以前 仕事帰りに、ぼんやりと赤信号の横断歩道の前で立っていた。片側一車線の道路で短い距離なのだが、広い道に合流するので交通量は比較的多い。道の向こう側にも3人ほど信号待ちしている人の姿が見えた。その内の1人がサングラスの女性だった。ア! 白い杖を持っている。・・・
私は信号が青に変わったので慌てて横断歩道を渡り、目的の方向に歩き始めた。そこで先ほどの女性のことをチラリと思い出し、振り向いたのだ。彼女はまだそこにいた。白杖で歩道をカンカンカンと突いている。左折のタクシーが通ったりしているので歩道が渡れないのだ。私は近づき声をかけた「何かお手伝いしましょうか?」女性は「渡りたいんです」 肩に手を触れてもらって誘導するらしいことは思い出したが、どのような体勢で肩に手を触れてもらうか分からない。とりあえず彼女の手が私の腕に触れるようにして歩道を渡りきった。「渡りました」 「ありがとう」・・・
昨日また同じ信号で待っていたら、前方に例の彼女が立っているのが見えた。雰囲気はちょっと変わったようだが、サングラスの形で判る。失礼かとも思ったが、信号のこちら側で観察させてもらった。歩道を杖で軽く突いている。中年の女性が一人また一人と横を通って行くが、気がつかないようだ。 3人目の女性は気がついたらしく1〜2歩近づいたのだが、結局声もかけず信号を渡ってしまった。ダメだ信号が変わってしまう。私は急いで横断歩道を渡り、声をかけた「渡りますか?」 ・・「お願いします」
正しい方法はまだわからなかったけれど、前回よりは落ち着いて誘導することができた。
改めてその横断歩道に一人で立ってみた。近くの大きな信号と同期しているらしく、なかなか青にならない、一旦青になるとかなり長いのだ。そして青に変わる時、合図の音など全くない、だから目の不自由な方にとっては雰囲気で感じるしかないのだ。それなのに左折車などがどんどん進入してくるからさらに判りにくいと思われる。私たちにとって何の変哲もない横断歩道でも多くの問題があるのだ。
先日は盲導犬と一緒に歩いていた方がトラックにはねられ亡くなられた。犬は逃げる事はできたろうに、職務を全うするため主人と運命を共にしたと伝えられている。また目の不自由な姉妹が事故に遭ったとの報道もあった。
社会のこのような問題は多くあるはずなのだが、目につきにくい。関係者も声を上げにくいこともあるかもしれない。車椅子や手話しかり。もっと注意深くこれらの問題に向き合わなければならないと思った。
エレクトーン奏者でもある 平瀬徹さんのホームページ「街で視覚障害者と出会ったら」 は参考になりました。ぜひ目を通していただきたいと思います。
米軍の空母に乗り込み、戦闘機のコックピットに座ってはしゃいでいる「エライ人」がいたけれど情けない。戦争ごっこの好きな子供みたい。こういう方に社会の底辺にあるいろいろな問題に気づくことを期待するのは、そもそも無理なことなのだ。
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