、歌謡曲をメリハリをつけて演奏するのはかなり難しい。
「夏はきぬ」を会場全体で歌って終了

今回の演奏は充実感は充分だったが、疲れました。


次回は9月25日を予定している。

6/04/2016

ドルニエ228

稲城市に住んでいる。多摩川を挟んで調布市があり、休日などは調布飛行場を離着陸するのであろう小型のプロペラ機をよく見かける。そんな中で双発のプロペラ機が飛行しているのがちょっと気になっていた。
小型の単発機は何種類か飛行しているのだろうが、機体の種類を見分けるほど気にはしていない。
しかし、双発のプロペラ機に注目していたのは訳があった。ものすごくダサい機体だったから。
なぜダサいか、それは主翼の形にあった。
Dornier 228

これは私のかってな思い込みだろうが、空気中にピシリと伸ばした主翼は大空を飛びたいとの機体の意思そのものであると思うのだ。設計者も当然その事を考慮して設計するはず。
ところがその双発機は申し訳なさそうに貧相な翼を左右に伸ばしているのだ。必要以上に自分を卑下しオドオド生きている人物に似ている。
しかしそんな貧相な外見にも関わらず、しょっちゅう見かけるのは、コストパフォーマンスなどそれなりに優れた点もあるのだろう・・・などと考えていた。
機種名を知りたいとの思いはあったが、かっこいいならともかく貧相では、わざわざ調べる気も起こらない。
ところがひと月ほど前、新聞を読んでいたら「双発機エンジン不調で引き返す、調布飛行場」のような小さな見出しを見つけた。通常なら見過ごす記事だが、例の双発機だろうとピーンと感じたのだ。記事では、調布飛行場を離陸した双発機が途中で片側のエンジン不具合の警告ランプが点灯したので、引き返した、乗客乗員は無事であるとのこと。機種名を読んで目が釘付けになった。ドルニエ228  なに! ドルニエ! 
ドルニエ社と言えば、かのツエッペリン飛行船の設計にも関わったドイツの老舗だ。そんな名称がまだ生きていたとは!
ドルニエ社は航空機史上空前絶後の珍機種を作っているのだ。

巨大飛行艇 ドルニエ  DoX  (Dornier DoX)
飛行艇と言うより、客船に強引に翼を取り付け、強力なエンジンを乗せられるだけ乗せたように見える(12基)。当時のエンジンはそれほどパワーが無くかつ不安定であり、機体の材料にしても現在のように軽くて強い材料が揃っていたわけではない。ダイニングルームや寝室付の豪華飛行艇などと言っても結局重量オーバーで、高度100m程度(あるいはそれ以下)しか上昇できなかったらしい。初飛行は1929年10月となっている。169人を乗せて試験飛行した記録があり、掲載の写真はその時の記念写真と思われるが、正装した紳士淑女たちが写っている。こんな危なっかしい機体によく乗る気になったものだとその勇気に感心するしかない。またアメリカへの飛行も試みられ、途中故障故障の連続で、結局到着まで9ヶ月を要したとのこと。
3機製作され2機はイタリアへ納品されたそうだが、こんな機体イタリアでも扱いかねたのではないだろうか、特に記録は残っていないらしい。
Dornier DoX


豪華とスピードを競っていた旅客船のアメリカ行路でのタイタニック号の事故(1912)から10年以上が経過し
ツエッペリン飛行船での行路も開設されて、豪華さは飛行船でも引き継がれていた。
そこへ割って入った航空機ドルニエDoX 豪華さは必然と考えてこのような仕様になったのだろう。巨大飛行艇の誕生、そこがボタンの掛け違いの始まり、本来なら豪華は捨てて簡素とし、スピードと安全を目指すべきだったのだ。
飛行船は豪華ヒンデンブルグ号が爆発炎上する事故(1937)以来運行は中止された。

その後ドルニエ社は競争の激しいこの世界にあって合併や吸収の洗礼を受けるも老舗ドルニエの名前だけはしぶとく生き残ってきたが、ついに倒産、会社名としては消えてしまったが、ドルニエ228の性能を惜しむ声に押されてRUAGエアロスペース社による生産が復活した。
この機体の最大の売りは短距離での離着陸が可能であることであり、それは特許の層流翼(TNT翼)に負っているとのことだ。

休日にベランダで洗濯物を干していたら双発機の機影が見えた。ドルニエ228だ! 新島ー調布の往復に使われているらしい。例の主翼だがドルニエ社の伝統と技術の結晶で「あれが層流翼なんだ」と思えば感慨も湧いてくるし、何と言っても巨人機ドルニエDoXの末裔なのだ。・・・でもやっぱりダサイなあ。

追加、リコーダー吹きとしてはこのまま話を終るわけにはいかない、
ドルニエDoX の初飛行(1929)の3年ほど前、
ドイツ人の弦楽器製作者ペーター・ハルランがイギリスのアーノルド・ドルメッチのリコーダーを見て、独自の運指(ドイツ式)で大量生産を始めたのが1926年、

その大衆性がナチスの注目することとなり多くの行進曲がヒトラーユーゲント鼓笛隊の為編曲された。ベルリンオリンピック(1936)ではカールオルフ作曲のリコーダーと打楽器による演奏でマスゲームが繰り広げられた。・・・この件に関しては別項で書く予定です。

5/17/2016

ケーナの音,色っぽい

先日はフォルクローレの練習日、月一回のペ-スなのでなかなか上達しないのだ。

今回の練習曲はCunumicita 「クヌミシ-タ」とLlaqui Runa「悲しい人」、どちらも過去に演奏しているので、多少の余裕はある。
それにちょっと久しぶりではあるが、I さんが加わって経験豊富なギターでしっかり支えてくれているのだ。安心できるのか私のケ-ナも良く鳴ってくれる。

練習の途切れたところで I さんが「ケ-ナの音良いですね」思いがけず褒められて「いやそれほどでも」などと言っていると歌の担当者から「今日のケ-ナは色っぽいのよネー」などと声が掛かる。

 色っぽさを狙って演奏しているわけではないけれども、少し余裕が出来てきたので ,歌手の口を見ながら歌に寄り添い、2番ケ-ナのハモりにはしっかり乗っかり、抑えるべき場所は抑え出るべき場所では多少リズムを崩しながらしゃしゃり出る、まだ不完全ではあるが、そんな演奏を「色っぽい」と感じてもらえるなら嬉しくなってしまう。

おだてられれば木にも登りますよ。多摩川原での練習を再開しますかね。
ケーナとリコーダー、アプローチはかなり異なるが、最終目標は一致するのかも知れない。

Llaqui Runa | Musica Andina,