2/02/2014

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-5 インカ皇統記

Inca Garcilaso de la Vega


 ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」
モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」
上記二つの文献で南米におけるリコーダーを調査したが他にも有力な文献があるので調べてみる。
 インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガによる「インカ皇統記」

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ
インディオの子であると同時にスペイン人の子であること、すなわち混血児(メスティソ)である。
1539年クスコに生を受けた。父親 カピタン・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ 1531年南米にやってきた征服者、カピタンとついているから大将なのだろう。
母親チンプ・オクリョと呼ばれるインカの王女 したがって彼はメスティソのエリート。 最初の混血児とも象徴的に呼ばれている。20才でスペインに渡り、60歳ごろから「インカ皇統記」を書き始めた。これをまとめるのは自分こそ最適任者であるとの自負をもっていた事は、前書きなどでも十分にうかがえる。
現地のケチュア語を母語として操り、その上ヨーロッパに渡って40年、スペイン語でも文筆活動を行いすっかりヨーロッパの人間になりきって書いている。
ペルー歴史上の重要人物と位置づけられているらしく、紙幣の肖像になったり、クスコにあるサッカースタジアムの名前は彼の名前がつけられている。海抜3400mの高地に位置している過酷なスタジアムとして有名なのだそうだ。

歴代の王の記述が多くを占めるが、音楽についての記述の部分を抜き出して紹介する。一続きの文章なのだが、内容によって4分割してある。

<以下引用>

「第26章幾何学、算術、音楽について彼らの知っていたこと」より音楽の部分を引用する。
・・・・・・
1)音楽の分野でも彼らは独自のものを持っており、たとえばコリャ族やその周辺に住むインディオたちは,葦の管でできた楽器を奏でた。これは4本か5本の葦管を二列に並べて縛り付けたもので、ちょうどパイプオルガンのように、管は順に隣のより少しずつ長くなっていた。通常は、それぞれ長さの異なる4本の管からなっていて、最初の一本が低い音を出し、次の管はそれよりも高い音を出し、また次のはさらに高い音を出すと言った具合で、それはまるで、四つの自然の声、ソプラノ、テノール、コントラルト、そしてバスのようであった。そして、一人のインディオがある音を出すと、次のインディオが五度の、あるいは他の和音で応じ、さらに次々が別の和音でというように、あるときは音階を上りながら、またあるときは下りながら、しかし常に調和を保って演奏するのであった。臨時記号によって音の高さを変更する方法は知られておらず、すべての音が一定の音階に従っていた。しかし、この楽器を巧みに演奏できるのは、王侯貴族に音楽を聞かせるために訓練をうけたインディオたちに限られていた、というのも、彼らの音楽は素朴ではあったものの、決して庶民の間に普及していたと言うわけではなく、それをマスターするには相当の訓練が必要だったからである。

2)彼らはまた、羊飼いのそれに似た、四つか五つの穴の開いたフルートを持っていたが、これは音を調和させて合奏するためではなく、独奏用であった。この楽器は、ハーモニーをつけて演奏することができなかったからである。彼らはフルートで自作の歌を奏でたが、そうした歌は一定の音節数の詩行からなり、たいていの場合、恋の感情を、すなわち恋の喜びと苦しみ、恋人のやさしさとすげなさを表現している。
歌にはそれぞれ、一般に知られた独特の節回しがあり、異なる種類の二つの歌を同じ調子で唄うことはできなかった。何故かというに、夜、恋人に向かってフルートで小夜曲を奏でる恋する男は、その節回しによって、思い姫と世間一般に対し、彼女の彼に対する好意あるいは冷たさに応じた、心の喜びあるいは悲哀を告げるが、異なった趣の歌が同一の調子で奏されたとするならば、恋する男の表現したいのがどちらの気持ちなのか、判別できなくなってしまうからである。また、このようなわけで、一般に、彼はフルートで話しかける、というような言い方もされるようになった。ここで一つエピソードをあげると、あるスペイン人が、クスコである夜中、知り合いのインディオ女にばったり出逢ったが、夜もふけていたので、早く家に戻るように薦めると、彼女はこう言ったという--
「だんな様、どうか私にこのまま行かせて下さい。あちらの丘から聞こえてきます、情愛のこもった笛の音が、やさしく私を呼んでいるものですから、じっとしてはいられないのです。どうか後生でございますから、このままにしておいて下さい。どうしてもあそこに行かなければなりません。愛が効し難い力で私を引きずり、私を彼の妻に、そして彼を私の夫にしようとしているのですから。」
戦争やそこでの武勲をテーマにして作られた歌が、このように奏でられることはなかった。それらは恋人に向けて唄われる性質のものでなければ、フルートの音色になじむものでもなかったからである。こうした歌は大きな祭りで、そして戦争の祝勝会で、兵士達の勇敢な武勲を称えて唄われるのであった。

3)私がペルーを発ったとき、それは1560年のことであったが、クスコ市には、どんな曲でも楽譜さえ前にすれば、絶妙な音色で演奏することのできるフルートの名手が五人いた。彼らは、その市の住人であったフアン・ロドリーゲス・デ・ビリャローボスの所有するインディオたちだった。これを書いている現在、すなわち1602年の時点では、楽器の演奏に卓越したインディオは、どこに行ってもごろごろしているとのことである。

4)喉に関しては、私がいたころインディオたちが、自慢することはあまりなく、一般に彼らが美声の持ち主とは言えなかった。歌唱法と言うものを知らなかった彼らは、ほとんど発声の練習などしなかったからに違いない。混血児の中には美声を誇る者が沢山いた。・・・・
・・・・<引用終わり>・・・・

一連の文章なのだが、3種類の楽器と歌について記述しているので4分割してある。[1)、2)、3)、4)]

最初の部分1)はあきらかにサンポーニャだろう。二列に並べて縛るのは現在も全く同じ、楽器自体はほとんど変化していないように思う。ただ残念なのは、インカ・ガルシラーソが楽器の名前を言っていないのだ。伝聞だけで実体験が全くないからと思われる。サンポーニャとかシークとか言っても良いと思うのだが。ヨーロッパの音楽学者が始めて出会った楽器を紹介するように、五度の和音とか臨時記号とか、ソプラノ、テノール、コントラルト、・・・・など専門用語をちりばめているわりには、具体性がない。 彼自身経験が全く無く、執筆もペルーを離れて40年も過ぎているのだ。 当時は限られた人間だけが扱えた楽器ということだからある程度仕方ないかもしれない。

2)3)はフルートとしてまとめてあるが、明らかに2)と3)は違う楽器だ。

2)四つか五つの穴が空いているフルートで話しかけ、セレナーデを演奏する。ほぼケーナを指しているだろう。ケーナの名人が多くいたことを思わせるが、すばらしい表現力だけではなく、信号を送る道具としてのケーナの側面もあったのではないかとも想像する。

3)はだいぶ時代が後になる。楽譜を見て演奏するとあるから、これはケーナではない、スペインによって持ち込まれた楽器、多分リコーダーであろうと察せられるが、横笛のフルートである可能性も否定できない。その40年後は笛以外の楽器も含むヨーロッパからもたらされた楽器の演奏に卓越したインディオはどこに行っってもごろごろしているほど多くなった。

4)の歌に関しては、ちょっと面白い記録があるので、後日取り上げるつもりです。

著者のインカ・ガルシラーソは堪能なスペイン語に加えケチュア語も自在に話すことができた。それだけに内容の評価は高いと思われる。
しかし実際に当事者となって苦労し感動しながら書いたワマン・ポマやモトリニーア神父のような臨場感には欠けるような気がする。

注(後藤)
ここにおいてFlute=フルートと翻訳するのは誤解を生む素になる。日本語でフルートといえばまず間違いなく金属でできたベームフルートを想像する。しかしヨーロッパにおいては歴史的に色々な笛の種類があったことは常識として理解されているので、Flute(ドイツやイタリアなど他国語表記も含む) とはそれらの総称であると考えられているように思う。また縦横両方のタイプも含まれている。したがって、Flute=笛と翻訳するのが最良と思われる。篠笛や尺八もbambooーFlute となるだろう。

参考文献
岩波書店 大航海時代叢書エクストラ・シリーズ「インカ皇統記」インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ  牛島信明 翻訳

1/25/2014

第10回フレンドシップコンサート


第10回フレンドシップコンサート(FSC)の概要と参加団体(五十音順)を、おしらせ致します。

[アマチュアリコーダーアンサンブルが集って、正統派あり、個性派ありの楽しいリコーダーコンサート]

各グループの演奏順番が決まりましたので報告します。
数字は演奏開始予定時間です。

1. フェリーチェ      12:30
2. gyachitets        12:50
3. モックなでしこ   13:10
4. ヴィア・モンテ・ビアンコ  13:30
5. 平尾リコーダークラブ    13:50
---休息---
6. 笛魂              14:20
7. チエル・アルコ 14:40
8. ねころびと 15:00
9. Gクレフ      15:20
10.厚木リコーダー・オーケストラ  15:40
11.全体合奏       16:00
---休息---
12.Ricco Suono  16:35
13.奏                 16:55
14.ぴぽ              17:15
15.ジャスミー      17:35
16.細岡ゆき andゲスト2名 17:55

ゲスト演奏家
なかやまはるみ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
細岡ゆき(リコーダー)
佐藤創(リコーダー)
第10回フレンドシップコンサート
開催日: 2014 3月8日(土)
開場: 12:10
開演~終演:12:30~18:00 
入場無料
場所: 稲城市中央文化センターホール(京王線稲城駅より徒歩7~8分)

各グループの持ち時間は出入りを含めて20分を予定しております。
リコーダーの広場演奏会情報にも投稿しました。

チラシの画像最新の版に入れ替えました。2014/2/10
演奏団体    gyachitets  
ゲスト演奏家  「佐藤 創 リコーダー」 追加
問い合わせe-mail 変更  rec04.fsc@gmail.com


全体合奏 2014/2/22
お客さんも含む参加者全員で「全体合奏」を行います。ぜひモダンピッチのリコーダーをご持参ください。
曲はAmazing Grace 楽譜は当日受付にて配られます。

参加グループ名、五十音順に訂正2014/2/23

参加グループの演奏順番と開始時間を追加 2014/3/2
演奏順番一部変更。Gクレフ、ねころびと、平尾リコーダークラブ 3/6


このページは第10回フレンドシップコンサートのお知らせ用として随時追加してゆきます。

小型PA装置 MACKIE SRM150

テスト中のSRM150

小型PA装置 MACKIE SRM150
昨年のクリスマス会でPA装置を併用したが、装置全体が大きいため気軽に使用できない、もっと小型化できないかという思いで導入してみた。
Compact Active PA System とのことで、ミキサー、アンプ、スピーカーが一体化されており、もちろん電源も内蔵されている。本体をカバンに入れて一人で持ち運べる。定格出力も単体アンプに引けをとらず[100Wrms 連続] が保障されている。一体化することで各機器をつなぐケーブル類もほとんど不要となる。
スピーカーが小型になりしかも一個だけだが、メインでガンガン鳴らすのではなく、残響音の補助であればこのくらいでも良いかもしれない。
またリュートやバスリコーダーなど1~2台の場合は手軽に使用できる。

練習会場に持ち込みテストしてみた。スピーカーが小型なので音質上少し気にしていたのだが、ほとんど問題なし、リコーダーの音は超高音とか超低音などは含まれていないのだ。
残響などのエフェクターは内臓されていないが、小型で取り回しが楽なので、例えば後方の壁に反射させて残響を演出するのも面白いと思う。
通常の練習にもカバン一つで気軽に持ち込めるのが嬉しい。いろいろ使ってみれば応用も広がるのではないかと期待している。
写真はテスト中でマイクはSM57を使用、バスリコーダーは表現力はあるが、いかんせん音量がない。PA装置を併用することにより、音色音量に厚みが増えてサキソホーンのような感じで演奏できる。

以上は小型PA装置としての評価であるが、iPadなどと組み合わせて使用する場合また違った面が見えてくる。

iPadとGarageBandのようなアプリケーションと組み合わせ、ライブで使用を目指す場合、例として、GarageBandでギターや弦楽器による伴奏をあらかじめ作っておき、伴奏を自動演奏しながら、リコーダーなどの生楽器を演奏する。
このような場合、生楽器のパワーは、弱小と言われるリコーダーであってもかなりの強さがあり、伴奏がかき消されてしまう。
iPadに接続できるアンプやアクティブスピーカーは数多く発表されているが、すべてこのような目的には向かない。部屋に設置してiTunesなどで音楽を聴くだけなら便利で十分なパワーなのかもしれないが、そもそも目的が違うのだ。
その点SRM150はコンパクトタイプながら[100Wrms 連続]のスペックで。このような目的には最強の組み合わせかもしれない。
小型のミキサーが内蔵されているから、自身の演奏とGarageBandによる伴奏のレベルを最適な比率に調整できるし、たとえ武道館に出演を依頼されて巨大PA装置に接続する場合でも(私の場合あり得ない話だが)SRM150からプロ仕様のバランス伝送で送り出す事が出来る。

できればiPadの信号をディジタルで直接取り込めるようD/Aコンバーターを内蔵しているとありがたい。今後に期待します。

1/21/2014

多摩ムジカアンティカ演奏会

 
演奏中の多摩ムジカアンティカ
多摩ムジカアンティカ演奏会
2014年1月12日(日)小平市中央公民館ホール
思えばかなり変った団体だ。
私達平尾リコーダークラブが発足したころだから10年ほど昔のことになる。当時、よそのリコーダークラブとはどんなものか、あちこちの演奏会を巡り歩いていた時期があった。そんな中でも特異な印象の団体だった。
確かインターネットのKey-Mamaさんの部屋で演奏会を知ったと思う。
中世の曲をリコーダーだけで延々と演奏する。当時私はリコーダー合奏を始めたばかりだったから、作曲者も曲名もまったくなじみがない、親しみやすい曲を演奏するなどの配慮は一切なし。そしてグループをまとめている方の名前もちょっと気にかかつていた。演奏会の連絡はその後何度もハガキが届いていたのだが、つい行きそびれていたのだ。


会場は小平市中央公民館ホール、私は稲城市、どちらも東京の郊外だが、一旦都心を経由しなければならない。時間がかかるのだ。
出発に手間取ってしまい、かなりの遅刻を覚悟したのだが、なんとバスも快速急行も飛び込んでぎりぎりセーフのような感じ、乗り換えもうそのようにつながり、開演3分前ぐらいに会場に到着。

今回のテーマは「イタリア」だそうだ。プログラムにはイタリアに関係する作曲家がずらりと並んでいる。ガブリエリ、パレストリーナ、プレトリウスなど、知っている名前もあるが、知らない名前がほとんど、プログラムには曲目と作曲者を解説してあるから、それを見ながら演奏を聴くことになる。カンツォーナ、リチェルカーレ・・・・など   曲形式の解説もある。この文字情報だけでも大変なもの、読んでいるうちに曲目はどんどん進む、なんせ曲数が多い、途中休息を入れて2時間近く演奏する。一曲にかける練習時間はそんなに取れないのではないか。しかし演奏技術が高いのだろう。それと個々のリコーダーの音が美しい。リコーダーの音色そのものが美しいなどと感ずることは滅多にないことだ。会場には60人程度のお客さんが入っていたが、中央付近にいる私にも十分音は届いていた。バスの音もはっきり聞き取れた。

ふとプログラムの最後のページを見ると「日本フルートクラブ」の楽譜の宣伝が載っている。ああやっぱり・・・・、気にかかっていた代表者の名前も解決した。
その昔、プロからアマチュアまでを含むフルート愛好家たちの組織「日本フルートクラブ」があり、その会長がH氏であった。
私もフルートをやっていた時期があり、会報をもらったり、レッスンを受けたりしたことがある。しかし四畳半一間を借りて生活している貧乏学生にとってフルートは無理だったのだ。結局フルートはあきらめる他なく、フルートクラブとの連絡も途切れてしまった。それからリコーダーの誘いを受けるまで20年以上楽器の演奏をやるチャンスはなかったのだ。
フルートクラブにしても決して道は平坦ではなかったはず、休息時間にHさんに昔のフルートクラブとの関係を話したら、びっくりされていた。現在はHさんが楽譜出版などの業務を引き継いでいるらしい。
参考までにプログラムの一部を載せてみる。

Ⅰ部
A.ガブリエリ・・・ リチェルカーレ 第6番、第7番
パレストリーナ・・・ 第1旋法のリチェルカーレ
インジェニェーリ・・・ カンツォーナ
ヴェッキ ・・・4声のファンタジア
G.ガブリエリ ・・・カンツォーナ第2番
バンキエリ ・・・ファンタジア第1番、第2番
バンキエリ ・・・カンツォン第6番、第8番
フェラボスコ Ⅱ ・・・ファンタジア
アレグリ   ・・・ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス
フレスコバルディ ・・・第三旋法のカンツォーナ
ザネッティ ・・・舞曲
Ⅱ部 省略


この団体のかなりなマニアックぶりもそれなら理解できるような気がする。私は10年あるいは40年?の心の引っかかりが一気に解決したような気がした。
写真はカメラを忘れたのでiPad miniで撮影したが、条件が悪かったのでかなりブレがある。

1/03/2014

リコーダーとPA装置

会場に設置したマイク、アンプ類

今回クリスマス会でPA装置を使用したのでそれをまとめてみた。
 
大きな体育館や屋外で、エレキバンドに伍して演奏しようというわけではない。もちろんそれも面白いし、挑戦してみる価値はあるだろう。しかし今回は併用すると言った表現が適切だと思う。
リコーダーはルネッサンスやバロック期の曲を小さな教会のような場所で演奏するのがいちばん向いているし、それはどのグループも目指している方向だと思う。
しかし教会のような演奏会場を確保するのは大変だし、そこまでお客さんに足を運んでもらうのも難しい面があるのだ 。結局近場の集会室や、公民館の視聴覚室を利用することになるが、そのような場所は、広すぎたり、壁に吸音材を使用していたりして、必ずしもリコーダー演奏に最適とは言えない場合が多い。このような場合適切なPA装置を使用して会場の音響をかなり改善できるのではないだろうか。

この場合演奏の音を直接音と間接音に分けて考えてみる。
まず直接音だけれど、演奏者から直接聴衆に届く音で、部屋の大きさとか壁の吸音材は関係ないと言える。演奏者と聴衆との距離により決まってしまうのだ。音はかなり硬質でリアルつまりやせた音、そして音量は少ない

続いて間接音だが、周囲の床、天井、壁などに反射されて耳に到着する。反射している分わずかな時間遅れが生ずる。また音の方向も前後左右あらゆる方向から到着する。
このいろいろな音に対して人間の音のセンサーである耳は多分すべて聞き分ける能力を持っているはずだが、脳の処理は異なっている。それぞれ別の音として認識するのではなく、最初の直接音で来る方向や距離を確定し、遅れて到達する間接音は直接音の一部とみなして、方向などは無視し、音そのものは最初の間接音に加えて認識する。
これはまったく理にかなった処理と言える。獲物を求めて野山をさまよっているとき、獲物の出すかすかな音が、岩や木に反射してあちこちこちから聞こえたら獲物がどこか判らないだろう。しかし最初の直接音で方向と距離を確定し、後の間接音は音量として蓄積できれば方向と距離は定まり音もはっきり聞き分けられる音量となる。

リコーダーから発せられる直接音はそのまま生かし、間接音の部分をPA装置を使用して補うのだ。補う音は残響分のようにエフェクト処理を少し加えておく。両者の比率は7:3ぐらいを考えているが会場によって異なるからいろいろ経験をつまなければならない。また若干のディレイ(時間遅れ)も必要かも知れないがプリセットのエフェクト処理に含まれていると思うので当面は考えないことにする。

使用した機材はきわめて一般的な編成となった。ダイナミックマイク5本、ミキサー2台、アンプ1台、スピーカー2台
各機器をつなぐケーブルはすべてXLRコネクタあるいはTRSフォンプラグによるバランス伝送、スピーカーケーブルは両端スピコン。(ミキサーは、マイク接続端子が不足したため、2台使用となった)

マイクは奏者毎に一本ダイナミックマイクを近接して設置する。以前同じような試みを行ったときコンデンサーマイクを使用したり2人で一個のマイクを共用したりしたが、予期せぬハウリングが起こったりして安定した運用とはならなかった。
録音とPAは目的が異なるのだから割り切ってダイナミックマイクを使用すべきだ。この種の定番マイクはSHURE社のSM57/SM58だが手元にSM57が3本しかなかったので急遽購入することになった。BEHRINGER社 XM8500を2本、 定番SM58と外観はそっくりだが値段は2000円を切る。安いが今回の目的には十分に使用できた。
定番SM57とXM8500

さてこれだけの手段を尽くして効果の方は如何に、となる訳だが、それを確認するのは思ったよりも難しい。私はスピーカーに近い場所で演奏していたので、スピーカーから残響分のような音が出ているのが確認できたから、効果は十分にあったと思っているのだが、他の演奏者達はスピーカーからの音は聞こえなかったらしいし、お客さんにしてもリコーダーの音量や会場の音響を良く知ってなければ判断は出来ないわけで、今後の課題としては、演奏者にもっと音を返す対策が必要だろう。スピーカーの位置を工夫して演奏者にも聞こえるようにするとか、場合によっては演奏者のために小型スピーカーを追加する等いろいろ実地に試して見なければならない。

それともう一つの問題は機材の運搬と設定をどうするかということ。今回もあらかじめアンプ、中型ミキサー、スピーカー2台、マイクスタンドなど車で会場に運び込む手配はしてあった。自宅から会場まで簡単に歩いて行ける距離だったのだが、残りの機材は持っていかなければならない。ケーブル類、マイク類は旅行用の車の付いたトランク、小型ミキサーと付属品は小型の肩掛けバッグ、ケースに入ったマイクスタンド2本、そのほかにリコーダーを入れた皮かばん、楽譜など入れたカバン、最後に大きなボンボを背中に背負ってよろめきながら歩き出した。信号機のない横断歩道の横に立ったらいっせいに車がストップしてくれた。車の中から私の姿を見て笑っている。・・・・・機材はなるべく少なくしたいが、むずかしいですね。

12/29/2013

第15回クリスマスコンサート終了

オカリナサークルの演奏

12月23日恒例のクリスマスコンサートが終了した。今回で15回目だそうだ、よく続けてきたものだ。
平尾りコーダークラブが結成されて最初のコンサートがこのクリスマスコンサート。以来毎年続けているわけだ。
今年も恒例のケーキ、お茶を用意した。演奏団体がひらおオカリナサークルと平尾リコーダークラブの2団体だったのは少しさびしかったかも知れない。

プログラム
オカリナサークル
ムーンリバー・・・H.マンシーニ
雪の降る街を・・・中田喜直
星めぐりの歌・・・・宮澤賢治
心の窓にともしびを・・・中田喜直
ジングルベル・・・アメリカ民謡
カントリーロード・・・J.デンバー
ふるさとは今もかわらず・・・新沼謙治
きよしこの夜・・・F.グルーバー

平尾リコーダークラブ
ジングルベル・・・J.L.ビアボンド
聖なる乙女・・・作者不詳
甘き喜び・・・J.S.バッハ
ウィロビー卿の帰還・・・J.ダウランド
隣人ローランド・・・S.シャイト
コンドルは飛んでいく・・・D.ロブレス
ホワイトクリスマス・・・I.バーリン
神のみ子は・・・賛美歌
グロリア・・・賛美歌
牧人羊を・・・賛美歌
聖夜・・・F.グルーバー
クリスマスメドレー
恒例のケーキと紅茶


お客さんもかなり集まり、毎年ケーキと紅茶の付いたこの会をおぼえていてくださる方もいるのだ。
ただお客さんの数はオカリナサークルが声をかけてくださった方が圧倒的に多い。これは両グループの姿勢の違いが現れているように思う。
オカリナサークルはお客さんと一緒に楽しむ事を大切にしている様に思う。だからコネを最大限使って演奏会に来てもらうことを呼びかけ、会場をクリスマス飾りでいっぱいにするのだ。演奏曲目もお客さん中心で選んでいるのだろう。
一方平尾リコーダークラブは自分達が演奏してみたい曲目を並べ、それがうまく演奏できるかどうかに最大のエネルギーを割いてしまう。その結果としてお客さんの勧誘まで手が回らないことになる。これは大いに反省しなければならないことなのだが、なかなか難しいことでもある。

また演奏内容とは少し違うが、会場の男女の比率はいつもながら考えさせられた。平尾リコーダークラブは女性2:男性3で女性が圧倒的に多いリコーダーの世界では珍しい存在なのだが、当日訪れた男性客は2~3人、全員合計しても女性の1割以下、これは高齢化社会に向かっていく上で由々しき問題であると思われるが、リコーダークラブにとっては手に余る問題である。

リコーダーでPA装置
今回上記プログラムのホワイトクリスマス以降はPA装置を併用した。これは観客の方達により楽しんでもらえるための音量と音色を求めての試みだったが、詳細は別ブログで報告するつもりです。

12/27/2013

ワープ発表会


12月22日ワープの発表会が終わった。
この会場は個人が提供してくれている会場で、多くのグループが使用している。
今回は32グループが演奏した。内容は多彩で、オカリナやウクレレなどの器楽だけではなく、歌やフラダンスのようなものも含まれる。私はループというフォルクローレのグループで参加した。このようにいろいろな方たちが集まっている場だから、全く異なる楽器の練習を覗く機会も多く、交流も盛んなようだ。

そんな訳で他のグループから応援に来てもらう事は簡単なのだ。そしてうまく行けばそのまま定着してしまう事もある。私達のループも当初はケーナサークルとしてスタートしたのだけれども、ギター、パーカッション、ヴォーカルなどが加わり、編成だけはフォルクローレグループの形が整ってきた。さらに今回はボンボ奏者が都合で参加できないのが当日わかったのだが、代役もすぐにお願いできた。
今回の演奏曲
クヌミシータ、サリーリ、プルルーナス。

演奏のレベルもそこそこ上がってきたし、ギターがしっかり支えてくれるので、細部は色々ほころびもあるかもしれないが、まあそれらしい演奏にはなったような気がする。今回選んだ「大福」ケーナも慣れたのか少し細く指穴も小さめで扱いやすいと思った。サンポーニャについてはプルルーナスで出番があったが、テンポが早かったせいか、ほとんど音を出せないうちに曲が終わってしまった 。

これだけいろいろなグループの演奏があると普段知る機会がない楽器などの演奏に触れることができるし、そんな中でキラリと光る演奏に遭遇することが有るのだ。今回はヴァイオリンの迫力に度肝を抜かれたが、その伴奏を急遽引き受けて、微塵も揺るがずやってのけた「I」さんのギターもわかってはいたけれど改めて凄いと思った。そのほかボイストレーニングの方達の歌と一緒に演奏したフルートは、よく鳴っていて美しかったし、フラダンスの先生もビックリするほど見事でした。私達が出演した2部(1~3部中)のみの感想です。

12/16/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-4 ワマン・ポマの挿絵


No.368インディオから情報を収集するポマ

今回はワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」の挿絵ついて検討する。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルー  クスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広め、キリスト教的世界観を持つに至った。
現地の非人道的な統治に苦しめられるインディオを救うためには、過去のインカの時代に戻すのではなく、正しいキリスト教的世界を実現することこそが、その目的に叶うと彼は考えたのだ。
そのため、
スペイン本国に直訴する事を決意し、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわなかったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。

原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。どのような経路でデンマークの図書館に保管されるに至ったかについては多いに興味がわくところだが、ここでは取り上げない。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これを単なる漫画と考え、自分の著作のあちらこちらに、飾りとして使用しているアンデス関係の著作を見たことがあるが、ポマに対して礼を失していると言わざるを得ない。
文字を持たなかった民族の絵に寄せる執念はテレビや新聞、各種出版物、に溢れる時代にドップリつかっている我々にとって想像もできない世界があるかもしれないのだ。
これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、
現に最初に載せた民衆から話を聞くポマ自身の絵は、履物や頭飾りを描き分けることによって4つの異なる地方の人々を表しているそうだ。その他ちょっとした服装の違いで職業を表していたり、十字架を身につけているか否かとか、細かく書き込み、それに意味を持たせている可能性は十分あることは間違いない。
それでは楽器に関すると思われるいくつかの挿絵に絞って検討してみる。
No318 ケーナの演奏


挿絵全体を通して見ると、楽器を演奏している挿絵はそれほど多くはない。この原稿の目的にからしてそれは理解できる。太鼓だけとか伝令の法螺貝のような挿絵を省くと、(No.870)弦楽器が一点、(No318)ケーナらしい笛を丘の上で演奏している(これはテブノーが自著のケーナ曲集の表紙に使用している)、(No.675)リコーダー一本と他の楽器、種類不明なチャルメラ風楽器、(No680) 最初のブログでも取り上げた聖歌隊の少年達がリコーダーを持っている。













サルヴェ・レジナを歌うインディオの少年達





まず最初に気づくことは、少ない数の挿絵で断定はできないのだが、横笛らしい挿絵が一点もないことだ。そして明らかにリコーダーと思われる挿絵が2点、これだけでも「フルート」がリコーダーを指している事の証拠のように思われる。
では聖歌隊がリコーダーらしい楽器を持っている挿絵を検討してみる。中央の少年が持っている楽器の部分も拡大しておく。

挿絵の説明文がサルヴェ・レジナを歌っていると曲名まで書き込んでいる。
聖歌隊の少年達の顔だが、西洋人の顔ではなく、日本人の我々が見ても現地インディオの少年を思わせる顔つきである。省略やデフォルメはあっても的確に表情をとらえているのだ。ポマの優れた描写力がうかがえる。





リコーダーらしき楽器の拡大写真を見ていただきたい。吹き口付近は削られて薄くなっている。窓の部分もしっかり書き込まれている。指穴もしっかり加工されている。そして下側の先端部分は少し裾広がりになっている。これでもリコーダーでないと主張できる人が居るとは思えない。正にルネッサンス型のリコーダーそのものように見える。なぜこのように正確な描写なのだろうか。
たとえばケーナについて考えてみると、ポマを含むインディオにとってケーナの構造など自明のことなので、棒状の楽器を構えていればそれはケーナなのである。(NO.318)
ところがリコーダーを表現するとなると、特徴をしっかり描かなければならない。
ポマは少年たちが清らかに演奏している「フルート」を手にとってケーナとの違いの説明を聞いたに違いない。そうでなければこれだけ的確に特徴を描ける訳がない。
私などポマがリコーダーを演奏できたのではないかと思ってしまう。それほどこの挿絵はリコーダーの特徴をとらえている。

ポマはこの著作の中で統治する官僚たちや場合によっては司祭や伝道師までもがインディオの抑圧に加担していることを告発しているのだ。この原稿が破り捨てられずに後世に残ったことは奇跡に近いことではないだろうか。
ポマの立場はかなり微妙である。過去のインディオの統治には見切りをつけ、かつスペインの統治に対しても激しく告発している。
そのような立場をずっと堅持するのはかなり微妙な部分もあり、批判も浴びたことだろう。


ポマが「キリスト教的世界観」を堅持しつつ著作を書き続けられたのは、教会や身近にいる神父達の影響が大きいのは当然としても、音楽からそのエネルギーを受けていたように思う。
インディオの少年達によるオルガンのようなリコーダーの合奏、それに続いて湧き上がる美しい歌声にインディオの未來を重ね合わせたのではないだろうか。
だからこの一枚の挿絵を曲名まで添えて著作に加えた。
リコーダー愛好家の私にとってはそのように思われるのだ。

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno(1615)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」]

この原稿はデンマーク王立図書館で公開されている Guaman Poma