ワマン。ポマによる挿絵(少年達が読み書きを習っている) |
ワマン・ポマの挿絵とモトリニーア神父の文章を組み合わせてリコーダーの存在を主張するなど、かなり無茶とも言える話の進め方だ。両者はほぼ同時代ではあるが、ワマン・ポマはペルー国内の伝聞を元にしているし、モトリニーア神父はメキシコ付近で布教活動をしていたのだ。しかしスペインの教会、イエズス会やフランシス会の布教の一環としてのスペイン語や音楽の教育方針はほぼ共通だったのではないかと想像できるし、ラテンアメリカ・・の著者である山本氏もそのような組み合わせてを選択しているのでこの路線でもう少し話を進めて見たい。
モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」は中米に派遣されたフランシス会の神父の本国への報告書である。
モトリニーアの名前はメキシコのナワ語で貧乏人を意味するそうだ。
本国のスペインから送り込まれて来たフランシス会の12名の修道士たちが、ボロボロの修道服なのを見て、現地人たちが「モトリニーア(貧乏人)」とささやきあうのを聞いてそれを自分への呼び名に取り入れたのだそうだ。本名はトリービオ・デ・ペナベンテ修道士。
実際に見聞きしたことに若干誇張した部分があるにしても、全体の流れは、異文化を見下したりすることなく、好奇心、行動力そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。興味深く面白い事柄も多いのだが、このブログでは、リコーダーや音楽に関わると思われる項目を抜き出してみる。核心部分は前述の山本氏の引用部分と同じだが、それ以外の部分も取り上げてみる。少し長くなるが、お付き合いお願いします。「」内が引用部分で、”・・・・”は省略がある事を示している。
<以下引用>
「原住民が物事の呑み込みが早いだけではなく、物事を注意深くじっくりと観察する目を具えており、しかもほかの国の人間のように尊大なところも無く、見栄も張らない。」・・・「スペイン語とラテン語の読み方をおぼえるにはたいした時間は要しなかった。」・・・
と賞賛した後 引用された歌に関する文章が続く。引用で省略された部分も書き出してみる。
「3年目の年私たち修道士は原住民に歌を歌うことを教えた。」・・・・「最初に歌を教え始めたのはある老齢の修道士であったが、その時の模様は全く傑作だった。まずこの老修道士は原住民のことばについてはほとんどのまったくなにも知らず、スペイン語しかはなせなかった。にもかかわらず、彼は相手がまるでなんでも聞き分けできるスペイン人であるかのように、懇切丁寧な口調できちんとした内容の説明を原住民の少年たちに対して行うので、彼の話を聞いているわれわれの方がなんとも笑を抑え切れずに困った。他方、少年たちの方はといえば、老修道士が一体何を言おうとしているのかを理解しようと口をポカンと開けたままじいっとそのことばに聴き入っていた。ところが驚いたことには、最初のうちこそ少年たちはなにひとつ老修道士の言っていることも分からず、また通訳をしてくれる者もいなかったにもかかわらず、ほんのしばらくすると少年たちの方が老修道士の言うことを理解するようになり、その結果、立派に歌をおぼえてしまった。
今日では少年のなかには聖歌隊の指揮ができる者がいくらでもいる。優れた才能と大変な記憶力に恵まれた彼らは、自分たちの歌う歌のほとんどを暗唱しており、歌っている最中に楽譜の順序が乱れていたり、楽譜が床に落ちるようなことがあっても、このために歌が途切れたり音が誤ったりするようなことはない。」・・・(少年の聖歌隊員の一人がミサ曲を完成させたエピソード)・・・
原住民はオルガンの代わりに沢山のフルート[注]を使って音楽を奏でる。彼らのフルートの協奏はハーモニーが見事なうえにフルートの数が多いので、本当のオルガン演奏かと思えるほどである。
こうしたオルガン曲を彼らに教えたのはスペインからやってきた幾人かの音楽士であった。音楽士の一行がやって来た時、全員をまとめてその宿舎から食事までの世話をしようという人がここでは見つからなかったので、われわれ修道士が原住民と話をして、音楽士たちを数名ずつ幾つかの村に分けて引き受けてもらった。そして相応の謝礼をする代わりに、音楽を教えてもらうように取り計らったので、この時に原住民は音楽を習う機会を得た。フルートのほかに彼らはチリミーア(クラリネットに似た木製管楽器)[注]も作る。ただし、いまのところはまだその本来の音は出ない。フルートの吹き方を知っていたある原住民の少年がテワカンの町で、ほかの原住民にその吹き方を教えたところ、一ヵ月で全員がミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏ができるようになり、半年もすると立派に一人前のフルート奏者が誕生した。・・・」
「・・・・(原住民がリーベックを作り演奏もできるようになった)・・・」
「第3巻第13章」 「・・・・バンドゥーリア(形はギターに似た12弦楽器で音色はマンドリンに近い)、バイオリン、ハープと言った楽器類も実に多種多様な細工や飾りの付いたものを作り出す。・・・・・・フルートにしても彼らが造ったものは非常に音色がいい。・・・・・」
<引用終わり>
注(後藤)
フルート ここでは全て、横笛のフルートではなく、ルネッサンスタイプのリコーダーを指すと思われる。
チリミーア 「クラリネットに似ている」となっているが実際はオーボエの様なダブルリードを使用するショームの一種、チリミーアがチャルメラに近い発音であることに注意。
リーベック 洋ナシのような形、通常3弦で弓で弾く
色々な楽器が持ち込まれ、そしてそれらが現地で作られた事がわかる。パンドゥーリア、バイオリン、ハープ、チリミーア、リーベックなどは民間で個人的に使われたのだろう。しかし教会の中では、ミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏をするため少年達に教える必要があったのだ。
フルートがリコーダーの事を指しているのは間違いがないとおもわれる。沢山の楽器を使ってオルガンのような演奏をするとの記述、テワカンの町で吹き方を教えたところ全員が一ヶ月でミサなどの伴奏ができる様になった。等
本国のスペインでもリコーダーの合奏はさかんに行われていたと思われるし、原住民の少年達に初めて音楽を教える神父の立場で考えてもリコーダーが最良の選択肢であることは当時も今も変わらないのではないか。
多くの職人が中南米に渡って来たことが書かれている。仕立屋、馬具職人、金銀細工師、・・・その中にはリコーダー製作者も混じっていたし。その指導を得て現地でもリコーダーが生産されていたに違いない。「彼らが作ったフルートは非常に音色が良い」との記述もある。
またかなりの数が必要なはずだから量産されていたのだろう。場合によっては竹で作られたリコーダーも存在したかもしれない。この件は後で検討したい。
ここでの写真もワマン・ポマの挿絵を使用させてもらう。
少年達が読み書きを学んでいる。左側の譜面立てに乗っているのは楽譜だ。五線譜とト音記号らしき模様が見て取れる。音楽も習うのだろう。
今回の引用は下記による
モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979
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