7/21/2016

G線上のアリア

G線上のアリア
数年前HRCでもこの曲を演奏したことがある。
周りの部員たちは平気で「G線上のアリア」と呼んでいた、それも「ジー線上の・・・」と
私はこれには納得できなくって、
バッハは「G線上のアリア」など作曲していない!管弦楽組曲第3番のエアだ!などと踏ん張るのだが多勢に無勢、簡単に押し切られてしまうのだった。
これは音楽後進国の日本だけの現象で、本場ヨーロッパではちゃんとした名前で呼んでいるさ。と思っていた。 
アリアは言語によって多少変化する アリア(伊)、エア、アリア(英) エール(仏) アリエ(独) (歌 旋律の意味) まあこれはよしとしよう。不満もあるけれど。
問題は「G線上・・」である
バッハ管弦楽組曲第3番 Air の冒頭部分 <楽譜1>

なぜそのような呼び方が生まれたのか。すでにご存知と思いますが、まとめてみます。
バッハはライプツィッヒの聖トマス教会のカントールという要職に就く前は、ケーテン公に仕えていた。
そこには小さいながらも有能なオーケストラがあり、バッハはそれに合わせて色々な器楽曲を作曲した。ブランデンブルグ協奏曲や管弦楽組曲のシリーズなど。管弦楽組曲第3番はオーボエやトランペットを混じえたオーケストラが、賑々しく序曲を演奏した後、エア、ガヴォット、ブーレ、ジーグなどが演奏される。ところがこの「エア」が絶品で、最初の1小節で低音の弦楽器達が8分音符でゆっくり8つの音を刻み、ヴァイオリンが"Fis"の音を8拍分伸ばしているだけでもうこの曲の魅力に引き込まれてしまう。<楽譜1>参照

バッハもこの曲の優秀さは十分自信があったのだろう。騒々しい序曲の直後にわざと配置して弦楽合奏だけで美しさを際立たせている。見事な演出と言える。
G線上のアリア 冒頭部分 <楽譜2>

ドイツのヴァイオリンニスト ヴィルヘルミはこの「エア」の存在は知っていたが、管弦楽組曲自体がほとんど演奏される機会はなかったのだ。彼はこの曲をピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏曲に編曲することにした。原曲では弦楽合奏なので中低音はヴィオラやチェロに任せ、ヴァイオリンは比較的高音部を担当している。独奏曲に編曲するにあたり、ヴァイオリンの中低音の魅力を引き出すべく、ニ長調からハ長調に変更した、一音だけ下げたのではなく、ドーンと1オクターブと1音下げたのだ。これ以上は下げられない限界値だ。結果この曲の最低音がヴァイオリンの最低音G線の開放音と一致した。これで独奏ヴァイオリンの中低音の魅力も演出できる。
この音域の引き下げは副産物も生み出した。曲の最低音を弦の最低音と一致させた事により、曲の最高音(B)もそれほど無理することもなく同一の弦で鳴らすことができる。つまりG線だけでこの曲を演奏することが可能となったのだ。「G線上のアリア」の誕生
掲載の<楽譜2>でもスタートの音はG線を一番の指(人差し指)でEの音を出す指定がある。それ以外の音にも適時運指が指定してあり。指示通りに演奏すれば、G線だけで演奏可能となる。
(もちろん他の弦を併用する演奏者も有ると思う)
ここではっきりしておかなければいけない点は、両者は全く別の曲になったという事。

バッハの原曲は多声部の弦楽合奏、  トップのヴァイオリンⅠは目立つかもしれないが、他のパートだってそれぞれ重要な動きをしつつ、全体として繊細なあや織のように進行してゆく。ヴイルへルミの編曲では、ヴァイオリンの独奏曲だからヴァイオリンⅠの旋律線は受け継がれているが、1オクターブ以上音が下げられ、音色がすっかり変わると同時に、演奏者の個性が色濃く反映され、ヴァイオリンⅠ以外の他のパートは、ピアノパートに取り込まれてはいるが、生き生きと動き回ることはなく、伴奏の一部として背景に押しやられているのだ。

素晴らしい曲にもかかわらず、管弦楽組曲として演奏される機会は滅多になかったが、ヴィルヘルミの編曲により単独で演奏される機会が増えた。当初は「G線上のアリア」で問題なかったが、次第に他の楽器での演奏も増え「G線上の・・」も意味なく受け継がれてしまった。
 曲名が大ヒットしたのだ。
以来 ピアノで演奏しても「G線上のアリア」と呼ぶようになった。
他の曲では「愛のメヌエット」、「恋のコンチェルト」・・のような愛称も使われているからその使い方に準ずるとも言えるが、私的には「バッハのアリア」なんていかがでしょう。もう手遅れだけれども。

では海外ではどのように呼んでいるのだろうYouTube で調べてみた。
Air on G string 
なんだ!「G 線上の・・・」じゃないか。「G線上のエア」日本だけの現象ではなかったのだ。
YouTube で"Air on G string" を検索してみると100件以上ヒットする。
しかしその中で本物のAir on G stringと呼べるものは数件しかない。
ヴァイオリン独奏で最低音G線の開放を使用する演奏は現役奏者の動画では2件、伝説上の名人がモノクロスチール写真とパチパチSP音で登場する「化石演奏」が2件ほど、かなり苦労して探してこれだけ、しかしこの4曲だけは『G線上のアリア」と呼んでも誰も文句はない。
ヴァイオリンの独奏でも最近の演奏は高い音(多分原曲のニ長調)で演奏していることがほとんどで、音の好みが変化してきた結果と思うが、多分G線は一度も使わないのに「G線上のアリア」詐欺じゃあないの。
ピアノ、トランペット、フルート、オルガンなどG線など関係ないのに「G線上の・・」

ヴァイオリンの独奏やピアノ演奏では「G線上の・・・」でもとりあえず我慢しよう。

一番ひどいのが管弦楽組曲第3番を紹介する目的で、代表して「エア」の部分だけ取り上げる場合まで、「G線上の・・・」と紹介している。バッハが聞いたら怒りますよ。


ここに至れば
私なんぞが流れに逆らってもどうしようもない。「ジー線上のアリア」でいきましょう。

上記で紹介した中でチョン・キョンファの演奏は、まさに正統派「G線上のアリア」と言える。ヴァイオリンの低い音を鳴らしきるためにいろいろ工夫をしている。
本当にG線だけなのか、他の線も併用しているのか確認したくて動画と楽譜の運指を比べてみたのだ。細部での差異はあったが、それほど問題ではない、驚いたのは最低音のG線を鳴らす時だ、単純に開放されたG線を弓で弾けば良いのに、隣のD線を押さえてヴィブラートをかけているように見える。初めは意味が分からなくて困惑したが、わかった! D線で1オクターブ上のGを押さえているのだ。
最低音のGが鳴れば、それに隣接しているD線のGも共鳴する。音は両者の合成音として放射されるわけだが、彼女はそのD線のGに強烈にヴィブラートをかけて全体の音色をコントロールしていたのだ。
ヴァイオリン奏者にとっては当たり前のテクニックかも知れないが、私にとっては驚きの発見でした。




番外編  
中国 珠海市に仕事で滞在していた時のこと、休日などはCD屋を回ったりしたものだ。
屋台のようなCD屋ならともかく、きちんとした店でも半分以上は海賊版のような気がする。
麗々しく(版権所有)などと書いた金色のラベルがわざわざ貼って



あるのもかえって怪しい。

そんな店でリコーダーのようなジャケットのCDをみつけた、やはり海賊版?、リコーダーとキーボードで演奏したHI FI RECORDERS「牧童笛」と称するアルバムなのだ。CDジャケットを確認してみた。色々ポピュラーな曲が入っている。見ていると日本語のカタカナは非常に便利な道具だ、15.MY WAY はマイ ウエイ とすれば何とかなるが、中国語では強引に翻訳するしかない、「我的道路」(私の道路)ちょっと意味がズレている?

この中に「G線上の・・・」がある「19. Air(J.S.Bach) 空気」   "Air"はわかる、むしろ正しい。原盤にはそのように表示してあったのだろう。"on G string" は省いてある。バッハの指示通りだ。しかし中国語への翻訳は”空気”??? これでは意味不明、直訳すぎる!全く音楽を解さない海賊がやったのだろう。

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