モセーニョ |
今回はピンキージョ、モセーニョについて考察してみる。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代 南米にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりする。
ピンキージョ、モセーニョの発音構造から考えてリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものではないかとの推定は「南米の謎の笛タルカ」に書いたのでそちらも併せてお読みいただきたい。
ピンキージョは現在ケーナ代用品のみやげ物として多くつくられていると思われる。ケーナとほぼ同じサイズでリコーダーと同じ吹き口があり、楽器の表面には模様が描かれたり彫刻があったりする。ペルーなどに行った観光客がケーナの音に魅せられ1本欲しくなっても音を出すのは簡単ではないけれど、ピンキージョなら簡単に音が出せるし値段も手頃に作られている。
「アンデスの家ボリビア」には装飾がない質素なピンキージョがあったから現地では実際に使用されているのだろう。以前テレビで(NHKと思う) 南米の街の紹介で3人ほどの男性が大型のピンキージョと思われる楽器を構える画像があったが、音が聞こえる寸前で画像が切り替わり残念ながら音は聞けなかった。
ストリートミュージシャンなどによって近代に(多分1950年頃から)作り上げられたフォルクローレではケーナが使用されピンキージョの出番は無いように思われるが、いわゆるアウトクトナと呼ばれている伝統的な民謡には使われているらしい。
モセーニョ
楽器が大型になるので本体の管に細い管が添えられていて息を誘導する。通常はこのクルーク(吹き込み管)のある楽器を見ればファゴットを連想するだろう。だからファゴットの影響を指摘することが多いけれども、リコーダー奏者から見たら、バスリコーダーそのものである。これもいわゆるフォルクローレには使用されないが、伝統的なアウトクトナには使用されているらしい。
以下は私の想像です
タルカと同じく教化村崩壊後、関係者によって再度リコーダーが作られた。木材を円筒状に削る旋盤が無いので、最初から円筒状である竹とか葦を使って作った。
一般的にはこのように想像することができるが、更に一歩進めて教化村でリコーダーとして使われていた可能性も十分考えられる。
教化村でリコーダーの合奏をしていたが、数多くのリコーダーが必要になるので、このときすでに代用リコーダーとして竹などを使用したリコーダーが作られていた。それが後世のピンキージョやモセーニョになり民族音楽にも使用されるようになった。
代用の材料を使用することは笛類に限らずチャランゴなどの弦楽器でも行われている。
もともと南米には弦楽器が無かったと言われている。そこへヨーロッパからギターやマンドリンの先祖のような楽器が持ち込まれた時、もちろんちゃんと複製も作られたと思うが、アルマジロの甲羅を楽器の筐体に用いたのだ。それがフォルクローレには欠くことが出来ない楽器チャランゴとなった。教会ではオルガンは必要なためかなり早い時期に南米で作られている。パイプを鋳る材料の錫などが不足しているので竹筒や杉の薄板を巻いたパイプ(セップ神父)を使用したらしい。
このように機転を利かせて手に入る材料で楽器を作ることは日常的に行われていたらしいので、竹や葦でリコーダーを作ることはほとんど抵抗が無かったのではないか。
先に挙げた文献の著者 ワマン・ポマ、モトリニーア神父、ガルシラーソなどは観察者としての能力は卓越しているのだが、実際にリコーダーを作ったり演奏した当事者ではない。
オーストリア出身のイエズス会士 セップ神父は正に当事者だろう。彼の著作にはまだ直接出会ってないのだが、少年時代ウイーン少年合唱団に所属し後にイエズス会士となって南米に渡り 現地の少年たちに音楽を教え、楽器も作った。
「彼の指導で竪琴、バイオリン、クラヴィコード、ファゴット、縦笛、横笛、そしてついにはオルガンまでもつくられるようになった」(注1)
と紹介されているから是非彼の著作を見たいと思う。
巻頭の写真はモセーニョ、吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらった。サイズは2種類あるようだ。下側の短い楽器はピンキージョだと思う。
セップ神父については別項で解っていることだけでもまとめるつもりです。
(注1)「幻の帝国」南米イエズス会士の夢と挫折 伊藤滋子
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