12/29/2013

第15回クリスマスコンサート終了

オカリナサークルの演奏

12月23日恒例のクリスマスコンサートが終了した。今回で15回目だそうだ、よく続けてきたものだ。
平尾りコーダークラブが結成されて最初のコンサートがこのクリスマスコンサート。以来毎年続けているわけだ。
今年も恒例のケーキ、お茶を用意した。演奏団体がひらおオカリナサークルと平尾リコーダークラブの2団体だったのは少しさびしかったかも知れない。

プログラム
オカリナサークル
ムーンリバー・・・H.マンシーニ
雪の降る街を・・・中田喜直
星めぐりの歌・・・・宮澤賢治
心の窓にともしびを・・・中田喜直
ジングルベル・・・アメリカ民謡
カントリーロード・・・J.デンバー
ふるさとは今もかわらず・・・新沼謙治
きよしこの夜・・・F.グルーバー

平尾リコーダークラブ
ジングルベル・・・J.L.ビアボンド
聖なる乙女・・・作者不詳
甘き喜び・・・J.S.バッハ
ウィロビー卿の帰還・・・J.ダウランド
隣人ローランド・・・S.シャイト
コンドルは飛んでいく・・・D.ロブレス
ホワイトクリスマス・・・I.バーリン
神のみ子は・・・賛美歌
グロリア・・・賛美歌
牧人羊を・・・賛美歌
聖夜・・・F.グルーバー
クリスマスメドレー
恒例のケーキと紅茶


お客さんもかなり集まり、毎年ケーキと紅茶の付いたこの会をおぼえていてくださる方もいるのだ。
ただお客さんの数はオカリナサークルが声をかけてくださった方が圧倒的に多い。これは両グループの姿勢の違いが現れているように思う。
オカリナサークルはお客さんと一緒に楽しむ事を大切にしている様に思う。だからコネを最大限使って演奏会に来てもらうことを呼びかけ、会場をクリスマス飾りでいっぱいにするのだ。演奏曲目もお客さん中心で選んでいるのだろう。
一方平尾リコーダークラブは自分達が演奏してみたい曲目を並べ、それがうまく演奏できるかどうかに最大のエネルギーを割いてしまう。その結果としてお客さんの勧誘まで手が回らないことになる。これは大いに反省しなければならないことなのだが、なかなか難しいことでもある。

また演奏内容とは少し違うが、会場の男女の比率はいつもながら考えさせられた。平尾リコーダークラブは女性2:男性3で女性が圧倒的に多いリコーダーの世界では珍しい存在なのだが、当日訪れた男性客は2~3人、全員合計しても女性の1割以下、これは高齢化社会に向かっていく上で由々しき問題であると思われるが、リコーダークラブにとっては手に余る問題である。

リコーダーでPA装置
今回上記プログラムのホワイトクリスマス以降はPA装置を併用した。これは観客の方達により楽しんでもらえるための音量と音色を求めての試みだったが、詳細は別ブログで報告するつもりです。

12/27/2013

ワープ発表会


12月22日ワープの発表会が終わった。
この会場は個人が提供してくれている会場で、多くのグループが使用している。
今回は32グループが演奏した。内容は多彩で、オカリナやウクレレなどの器楽だけではなく、歌やフラダンスのようなものも含まれる。私はループというフォルクローレのグループで参加した。このようにいろいろな方たちが集まっている場だから、全く異なる楽器の練習を覗く機会も多く、交流も盛んなようだ。

そんな訳で他のグループから応援に来てもらう事は簡単なのだ。そしてうまく行けばそのまま定着してしまう事もある。私達のループも当初はケーナサークルとしてスタートしたのだけれども、ギター、パーカッション、ヴォーカルなどが加わり、編成だけはフォルクローレグループの形が整ってきた。さらに今回はボンボ奏者が都合で参加できないのが当日わかったのだが、代役もすぐにお願いできた。
今回の演奏曲
クヌミシータ、サリーリ、プルルーナス。

演奏のレベルもそこそこ上がってきたし、ギターがしっかり支えてくれるので、細部は色々ほころびもあるかもしれないが、まあそれらしい演奏にはなったような気がする。今回選んだ「大福」ケーナも慣れたのか少し細く指穴も小さめで扱いやすいと思った。サンポーニャについてはプルルーナスで出番があったが、テンポが早かったせいか、ほとんど音を出せないうちに曲が終わってしまった 。

これだけいろいろなグループの演奏があると普段知る機会がない楽器などの演奏に触れることができるし、そんな中でキラリと光る演奏に遭遇することが有るのだ。今回はヴァイオリンの迫力に度肝を抜かれたが、その伴奏を急遽引き受けて、微塵も揺るがずやってのけた「I」さんのギターもわかってはいたけれど改めて凄いと思った。そのほかボイストレーニングの方達の歌と一緒に演奏したフルートは、よく鳴っていて美しかったし、フラダンスの先生もビックリするほど見事でした。私達が出演した2部(1~3部中)のみの感想です。

12/16/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-4 ワマン・ポマの挿絵


No.368インディオから情報を収集するポマ

今回はワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」の挿絵ついて検討する。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルー  クスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広め、キリスト教的世界観を持つに至った。
現地の非人道的な統治に苦しめられるインディオを救うためには、過去のインカの時代に戻すのではなく、正しいキリスト教的世界を実現することこそが、その目的に叶うと彼は考えたのだ。
そのため、
スペイン本国に直訴する事を決意し、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわなかったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。

原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。どのような経路でデンマークの図書館に保管されるに至ったかについては多いに興味がわくところだが、ここでは取り上げない。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これを単なる漫画と考え、自分の著作のあちらこちらに、飾りとして使用しているアンデス関係の著作を見たことがあるが、ポマに対して礼を失していると言わざるを得ない。
文字を持たなかった民族の絵に寄せる執念はテレビや新聞、各種出版物、に溢れる時代にドップリつかっている我々にとって想像もできない世界があるかもしれないのだ。
これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、
現に最初に載せた民衆から話を聞くポマ自身の絵は、履物や頭飾りを描き分けることによって4つの異なる地方の人々を表しているそうだ。その他ちょっとした服装の違いで職業を表していたり、十字架を身につけているか否かとか、細かく書き込み、それに意味を持たせている可能性は十分あることは間違いない。
それでは楽器に関すると思われるいくつかの挿絵に絞って検討してみる。
No318 ケーナの演奏


挿絵全体を通して見ると、楽器を演奏している挿絵はそれほど多くはない。この原稿の目的にからしてそれは理解できる。太鼓だけとか伝令の法螺貝のような挿絵を省くと、(No.870)弦楽器が一点、(No318)ケーナらしい笛を丘の上で演奏している(これはテブノーが自著のケーナ曲集の表紙に使用している)、(No.675)リコーダー一本と他の楽器、種類不明なチャルメラ風楽器、(No680) 最初のブログでも取り上げた聖歌隊の少年達がリコーダーを持っている。













サルヴェ・レジナを歌うインディオの少年達





まず最初に気づくことは、少ない数の挿絵で断定はできないのだが、横笛らしい挿絵が一点もないことだ。そして明らかにリコーダーと思われる挿絵が2点、これだけでも「フルート」がリコーダーを指している事の証拠のように思われる。
では聖歌隊がリコーダーらしい楽器を持っている挿絵を検討してみる。中央の少年が持っている楽器の部分も拡大しておく。

挿絵の説明文がサルヴェ・レジナを歌っていると曲名まで書き込んでいる。
聖歌隊の少年達の顔だが、西洋人の顔ではなく、日本人の我々が見ても現地インディオの少年を思わせる顔つきである。省略やデフォルメはあっても的確に表情をとらえているのだ。ポマの優れた描写力がうかがえる。





リコーダーらしき楽器の拡大写真を見ていただきたい。吹き口付近は削られて薄くなっている。窓の部分もしっかり書き込まれている。指穴もしっかり加工されている。そして下側の先端部分は少し裾広がりになっている。これでもリコーダーでないと主張できる人が居るとは思えない。正にルネッサンス型のリコーダーそのものように見える。なぜこのように正確な描写なのだろうか。
たとえばケーナについて考えてみると、ポマを含むインディオにとってケーナの構造など自明のことなので、棒状の楽器を構えていればそれはケーナなのである。(NO.318)
ところがリコーダーを表現するとなると、特徴をしっかり描かなければならない。
ポマは少年たちが清らかに演奏している「フルート」を手にとってケーナとの違いの説明を聞いたに違いない。そうでなければこれだけ的確に特徴を描ける訳がない。
私などポマがリコーダーを演奏できたのではないかと思ってしまう。それほどこの挿絵はリコーダーの特徴をとらえている。

ポマはこの著作の中で統治する官僚たちや場合によっては司祭や伝道師までもがインディオの抑圧に加担していることを告発しているのだ。この原稿が破り捨てられずに後世に残ったことは奇跡に近いことではないだろうか。
ポマの立場はかなり微妙である。過去のインディオの統治には見切りをつけ、かつスペインの統治に対しても激しく告発している。
そのような立場をずっと堅持するのはかなり微妙な部分もあり、批判も浴びたことだろう。


ポマが「キリスト教的世界観」を堅持しつつ著作を書き続けられたのは、教会や身近にいる神父達の影響が大きいのは当然としても、音楽からそのエネルギーを受けていたように思う。
インディオの少年達によるオルガンのようなリコーダーの合奏、それに続いて湧き上がる美しい歌声にインディオの未來を重ね合わせたのではないだろうか。
だからこの一枚の挿絵を曲名まで添えて著作に加えた。
リコーダー愛好家の私にとってはそのように思われるのだ。

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno(1615)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」]

この原稿はデンマーク王立図書館で公開されている Guaman Poma

11/29/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-3 ヌエバ。エスパーニャ

ワマン。ポマによる挿絵(少年達が読み書きを習っている)

ワマン・ポマの挿絵とモトリニーア神父の文章を組み合わせてリコーダーの存在を主張するなど、かなり無茶とも言える話の進め方だ。両者はほぼ同時代ではあるが、ワマン・ポマはペルー国内の伝聞を元にしているし、モトリニーア神父はメキシコ付近で布教活動をしていたのだ。しかしスペインの教会、イエズス会やフランシス会の布教の一環としてのスペイン語や音楽の教育方針はほぼ共通だったのではないかと想像できるし、ラテンアメリカ・・の著者である山本氏もそのような組み合わせてを選択しているのでこの路線でもう少し話を進めて見たい。

モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」は中米に派遣されたフランシス会の神父の本国への報告書である。
モトリニーアの名前はメキシコのナワ語で貧乏人を意味するそうだ。
本国のスペインから送り込まれて来たフランシス会の12名の修道士たちが、ボロボロの修道服なのを見て、現地人たちが「モトリニーア(貧乏人)」とささやきあうのを聞いてそれを自分への呼び名に取り入れたのだそうだ。本名はトリービオ・デ・ペナベンテ修道士。
実際に見聞きしたことに若干誇張した部分があるにしても、全体の流れは、異文化を見下したりすることなく、好奇心、行動力そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。興味深く面白い事柄も多いのだが、このブログでは、リコーダーや音楽に関わると思われる項目を抜き出してみる。核心部分は前述の山本氏の引用部分と同じだが、それ以外の部分も取り上げてみる。少し長くなるが、お付き合いお願いします。「」内が引用部分で、”・・・・”は省略がある事を示している。

   <以下引用>

「第3巻第12章 教えられることはなにごとによらずおぼえてしまう原住民の優れた才覚と器用さについて。彼らは目にしたものはすべてほどなく自らの手で行うようになる」より

「原住民が物事の呑み込みが早いだけではなく、物事を注意深くじっくりと観察する目を具えており、しかもほかの国の人間のように尊大なところも無く、見栄も張らない。」・・・「スペイン語とラテン語の読み方をおぼえるにはたいした時間は要しなかった。」・・・
と賞賛した後 引用された歌に関する文章が続く。引用で省略された部分も書き出してみる。
「3年目の年私たち修道士は原住民に歌を歌うことを教えた。」・・・・「最初に歌を教え始めたのはある老齢の修道士であったが、その時の模様は全く傑作だった。まずこの老修道士は原住民のことばについてはほとんどのまったくなにも知らず、スペイン語しかはなせなかった。にもかかわらず、彼は相手がまるでなんでも聞き分けできるスペイン人であるかのように、懇切丁寧な口調できちんとした内容の説明を原住民の少年たちに対して行うので、彼の話を聞いているわれわれの方がなんとも笑を抑え切れずに困った。他方、少年たちの方はといえば、老修道士が一体何を言おうとしているのかを理解しようと口をポカンと開けたままじいっとそのことばに聴き入っていた。ところが驚いたことには、最初のうちこそ少年たちはなにひとつ老修道士の言っていることも分からず、また通訳をしてくれる者もいなかったにもかかわらず、ほんのしばらくすると少年たちの方が老修道士の言うことを理解するようになり、その結果、立派に歌をおぼえてしまった。
今日では少年のなかには聖歌隊の指揮ができる者がいくらでもいる。優れた才能と大変な記憶力に恵まれた彼らは、自分たちの歌う歌のほとんどを暗唱しており、歌っている最中に楽譜の順序が乱れていたり、楽譜が床に落ちるようなことがあっても、このために歌が途切れたり音が誤ったりするようなことはない。」・・・(少年の聖歌隊員の一人がミサ曲を完成させたエピソード)・・・
原住民はオルガンの代わりに沢山のフルート[注]を使って音楽を奏でる。彼らのフルートの協奏はハーモニーが見事なうえにフルートの数が多いので、本当のオルガン演奏かと思えるほどである。
こうしたオルガン曲を彼らに教えたのはスペインからやってきた幾人かの音楽士であった。音楽士の一行がやって来た時、全員をまとめてその宿舎から食事までの世話をしようという人がここでは見つからなかったので、われわれ修道士が原住民と話をして、音楽士たちを数名ずつ幾つかの村に分けて引き受けてもらった。そして相応の謝礼をする代わりに、音楽を教えてもらうように取り計らったので、この時に原住民は音楽を習う機会を得た。フルートのほかに彼らはチリミーア(クラリネットに似た木製管楽器)[注]も作る。ただし、いまのところはまだその本来の音は出ない。フルートの吹き方を知っていたある原住民の少年がテワカンの町で、ほかの原住民にその吹き方を教えたところ、一ヵ月で全員がミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏ができるようになり、半年もすると立派に一人前のフルート奏者が誕生した。・・・」
「・・・・(原住民がリーベックを作り演奏もできるようになった)・・・」

「第3巻第13章」 「・・・・バンドゥーリア(形はギターに似た12弦楽器で音色はマンドリンに近い)、バイオリン、ハープと言った楽器類も実に多種多様な細工や飾りの付いたものを作り出す。・・・・・・フルートにしても彼らが造ったものは非常に音色がいい。・・・・・」
   <引用終わり>

注(後藤)
フルート ここでは全て、横笛のフルートではなく、ルネッサンスタイプのリコーダーを指すと思われる。
チリミーア 「クラリネットに似ている」となっているが実際はオーボエの様なダブルリードを使用するショームの一種、チリミーアがチャルメラに近い発音であることに注意。
リーベック 洋ナシのような形、通常3弦で弓で弾く

色々な楽器が持ち込まれ、そしてそれらが現地で作られた事がわかる。パンドゥーリア、バイオリン、ハープ、チリミーア、リーベックなどは民間で個人的に使われたのだろう。しかし教会の中では、ミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏をするため少年達に教える必要があったのだ。

フルートがリコーダーの事を指しているのは間違いがないとおもわれる。沢山の楽器を使ってオルガンのような演奏をするとの記述、テワカンの町で吹き方を教えたところ全員が一ヶ月でミサなどの伴奏ができる様になった。等
本国のスペインでもリコーダーの合奏はさかんに行われていたと思われるし、原住民の少年達に初めて音楽を教える神父の立場で考えてもリコーダーが最良の選択肢であることは当時も今も変わらないのではないか。

多くの職人が中南米に渡って来たことが書かれている。仕立屋、馬具職人、金銀細工師、・・・その中にはリコーダー製作者も混じっていたし。その指導を得て現地でもリコーダーが生産されていたに違いない。「彼らが作ったフルートは非常に音色が良い」との記述もある。
またかなりの数が必要なはずだから量産されていたのだろう。場合によっては竹で作られたリコーダーも存在したかもしれない。この件は後で検討したい。

ここでの写真もワマン・ポマの挿絵を使用させてもらう。
少年達が読み書きを学んでいる。左側の譜面立てに乗っているのは楽譜だ。五線譜とト音記号らしき模様が見て取れる。音楽も習うのだろう。

今回の引用は下記による
モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

11/24/2013

大福ケーナ入手

2本のケーナ、奥はアハユ リグナムバイタ製、手前は大福ケーナ

リコーダーと違ってケーナは比較的安く、音色や音の出やすさなど個性がある。
普段ケーナの音に苦労しているが、簡単には上達しない。そんな時新しいケーナに出会うと、音色がちょっと個性的だったり、高音が楽に出そうだったりすると、つい買ってしまうのだ。
先日もフォルクローレグループの I さんが大阪へ出張してケーナを何本か持ってきてくれた。大阪で食堂を経営している女性が作っているのだそうだ。
ちょっと細めで口が合わないため音が出ない。しばらく吹いていると少しずつ音が出るようになった。ピロピロと独特の音色、使えそうな予感がしたので購入してしまった。

写真
茶色の木製ケーナはアハユ リグナムバイタ製 いかにもボリビア製らしく太くて指穴も大きい、そのまま吹くと音程がかなり低い。それをビューと吹き上げて高音に引っ張りあげると実に良い音がする。音程もA440Hz にほぼ合わせることができる。ただ私にとっては高音が少し出しずらいのだ。
3年ほど前新百合ヶ丘駅前でフォルクローレを演奏していたリチャード・コタ氏と親しくなりこの楽器を試奏してもらったことがある。彼はすばらしい音色で演奏した後、これはプロフェッショナルケーナだと絶賛してくれた。私は当時より多少は上達したはずだが、未だに手こずる部分がある。

手前の竹製ケーナは今回入手したケーナ、裏側に大福の焼印がある。細めの管で指穴も比較的小さい。
音程は引っ張りあげなくても、ほぼ440Hz でまとめることができるし高音も出やすい。音色は泣かせる音が比較的出しやすいような気がする。

プロフェッショナル達は多彩な表現と音量を求めて太い管のケーナを吹きこなすのだろう。もちろん我々アマチュアもそれを目指すのが王道なのだろうが、大福ケーナのような道もありかもしれない。しばらく取り組んでみようと思う。

入手した楽器は一見何の飾りも無い竹製のケーナだが、細かく観察すると吹き口部分、指穴、先端の節の部分など細かく配慮されているのがわかる。手馴れたそして女性らしい神経の行き届いた楽器と見た。後で聞いて分かったのだが、竹の材料で9年間寝かせてから加工したとのこと、10年物のケーナだそうだ。
YouTube 製作者の竹田さんが演奏している。


11/16/2013

平尾祭りで演奏


第三文化センターでの演奏
リザーブコンサートの翌日
地域の文化センターのお祭りで演奏した。普段この施設を利用している団体の発表会のような内容、絵画やパッチワーク、が展示してあったり、子供達のゲームがあったりする。私たちはフラダンスの発表の後1時間ほど演奏する時間が割り当ててある。
 
演奏曲目
Dreaming of Home and Mother(旅愁) J.P.Ordway
小さい秋見つけた  中田喜直
里の秋  海沼実
Kanon    Johann Pachelbel
Marche Militaire(in G)  Franz Schubert arr.Robert C.Wslshe
オスマントルコ マーチ「ジェディン・デデン」
大きな古時計~モーツァルト風~ H.ワーク
コンドルは飛んでいく   Daniel A. Robles
童謡メドレー
(証城寺の狸ばやし、あの町この町、あめふり、こがね虫、肩たたき、しゃぼん玉、まりと殿さま、兎のダンス)
昭和歌謡メドレー
(さくら貝の歌、あざみの歌、水色のワルツ)
東京ラプソディー

楽器編成はリコーダー5本 あるいは リコーダー4本+(ギターor打楽器)
オスマントルコマーチではリコーダーを加工して笛膜を張りリード楽器のような音を出してみた
コンドル・・・はケーナでも演奏したことがあるが、今回はアルトリコーダーで演奏した。ケーナとは少し違った”切れ”が出せたと思う。

お客さんがちょっと少なく、「いい演奏なのにもったいない」の声も聞こえた。有難いことだが演奏だけでなく、観客動員も真面目に考えてなくてはならないと思った。

11/10/2013

第27回リザーブコンサート終わりました

27回リザーブコンサート Gクレフの演奏

第27回リザーブコンサート
2013年11月9日(土) 
多摩市関戸公民館 ”ヴィータホール”
参加団体 14

リザーブコンサート終わりました今回は今までと会場が異なり、日曜から土曜に変更になった。
そのため参加を見送った団体や、参加しても全員参加ができないグループもあっただろう。しかし従来の会場が借りられないと言う事態でも開催できたことは幹事団体の並々ならぬご苦労があったと思う。今回の幹事団体は「舞ーザ里座」と「Spica」(蛇足ながら"舞ーザ里"は"ブーザリ"すなわちリザーブをひっくり返して読んでいる)

演奏したどのグループも練習を積み上げてきたことが良くわかる。リコーダーの響きがリアルに伝わってくるのだ。これは会場の規模や残響がリコーダー演奏に適しているのだろう。すべての演奏を書くことはできないが、いくつかを取り上げて見る。

国立第一中学校リコーダー部
初出場で最初の演奏、会場全体が注目する中でスタート・・なんと柔らかい音、決して力まず、それでいて音が会場中にしみわたる。これでいいのだと納得させられてしまう演奏でした。

たまの音楽家
 今回は3名だけの参加だったが、よくまとまっていて気持ちよい。このグループの得意分野はこれだと思わせる演奏

Spica、舞ーザ里座は実力派、難曲も手堅くまとめる

リコーダーアンサンブル☆Gクレフ このグループならではの選曲 工夫もあり、いつも楽しませてくれる。

イル・ヴェンド・カルド・スペチアーレ
このグループは前回までは肩肘を張ったような演奏であまり好きではなかったが、今回はまるでガンバの演奏を聞いているように穏やかに流れた。
もともと個々の実力は高かったのだろうが、今回は全員に意思の統一があり、かつ練習を積み上げてきたことをうかがわせる演奏だった。私は思わず派手に拍手してしまった。

私たちRicco Suono 
まだ未熟な部分はあるが、Cantus Missae は「和声が美しかった」との声も聞かれた。これは私たちが日ごろ練習で目指していることがある程度結実してきたのではないかと思う。Fly Me to the Moon 楽しく演奏できたが、まだ未消化の部分がある。
S先生より頂いたRicco Suono の写真追加しておきます


幹事団体、それと参加の皆さんご苦労様でした。
来年はパルテノン多摩 小ホール 11月第三日曜日と決定しているそうだ。


11/09/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-2

ワマン・ポマ「新しい記録と良き統治」の表紙

南米をスペインなどが征服して属国として統治した時代、イエズス会が布教の一環として楽器などを持ち込み、音楽を教えた。その楽器の中にルネッサンスタイプのリコーダーが含まれていたのではないかと以前のブログに書いたことがある。
アンデスの家ボリビアに行くと、その末裔ではないかと思われる楽器、タルカ、ピンキージョ、モセーニョなどを見ることが出来る。この件に関してもう少し掘り下げてみようと思った。

ラテンアメリカ楽器紀行、山本紀夫著  前回はこの本より引用したのであるが、小冊子にもかかわらず、内容が充実している。氏は文化人類学者として長年にわたる現地調査を積み重ね、かつ楽器と文化人類学との関係に深い関心を持ち、楽器の演奏も現地で指導を受けるなどかなり造詣が深い。楽器への興味だけでなく、文化人類学者としてのバックボーンがあるので、これだけ長期間かつ広範囲の調査が、可能なのだろう。前回楽器についての踏み込みが少し弱いなどと書いてしまったが、申し訳ない、撤回します。
全編に渡り示唆に富む内容で、掲載されている写真も貴重な記録になっている。

さて、以前ブログに取り上げた
スペインの神父モトリニーアの引用部分に添えられていたリコーダーらしき楽器を持った図版は最初から文章に添えられていたのかと思っていたが、実は別な文献によるものだった。図版の説明には、ちゃんと出典が記入されていたのだが、私はそれに気がつかなかった。
モトリーニャ神父の文章は
・モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno,Siglo Veintiuno,Mexico,1980(1613)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」}


 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(新スペイン布教史)
スペインはアステカ帝国、続いてインカ帝国をも滅ぼし、この地をヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と称して統治したのだ。
著者のモトリニーアはフランシス会の神父である。イエズス会ではないが、ここではあまり詮索しない。
大きな流れを見れば、これは侵略であってその結果として、スペインは莫大な利益を得たわけだ。
ほとんどのスペイン人は、一攫千金を願って南米に来たような人間が多かったから、尊大で粗野、現地の文化や歴史など全く興味を示さなかった。しかしそのような流れの中にあって、モトリニーア神父は神父という立場だからと言うより、本質的に人間として対等な立場で周囲に接しているように思う。異文化に接してもそれを見下したりバカにしたりすることなく、好奇心そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルーのクスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広めた。キリスト教的世界観を持つに至り、
現地のずさんな統治に苦しめられるインディオを救うためには、スペイン本国に直訴するのが良いと思いたち、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわずリマで亡くなったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。
原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、まさに百聞は一見にしかずだ。

今回はリコーダーに関係すると思われる文献の紹介だけだが、別途文献別にブログを書いてみたいと思っている。