新装開店した「アンデスの家」ボリビアに行ってみた。吉祥寺にあった店を小平駅前に移転したとのこと。駅からすぐ近くで迷わず見つけることが出来た。
店内は以前より広くチャランゴやケーナが展示されているため選びやすくなった。
ケーナを幾つか試奏させてもらったが、
以前あまり感じなかった楽器の個性の違い(アハユの木管など)も感じることが出来た。
楽器が見やすくなったのと、私自身の演奏能力が前回より僅かに向上したためかも知れない。
魅力的に思われる楽器もあったが、今でも2本のケーナで迷っているし(マルセロ・ペーニャとアハユ木管)
さらに1本増えたら迷いは更に増すに違いない。
福岡さんも「テクニックが未熟なのに楽器のせいにしてあれこれ楽器を取り替えるのは良くない」とのアドバイスもあり
結局新規購入は見送ることにした。
60年代後半からプロ奏者達によって従来の伝統的な音楽からネオフォルクローレとして洗練されていく中でケーナも材質が葦から竹、更に硬木へ、構造もより太く、指孔は大きく変化していき、太管ボリビア運指となるわけだが、
福岡さんはこの間の改良はアハユなどが中心となり試行錯誤の結果として生まれたのではないかと言っておられたが
私はドイツ運指のリコーダーの影響があると思う。
アルトリコーダーはF管(指孔を全部塞ぐとFの音)と呼ばれているが、右手小指まで使用するのでこれを上げたまま使用しないと考えれば最低音がGとなり標準的なG管ケーナとほぼ同じ運指となるのだ。
当時多くのケーナ奏者がヨーロッパへ渡り、また南米音楽に興味を持った多くのヨーロッパ人が南米へ行き、両者の交流の中でケーナが改良されていったことを思えばリコーダーの影響も十分可能性があるのではないか。福岡さんは当時ペルーやボリビアで活動していたケーナ奏者レイモン・テブノーとヒルベルト・ファブレを教えてくれたがこの2人のスイス人が大きな役割を演じた可能性は十分ありうる。今後もう少し調べてみよう。
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