5/17/2016

ケーナの音,色っぽい

先日はフォルクローレの練習日、月一回のペ-スなのでなかなか上達しないのだ。

今回の練習曲はCunumicita 「クヌミシ-タ」とLlaqui Runa「悲しい人」、どちらも過去に演奏しているので、多少の余裕はある。
それにちょっと久しぶりではあるが、I さんが加わって経験豊富なギターでしっかり支えてくれているのだ。安心できるのか私のケ-ナも良く鳴ってくれる。

練習の途切れたところで I さんが「ケ-ナの音良いですね」思いがけず褒められて「いやそれほどでも」などと言っていると歌の担当者から「今日のケ-ナは色っぽいのよネー」などと声が掛かる。

 色っぽさを狙って演奏しているわけではないけれども、少し余裕が出来てきたので ,歌手の口を見ながら歌に寄り添い、2番ケ-ナのハモりにはしっかり乗っかり、抑えるべき場所は抑え出るべき場所では多少リズムを崩しながらしゃしゃり出る、まだ不完全ではあるが、そんな演奏を「色っぽい」と感じてもらえるなら嬉しくなってしまう。

おだてられれば木にも登りますよ。多摩川原での練習を再開しますかね。
ケーナとリコーダー、アプローチはかなり異なるが、最終目標は一致するのかも知れない。

Llaqui Runa | Musica Andina,

5/10/2016

グリ-ンスリ-ブス

My Lady Greensleeves ロセッティ画

グリ-ンスリ-ブスと言えばリコ-ダ-吹きには馴染みの曲だし,一般にもよく知られている.
先日のフレンドシップコンサ-トで細岡師匠がかっこよくこの曲を決めた後で、シェイクスピアの「 ウインザーの陽気な女房たち」の中で2回もこの曲に言及しているとの話をしてくれた。
このブログでも「ハムレットはリコーダーを吹いた」との主張をしたことがあるので、シェイクスピアについてはおおいに興味がある。
早速現物に当たってみることにした。訳は2種類を比較してみる、坪内逍遥と松岡和子。坪内逍遥は明治時代にシェイクスピアを日本に紹介して高い評価を得ている。

{参考のためのあらすじ}
酒好き、女好き、太っちょの悪党騎士フォルスタッフ、二人の金持ちの人妻に言い寄るが、陽気な女房たちのしかけに逆にはまってしまい、亭主を含む周りの男たちも巻き添えになり大騒ぎ。シェイクスピアと同時代のエリザベス朝のイングランドを扱った市民劇

{参考文献}
・ザ・シェークスピア 第三書館 ウインザーの陽気な女房 坪内逍遥 訳

・ウインザーの陽気な女房たち
ちくま文庫 シェイクスピア全集9  松岡和子 訳

・The Merry Wives of Windsor  PENGUIN SHAKESPEARE  G.R. Hibbard

劇中2か所でグリーンスリーブスに言及しているとあるが日本語翻訳そのものには曲名は出てこない、第二幕第一場でのフォード夫人の台詞、第五幕第五場でのフォルスタッフの台詞。該当部分を書き出してみる。アンダーラインがある部分が核心部。

第二幕第一場  
<坪内逍遥 訳>
フォー妻 
無駄は止して。(陽光が費える。)・・・・さ、これを読んで下さい。私が勲爵士になれさうなわけがわかるから。わたし、此の目で男の体附が見分けられる限り、もう〃肥ッちょうは真っ平。けどもね、あの男、平生は口ぎたない雑言もいはないし、貞淑は女の美徳だと褒めてもゐたし、無礼、無作法を合理らしく非難してもゐたんですから、わたし、大丈夫、言うことと気質と一致してるとばかり信じてましたの。
ところが、どうでせう?まるで讃美歌と緑袖節(ストトン節)とほどのちがひよ。
ほんとに、どの沖あひからの(はやて)風で、あんな何頓といふ油をおなかに収れている大鯨が此ウインザーの浜なんかへ吹き寄せられたんでせう!
  ルビ(緑袖節 あおそでぶし)

<松岡和子 訳>
フォード夫人
無駄なおしゃべりはやめて、ほら、これ読んで、読んで。私がナイトになれそうなのが分かるから。この目が男の体つきを見分けられるかぎり、私、太った男は大っ嫌い。そうは言っても、あの男は汚い口をきくこともないし、女のしとやかさを褒めてたし、はしたないことは何であれ、お行儀よくきちんと非難してたから、私、その言葉どおりの立派な気性の人だと思い込んでいた。でも、言行不一致もいいとこだわ、賛美歌を*恋の流行り歌のメロディで歌うみたいにズレてる。一体どんな大嵐が、おなかに何樽分もの脂をつめこんだあの鯨をウインザーの岸辺に打ち上げたのかしら?
* 翻訳者注 Greensleeves   現在も歌われている「グリーンスリーヴス」は1580年代に生まれた。

MISTRESS FORD
But they do no more adhere and keep place together than the Hundredth Psalm to the tune of 'Greensleeves'.


第5幕 第5場
<坪内逍遥 訳>
フォルスタッフ
黒尻尾の牝鹿かい?(天を仰いで)馬鈴薯の雨が降ってくれ、緑袖節に合わせて雷が鳴ってくれ、嘗め菓子(香ひ入りの糖李実)の霰が降ってくれ、エリンゴ(砂糖漬けの海草)の雪が降ってくれ、刺激剤的の大あらしがやって来てくれ!おれはここで雨泊りをするから。

<松岡和子 訳>  
フォルスタッフ
黒い毛の雌鹿ちゃんだな! 空よ、マムシ酒の雨を降らせてくれ、恋の歌の伴奏は雷だ、薄荷の霰、ニンニクの雪、なんでもいい、媚薬の嵐を巻き起こせ。俺はここで雨宿りだ。

*翻訳者注 原文では、フォルスタッフが空から降らせたいと言っているのはサツマイモ   (Potatoes), 息をいい匂いにする砂糖菓子(Kissing-comfits),エリンジュームの根(eringoes) など、当時催淫剤とされていたものや口臭予防のもの。  

FALSTAFF
My doe with the black scut! Let the sky rain potatoes. Let it thunder to the tune of 'Greensleeves', hail kissing-comfits, and snow eringoes. Let there com a tempest of provocation, I will shelter me here.

     
英文ではどちらも the tune of 'Greensleeves' となっている。
松岡和子 訳 では「グリーンスリーヴス」の表示ではなく「恋の流行り歌」あるいは「恋の歌」と表現されている。(Greensleevesとの脚注あり)
坪内逍遥 訳では緑袖節(ストトン節)は笑ってしまうが、たぶんグリーンスリーヴス の直訳だろう。
翻訳された時代の差が大きい。坪内逍遥のころはまだグリーンスリーブスは日本に伝わっていなかったと思われる。
松岡訳ではグリーンスリーブスの名称をあえて避けているが、当時(シェイクスピア)の時代の曲のイメージと現代日本でのイメージがかなり異なっているのではないかと想像する。また資産家のフォード夫人と悪党騎士のフォルスタッフが相互に関係なくこの曲を取り上げているところを見ると、階級や男女の別が無いほど流行していたのだろう。

「訳者のあとがき」によればこの戯曲は「騙し騙され」のドタバタ喜劇だが登場人物の言葉に癖がある。ウエールズ訛りとかフランス訛りとか・・シェイクスピアも周囲を観察しながら書いたし、当時の観客たちもその違いを聞き分けて楽しんだのだろうとある。
当然、巷で流行していたグリーンスリーブスも抜け目なく劇中に取り込んだのだ。

原曲のメロディーは2種類あったのではないかとの説もあるらしいが、500年近く伝承されて現代でも生き続けているその生命力は魔性的ともいえる表情もそなえ、おいそれと取って代われるものではない、原曲の核心部分はほぼそのまま残っているのではないだろうか。
現在伝わっている歌詞は数多く、「別れてしまった女を思う男の歌」が基本的なイメージで中にはクリスマスキャロルの替え歌もあるらしい。


しかしこれだとフォード夫人が清純な「讃美歌」と全く違う例として挙げたり、エロ騎士フォルスタッフが雷と一緒に鳴らそうとすることとイメージ的に矛盾が生じてしまう。 しかしグリーンスリーブス(緑の袖)には娼婦を指す時代もあったとの説もかなり有力らしいので、あるいは当時そのような歌詞で大流行していたのかもしれない。