1/23/2013

コーヒーカンタータ その3


コーヒーカンタータの最初のページ



バッハは、ライプツィヒにあった“ツィンマーマン・コーヒーハウス”という店で、1729~41年の間、途中2年間ほどの中断はあったが、毎週金曜の晩にライプツィヒ大学の学生で組織された演奏団体「コレギウム・ムジクム」の指揮をしていたのだそうだ。  多分チェンバロを弾きながら指揮をやったと思われるが、バッハの指揮で音楽が聴けるなんてなんと贅沢なことだろう。
今風にいえばライブハウスのような感じと思うが、しかしそこには若者ではなく芸術家や街の有力者達が集っていた訳だ。        
バッハはライプツィヒ時代は聖トマス教会のカントールを勤めていた、彼にとっては二足の草鞋  ということになる。

毎週コーヒーハウスに出演することは結構大変だったのではないか、
 どんな曲を演奏したかは興味のあるところだが、当時の楽譜の多くが失われてしまったとも言われている。コーヒーカンタータについてはその題材そのものが、コーヒーハウス向きだし 、編成も歌手ソプラノ、テナー、バスの3名、楽器も弦楽器とチェンバロそしてフラウトトラベルソの最小限の編成であるところが、コーヒーハウスでの演奏を考慮した作りになっているように思われる。
ただフラウト トラベルソの扱いは別格で、このカンタータの目玉とも言うべき、ソプラノのアリア「ああなんてコーヒーは美味しいんでしょう」でソプラノに対する対等のオブリガートの演奏と全員登場の終曲の中でちゃんと出番の箇所が作ってあり、単なる伴奏者ではなく、歌手並みの待遇であり、外部から奏者を招待したのかもしれない。 

  1731年ドイツのライプツィヒにタイムスリップしたとする。
当時流行していたコーヒーハウスに行ってみることにする。コーヒーハウスは8軒あり、それぞれ特徴があるが、そのうちの3軒が音楽を聴かせるとのことで、そのうちのチンマーマン・コーヒーハウスに決める。
それは金曜日の夜であった。会場には学生や地元の名士達、何人かの女性の姿も チラホラ、今日の演目はバッハ氏作曲「コーヒーカンタータ」
 時間になるとバッハ氏本人が学生の弦楽器奏者を伴って登場し、チェンバロの前に腰掛ける。バッハのジャラランと鳴らすチェンバロの和音を合図にテノールの解説者のレシタティヴが始まる「♫お静かに、おしゃべりせずに・・・・」

・・・・・まあこんな感じで始まったのではないだろうか。

「コーヒーカンタータ」は多いに受けたらしい。     

筋書きは簡単、娘のコーヒー好きを嘆く父親が登場し、コーヒーをやめさせるべく、嫁にはいかせない、流行の服は買ってあげないなどと父親の権力を振りかざし圧力 をかけるのだが、お転婆娘に一本取られた形で全ては水泡に帰してしまう。父親の名前シュレンドリアンは(間抜けな人)のような意味があるらしく、観客はあらかじめことの成り行きが、予測出来る仕掛けなのだそうだ。
そう言われてみると、父親が最初に娘の事を嘆くアリアも途中でエッサカホイサカ、エッサカホイサカと聴こえる部分があり滑稽に感じられる。
台本はマタイ受難曲も手がけたピカンダー、当時はバッハより名前が売れていた作家らしい。学生の演奏団体コレギュウム・ムジクムにも所属していたことがあると言われている。

バッハはオペラを作らなかったが、この「コーヒーカンタータ」は演出を工夫すれば 、コミックオペラとしても十分に通用すると思う。

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