2/16/2014

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-6インカ皇統紀

鋤で畑を耕す。 ワマン・ポマの挿絵

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガの「皇統記」を今回も取り上げる、リコーダーに関係すると思われる文章だけを紹介してきたが、今回はリコーダーは出てこない、しかし、原住民達が土地を耕し、歌を唄う、そこへ教会を含むヨーロッパ文化が合流すると何が起こるか、約450年前の出来事だが、彼の記述は学友が関係していたので、実際に体験しているわけだから、具体的で迫力がある。ぜひ紹介しておきたい。

<以下引用>
第5の書 第2章
「土地の耕作に見られた秩序と、インカ王および太陽の土地の耕作にまつわる祭儀について」
土地を耕し、作物を栽培するにも、調和の取れた秩序があった。・・・・人々はまず太陽の土地を耕し、次に寡婦と孤児の土地、そして高齢や病気のため体が不自由な者たちの土地を耕すことになっていた。これらは皆、気の毒な弱者とみなされ、それゆえインカ王は、彼らの土地を優先して耕すよう、人々に命じたのである。・・・選ばれた人民委員よりラッパか笛で合図があると各自受け持ちの畑に弁当もちで馳せ参ずることが義務付けられていた。・・・・気の毒な弱者達の土地を耕してしまうと、今度は自分達の土地を、互いに助け合って、という言い習わしのとおり、協力して耕作した。・・・ ・・・一番最後に耕作されるのがインカ王の土地であり、これはインディオ全員の共同作業で行われた。王の畑、あるいは太陽の畑へ農作業に出かける時のインディオたちは皆、満足感と喜びに満ちあふれ、最大の祭事のためにとってあった、金銀飾りのついた晴れ着で装い、頭には大きな羽飾りをつけていた。そして、鋤で土を掘り起こしながら、インカを称えてつくられた多くの歌を口ずさんだ。・・・・ そうした歌はすべて、ペルーの共通語で「勝利」を意味する(ハイリ)という言葉に基づいていた。・・一節ごとに(ハイリ)の反復句が唱えられ、それは、インディオたちがうまく土塊をとらえて砕くために鋤を打ち込んでは引き抜く、一定のリズムに合致するように、必要なだけ何度でも繰り返されたのである。・・・・・・

インディオのこうした歌とその調子がひどく気に入ったクスコ大聖堂の聖歌隊指揮者が、1551年か1552年のこと、聖体祭のために、インカの歌を完全に模倣したオルガン合唱曲を作曲した。そして、私の学友であった8人の混血児が、インディオの服装をし、それぞれ鋤を手にして繰り出し、聖体行列の中で、インディオの(ハイリ)の歌を披露したのである。各節の反復句に来ると、聖歌隊員がいっせいに唱和した。スペイン人たちはおおいに満足し、インディオたちは、自分達の歌と踊りでもって、スペイン人が主なる神(この神をインディオたちはパチャマック・・と呼んでいた)の祭礼を執り行うのをみて、有頂天であった。

<引用終わり>

インカ・ガルシラーソが貴族の子孫であれば土地の耕作の秩序を書くのはお手のもの。彼でなければできない描写が続く。
オルガンが鳴り響きそこへ学友のメスティソ達が鋤を手にインカの農耕歌を歌う。「ハイリ!ハイリ!」の唱和の声に、詰めかけた観客たち(スペイン人、インディオ、神父など)からどよめきが上がる。インディオの音楽とヨーロッパ音楽が融合した瞬間だろう。

ワマン・ポマの挿絵の中にも鋤で耕す場面が登場する。「8月トウモロコシを植える為に畑を耕し始める。人々はチチャを飲みハイリを歌う」と説明されているから、この場面にぴったりなので使用させてもらった。

参考文献
岩波書店 大航海時代叢書エクストラ・シリーズ「インカ皇統記」インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ

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