6/17/2018

南米の謎の笛 タルカ

タルカ 2種類 アンデスの家ボリビア にて


南米のフォルクローレと言えばすぐにケーナが出てくる。
しかし現地にはまた別の笛 ピンキージョ、モセーニョ、タルカなどの不思議な笛類が存在する。南米の紹介などで民族衣装を着て、これらの笛を吹いている写真を見ると土着の民族楽器のように思われる。

一般的にはこの3種類の笛はリコーダーと類似であることは言われている、フォルクローレの関係者などでそのような意見が散見される。「アンデスの家」の福岡さんも、なんらかのリコーダーの影響を受けていると言っておられた。

私はさらに一歩進めてスペインポルトガル統治時代に持ち込まれたリコーダーの末裔ではないかと考えている。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりするが、それらは間違いなくリコーダーを指し示している。そしてそれはある時期 特定の場所で起こったことではなく、相互の関連なく時期も場所もバラバラ、つまりかなり長期間 そして南米の広範囲にリコーダーが使用されていたことを示しているだろう。ここまでは当時の貴重な文献による推測で十分な根拠がある。

現地では当然研究が進められていると思われるが、
日本ではこれ以上の資料は入手できないと思われるのでここから先は私の独断で進むことをお許し願いたい。「ピンキージョ、モセーニョ、タルカ は昔持ち込まれたリコーダーの末裔である」
ケーナは竹の筒のようなパイプに息を吹き付けて音を出す(音が出しやすいように切り込みが付いているが)サンポーニャも同様で極めて原始的な発音方式だ、ところがピンキージョ、モセーニョ、タルカはリコーダーと同じウインドウエイ、ラビューム、を有し機能だけではなくその構造まで類似である。これは徐々に改良されたと考えるよりリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものと考えられる。
前述の資料ではフランシス会やイエズス会の修道士達が原住民の教化村を作り自立した生活を保証する、教育を受けた少年たちは見事にリコーダーを合奏し歌を歌う、作曲や指揮ができる少年まで現れる。当然リコーダーの名手も生まれていたはずだ。しかし強欲なスペインやポルトガルの移住者の圧力で最終的には修道士達は国外追放となり教化村は崩壊してしまう。

村から離れた少年は自分でリコーダーを作ってみることにした。リコーダー制作の手伝いもしたことがあるので構造は分かっている。筒状に木を加工するのだが、旋盤など無い、かまぼこ型に木を削り中を彫って溝を作り板を貼ればかまぼこ状の筒ができる。あとはラビュームとウインドウエイを作り、指穴をあければ出来上がり。竹などで代用すればもっと簡単だったと思われるが、少年はあくまで木にこだわったのは、かって使っていたリコーダーが木製だったから。 
現在も演奏されるタルカは大中小と3種類あり3種類同時に演奏するのだそうだ。それも同じ指使いで!リコーダーのソプラノ、アルト、テナーを同じ指使いで同時に演奏することを考えてみれば良い。とんでもない響きになるはずだがその音が人知の及ばぬ世界を表していると考えられているのかもしれない。
この不思議な合奏も以前 教化村で行われていたリコーダー合奏の名残りではないだろうか。ソプラノ、アルト、テナーのようにサイズの異なるリコーダーが大、中、小のタルカに置きかわり、楽譜は失われ忘れ去られてしまった。
・・・いかがでしょうか私の仮説です・・・

巻頭の写真は吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらったタルカ 2種類 他は在庫のケーナ。

ピンキージョ、モセーニョについては別稿で書く予定です。

参考資料
「幻の帝国」 南米イエズス会士の夢と挫折    
 伊藤滋子 同成社  2001年8月10日

6/05/2018

多摩川練習



コレッリ 作品5-11 のソナタ    バロックヴァイオリンのモニカ・ハジェットの演奏があまりに素敵なのでリコーダーで二重奏を約束したY氏に楽譜を送ったのだ。1楽章、2楽章だけだったので軽く考えていたのだが、ム!難しい。 モニカ・ハジェットは軽々と楽しそうに演奏しているのだが、それは確かなテクニックの裏付けあってのこと、16分音符がダダダダダダ・・と続くところなどは、途中から息は乱れ、舌は引きつり、指はもつれ、とても続けられない。
Y氏からは「カラオケ店で練習しましょう」など言ってきているのでモタモタしておれない。
仕事帰りに多摩川の河原で練習するしかないだろう。
久しぶりの多摩川だが快速急行が下車駅の登戸に止まるようになり、おまけに増発までされている。
これは小田急電鉄が私の練習のために便宜をはかってくれたようなものだ。
ケーナは時々持ち込むが、リコーダーは随分久しぶりのような気がする。少年サッカー場なども作られてだいぶ雰囲気が変わってきたが、川岸に岩が並べてあるのは以前と同じ、その一角に腰を下ろす。目の前に川面が広がり、カモ類はもういない。時々コイとおもわれる魚がジャンプしている。遠くでトランペットの練習をしているらしい。

全音の新ブレッサンを組み立てて音を出す。天井がなく音は拡散するだけだから、実にショボい音、でもこれが真の私の音なのだ。
ダメなところは相変わらずなのだが、同じ16分音符の連続でも分散和音になっているところはなんとかできる。そのフレーズを頭の中で歌うことが出来ていれば息も舌も指も連動して動くらしいのだ。ところが単純でも機械的に進行していく場所では歌うことが出来ず、音符を目で追っているので目の反応が少し遅れ、その上 息、舌、指も相互に連動せず途中で破綻してしまうのだ。
突然雲が切れたらしく沈む直前の太陽光が川面に広がる。ふと気がつくと目の前の岩にリコーダーを持った私の影があった。
帰りの電車の中でモニカ・ハジェットを聴く「単純で機械的な進行」ではなかった、実はながーいフレーズなのだ。暗譜して歌えるようになれば多分演奏できるのではないだろうか。