12/21/2018

光るリコーダー



クリスマスの演奏でリコーダーを光らせて見ようと考えた。当然LEDを使用するが、ただ光ったり点滅するだけでは面白くない、演奏に合わせて変化することが必要だ。
1.音の高さを検出して青とか赤に発光する。
2.音量の変化に応じて明るさや点灯数が変化する
私自身で作るのは手に余るので、知人に制作をお願いした。
リコーダーは当然透明な楽器が良いわけで、ヤマハのアルトとソプラノがスケルトンタイプとして売り出された時ピンクのソプラノ バロック運指を一本購入したのだ。通常は木製の楽器を使用するが、曲の内容によってはピンクのスケルトンも効果的で時々使用して来た。今回アルトリコーダーが欲しかったので、楽器屋に寄ってみたらアルトが無いのだ。それにソプラノも色は3色ほどあるが、ドイツ運指のみでバロック運指は無いとのこと。
最初にスケルトンタイプが売り出されたのはもう10年以上前になるかもしれない。その時はソプラノ/アルト、運指もバロック/ドイツ、色も3色ほどあった。時代は変わりモデルチェンジしてソプラノのドイツ運指のみに縮小されてしまったのだろう。
慌ててあちこち探してみたが、痕跡も見つからず、中古市場もスケルトンタイプ自体が出てこない。とりあえずピンクのソプラノ1本でやってみるしかない。

先日電気回路部分のテストを行なったので簡単に紹介します。
シリコンマイクにより音声を感知し、周波数によりLEDが青、緑、黄、橙、赤に発光する。LEDはテープ状のフルカラーだ。
また音量の変化に応じて光量や点灯数が変化する。
電源は小さなリチュウムイオン電池を内蔵している。
最初の設定では、低音から高音になるにしたがって赤→青であったが、感覚的には高音が赤だと思うので、低音→高音 青→赤に変更してもらった。
私の世代の感覚からすると回路や乗数の変更など必要と思うが、パソコンによるプログラム変更だけで出来てしまう。またリコーダーの音域に合わて上手く色配置にしないと発光しない色ができてしまう。
動画ではLED光を直接撮影すると光が強すぎて露出オーバーになり色再現が難しいので紙に反射させて撮影している。
とりあえず再調整して23日のクリスマス演奏会で使ってみるつもりです。


12/17/2018

近江楽堂で演奏した



フラウト・カンタービレ・プレゼンツ
〜細岡ゆき門下生リコーダー発表会〜
2018/12/08(土)  近江楽堂  

近江楽堂でプロ奏者の通奏低音で演奏した。
チェンバロは矢野薫さん、ヴィオラ・ダ・ガンバ は なかやまはるみさん
今回はYさんと二重奏をやりたいと思い何曲か物色してコレッリの二重奏を選んだ。楽譜はRJPでチェンバロ伴奏付きの楽譜を利用させてもらった。
低価格で楽譜や伴奏音源など簡単にダウンロードできるので選曲するのも簡単。 曲は ソナタ Op.1-3 
原曲はヴァイオリンの二重奏だけれどもリコーダー用としてイ長調からハ長調に移調してある。当初は単純に通奏低音付きの二重奏ソナタと考えていたが、原曲をCDなどで聴いてみるとバロックチェロ?も十分に自己主張しているので、トリオソナタと考えてよいと思われる。

トリオソナタ3番 Op.1-3   A.コレッリ
1.Grave   2.Allegro   3.Adagio  4.Allegro 

ペトルッチ楽譜ライブラリーで調べてみると、2台のヴァイオリンとチェロそしてオルガンが指定されているようだ。チェロのパートを通奏低音とは別立てとして(かなりの部分は共通しているが)ヴィオラ・ダ・ガンバにお願いし、チェンバロにもビシビシ決めてもらうことにした。
楽譜はfinale Print Musicを使用して作り直した。チェンバロはレアリゼーションなし、ガンバも別立てのパート譜が必要となる。リコーダーもブレス位置や音符の大きさなど修正した。全曲入力するのは手間もかかったが、一度入力してしまえばスコアもパート譜も自在だし一段に収める小節数も調節できるので、曲の流れに合わせた楽譜がプリントできるのだ。

肝心のYさんとの練習は互いの日程が合わなくて2回しか出来なかった。

本番一週間ほど前の伴奏合わせでは、リコーダーの2人は緊張しているのか少しぎこちない部分もあるが、ガンバとチェンバロがビシリと寄り添ってくれるので、すごく気持ち良い。 Allegro の早い楽章に不安をもっていたが、細岡師匠に指摘されたのはむしろGrave Adagioなどのゆっくりした楽章での息のテンポが速すぎる、「会場の空気をしっかり鳴らしてください」とのこと。

当日のプログラムは私たちが1番目なのでコケるわけにはいかないのだ。
朝から狭い控え室にひしめき、超過密のリハーサル、あっという間の本番、残響が豊富でかつ柔らかいのは、全て曲面壁からの反射だからだろう。しかし冷静に全曲演奏できたわけではない、音をミスすれば「シマッタ」難しい箇所が近づくと「ヤバイ」などの思いが頭に走る。それを打ち消しつつ、流れる音楽に集中する。Yさんのリコーダーの音が聞こえる、ガンバが迫力でグオーと押し、チェンバロがザザーンと決めてくる。・・この流れに乗っかれば良いのだが腰砕けになってしまいそう。今までの練習の貯金がものを言う筈なのだが、貯金の額が不足気味、でも何とか終わりまで漕ぎつけた。

自分の演奏が終われば一気に解放されて、後続のプログラムを楽しむことが出来た。
かなり緊張された演奏者もいたけれど、それぞれ自分の壁を乗り越えているのだ。演奏終わった直後のホッとした表情がいいですね。ガッツポーズの方もいて思わず大拍手した。こちらまで嬉しくなってしまう。

私達の演奏は「思っていたより良かった」との感想をいただいたが、録音(ちょっと失敗)を聴いてみてもとりあえず最後まで繋がったけれど、あまり冴えない感じ。
しかしコレッリの古い楽譜を自分で調べたり、優秀な相棒が手伝ってくれたり、プロのチェンバロとガンバがしっかり支えてくれ、その上 近江楽堂、観客あり・・「贅沢の極み」なのだ。
コレッリはリコーダー奏者にとって宝の山かもしれない。まだしばらくお付き合いさせてもらいます。





9/25/2018

コレッリで上がって演奏止まる

本番前の練習



リコーダーでコレッリのソナタOp.5-9 を演奏していたのだが、めちゃくちゃに上がってしまい、演奏が途中でストップしてしまった。
演奏中に上がってしまう事などここ10年ほど無かったのに。

学生時代の部活のOGOB会で演奏できることになった。
当時指揮者をしていたO君が今はオーケストラでチェロを弾いているので、合奏をお願いした。演奏曲はコレッリのソナタOp.5-9 本来はヴァイオリンでト長調の曲なのだが、リコーダー用にハ長調とし6月にフレンドシップコンサートで演奏したことがある。その時はリコーダー四重奏の編曲だった。練習も比較的時間をかけたので、そこそこの仕上がりで、なんとなく自信があったのだろう。今回は変ホ長調として音が少し高くなりチェロの通奏低音付きだが、お互いに忙しかったので合わせる練習は本番当日の午前中だけだった。それが最大の問題だったと思う。
調が異なるとはいえ以前やった曲なので気楽に考えていたのだ。本番が近づいたので練習を始めたらヤバイ! なめらかに演奏できないのだ。知った曲とはいえフラットが3つもあると難度がかなり高くなる。時間がないので多摩川河川敷練習所でも数回練習したがそれでもモタつく場所が残った。
本番当日の練習場は残響が多く何となく上手くなったような気分、一部指がモタつく箇所があるが何とかなるだろうと本番に臨んだ。
ところがこの会場はやけに残響が少ないのだ、音楽演奏ではなく講演などを目的に作られているのだろう。だから練習会場に比べるとリコーダーの音がやけに貧相に聞こえる。
会場には昔怖かったOBや後輩たちがいる、更に現役の部員まで聴きに来ている。その上プログラムで我々の直前のギター演奏がやけに完璧だった。
演奏は第1楽章第2楽章のみ
第1楽章 Prelude はゆっくりなので余裕しゃくしゃくの筈なのだが、余裕のない演奏でとりあえず終わり。
第2楽章 Giga ではテンポが早くなりリコーダーとチェロで三連音符の掛け合いのように進行するのだが、チェロの三連音符が思っていたリズムと少し異なるような気がして気になってしょうがない、多分チェロの方も違和感があったのではないだろうか。双方の違和感がどんどん増幅し、自分の演奏に集中できない! リズムが乱れ指がもつれて音をいくつか出し損ねた・・・しかし楽譜だけはしっかり目で追っている・・繰り返し・・「よしリベンジだ!」と思ったが、呼吸まで乱れて来てもうメロメロ・・ついに楽譜まで見失い バンザイ!  一旦止めて途中からやり直させてもらってガタガタ状態のまま終了。穴があったら入りたい 
同期の友人が「難しそうな曲だね」などと声をかけてくれるのも、かえって心苦しい。
演奏終了後の立食パーティーではニコニコしながら声をかけてくれた先輩が多かったが、これは失敗が招いた「成果」だったのかもしれない。




9/23/2018

ピンキージョ、モセーニョ

モセーニョ


今回はピンキージョ、モセーニョについて考察してみる。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代 南米にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりする。

ピンキージョ、モセーニョの発音構造から考えてリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものではないかとの推定は「南米の謎の笛タルカ」に書いたのでそちらも併せてお読みいただきたい。

ピンキージョは現在ケーナ代用品のみやげ物として多くつくられていると思われる。ケーナとほぼ同じサイズでリコーダーと同じ吹き口があり、楽器の表面には模様が描かれたり彫刻があったりする。ペルーなどに行った観光客がケーナの音に魅せられ1本欲しくなっても音を出すのは簡単ではないけれど、ピンキージョなら簡単に音が出せるし値段も手頃に作られている。
「アンデスの家ボリビア」には装飾がない質素なピンキージョがあったから現地では実際に使用されているのだろう。以前テレビで(NHKと思う) 南米の街の紹介で3人ほどの男性が大型のピンキージョと思われる楽器を構える画像があったが、音が聞こえる寸前で画像が切り替わり残念ながら音は聞けなかった。
ストリートミュージシャンなどによって近代に(多分1950年頃から)作り上げられたフォルクローレではケーナが使用されピンキージョの出番は無いように思われるが、いわゆるアウトクトナと呼ばれている伝統的な民謡には使われているらしい。

モセーニョ
楽器が大型になるので本体の管に細い管が添えられていて息を誘導する。通常はこのクルーク(吹き込み管)のある楽器を見ればファゴットを連想するだろう。だからファゴットの影響を指摘することが多いけれども、リコーダー奏者から見たら、バスリコーダーそのものである。これもいわゆるフォルクローレには使用されないが、伝統的なアウトクトナには使用されているらしい。

以下は私の想像です
タルカと同じく教化村崩壊後、関係者によって再度リコーダーが作られた。木材を円筒状に削る旋盤が無いので、最初から円筒状である竹とか葦を使って作った。
一般的にはこのように想像することができるが、更に一歩進めて教化村でリコーダーとして使われていた可能性も十分考えられる。
教化村でリコーダーの合奏をしていたが、数多くのリコーダーが必要になるので、このときすでに代用リコーダーとして竹などを使用したリコーダーが作られていた。それが後世のピンキージョやモセーニョになり民族音楽にも使用されるようになった。

代用の材料を使用することは笛類に限らずチャランゴなどの弦楽器でも行われている。
もともと南米には弦楽器が無かったと言われている。そこへヨーロッパからギターやマンドリンの先祖のような楽器が持ち込まれた時、もちろんちゃんと複製も作られたと思うが、アルマジロの甲羅を楽器の筐体に用いたのだ。それがフォルクローレには欠くことが出来ない楽器チャランゴとなった。教会ではオルガンは必要なためかなり早い時期に南米で作られている。パイプを鋳る材料の錫などが不足しているので竹筒や杉の薄板を巻いたパイプ(セップ神父)を使用したらしい。

このように機転を利かせて手に入る材料で楽器を作ることは日常的に行われていたらしいので、竹や葦でリコーダーを作ることはほとんど抵抗が無かったのではないか。

先に挙げた文献の著者  ワマン・ポマ、モトリニーア神父、ガルシラーソなどは観察者としての能力は卓越しているのだが、実際にリコーダーを作ったり演奏した当事者ではない。
 オーストリア出身のイエズス会士 セップ神父は正に当事者だろう。彼の著作にはまだ直接出会ってないのだが、少年時代ウイーン少年合唱団に所属し後にイエズス会士となって南米に渡り 現地の少年たちに音楽を教え、楽器も作った。
「彼の指導で竪琴、バイオリン、クラヴィコード、ファゴット、縦笛、横笛、そしてついにはオルガンまでもつくられるようになった」(注1)
と紹介されているから是非彼の著作を見たいと思う。

巻頭の写真はモセーニョ、吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらった。サイズは2種類あるようだ。下側の短い楽器はピンキージョだと思う。
セップ神父については別項で解っていることだけでもまとめるつもりです。

(注1)「幻の帝国」南米イエズス会士の夢と挫折  伊藤滋子

8/19/2018

ケーナ+リコーダー

中央がケーナ+リコーダー

写真 左から 全音ブレッサン、ケーナ+リコーダー、ケーナ(アハユ)

うろ覚えだし、作り話と思うが、今回妙に符合するような気がして思い出してしまった。

かのアインシュタインが肉体派の某女優に言い寄られた話
「あなたの頭脳で私の身体のような子供は素晴らしいじゃない」
「やめておきましょう、貴女の頭で私の身体だったらマズイでしょう」・・・

リコーダーはよくできた楽器で微妙なバランスの上に成立していると思うが、もう少し表現力を広げたいと思うことがある。音量にしても音程の変化にしても。

私はフォルクローレのグループにも参加していてケーナも少し演奏することが出来る。ケーナはボリビア式で指穴は内径に匹敵するほどの大口径、そのため音は明快でデカイが
クロスフィンガリングがほとんど不可能なのだ。そのため音程は多少ラフな点がある。
多分昔のケーナは指穴は小さかったと想像する。アルゼンチン式のケーナはクロスフィンガリングを前提としているようだし、「アンデスの家ボリビア」に在庫していたピンキージョのようなリコーダータイプの笛類も皆指穴は小さかった。
多分60年代ごろストリートミュージシャン達によってフォルクローレが作り上げられている頃ケーナも街頭でより存在感を出せるよう太くそして指穴は大きくなったのだろう。
(ベームフルートにおけるニコルソンの大指穴フルートの影響を思い出す)

そこで冒頭のアインシュタインではないが、ケーナの歌口を利用した発音の自在さとリコーダーの本体部分を使用した運指の確実さ、を併せ持った楽器を目指した。

以前このブログで紹介した時はガムテープによる仮止めであったが今回は ABS樹脂のパイプによる結合である。

この結合部分はガナッシタイプのリコーダーのように真鍮パイプを使用するつもりであった。
歌口部分に発生するエアリードの振動と管の中に発生する定在波との間で大きなエネルギーのやりとりが行われるので、やわな作りだとエネルギーをロスしてしまうから。

28φ,1mm 厚の真鍮パイプがカタログ上存在しているので、某製作所に見積もりをお願いして見たけれど相手にもされない。少量すぎるのだろう。まあ当然と思うけれど。仕方がないので新宿東急ハンズへ行ってみた。サイズ、材質共に選択肢が限られるが、① アルミパイプ30φ 1mm厚  ② 樹脂パイプ 30φ 2mm 厚 の2種類が使えそうだ。アルミのパイプでは変形の恐れがあるので、樹脂パイプに決定。
ケーナの歌口部分は マルセロ・ペーニャの竹製ケーナを使用
本体部分は全音ブレッサン旧 の中部管と足部管
結合パイプは 樹脂パイプ 30φ 2mm厚 50mm 長
結合部分の処理は樹脂パイプの内径が26mm ケーナ歌口部分の外径が約27mmなので全周を0.5mm程度削り、はめ込んだ。リコーダーの結合部は凧糸を巻いて樹脂パイプの内径に合わ
せた。

性能
音量  大口径大指穴のケーナのような大音量ではなく、リコーダーより少し大きい程度
音程  リコーダーの運指でほぼ全ての音が発音可能、ただしチューナーでドンピシャとなるわけではなく細部の見直しが必要と思われる。
発音の立ち上がり特性  ケーナのように少し遅れる、音量が小さくなったため余計目立ちやすいかもしれない。

楽器自体に習熟することで印象を改善することは期待できるが、使用できる場所が限定される。フォルクローレのグループに持ち込んでもチャランゴなどの個性に圧倒されるだけ。
さりとてリコーダー用のソナタなどではモタついてしまう。

ダニーボーイのような曲が向いているかもしれない、以前リコーダー合奏でナツメロメドレーを演奏したことがある。その中の一曲に美空ひばりの「りんご追分」がありケーナで演奏し尺八風な演奏を目指したが、周囲のリコーダーに音程を合わせるのに苦労した。このような場合かなり有効だろう。

中部管と足部管のリコーダー部分も簡単に交換可能なので、他のリコーダーを試してみるとより良い組み合わせがあるかもしれない。あるいはさらに進めて樹脂パイプで円筒内径のルネッサンスタイプを作るのも試す価値は十分ありそうだ。




7/07/2018

第44回昼下がりのコンサート



6月24日 昼下がりのコンサート終了しました。

プログラム
・涙のパヴァーヌ  ・・・・J.P.Sweelinck
・今こそ別れ・・・・・・J.Dowland
・ソナタ Op.5 No.11  ・・・・A.Corelli
・今日の料理テーマ・・・・富田 勲
・翼を下さい・・・・・・・村井武彦
・琵琶湖周航の歌・・・・・吉田千秋
・メドレー・・・・編曲  高梨征治
  (富士山 さくら貝の歌  あざみの歌 水色のワルツ)
・雨のメドレー・・・・編曲  高梨征治
 (雨ふりお月さん 雨上がり 雨降りくまの子 雨ふり 夏は来ぬ)
・東京ラプソディー・・・・古賀政男

今回はフレンドシップコンサートで紹介されたYさんにコレッリのソナタ 通奏低音のバスリコーダーをお願いした。それぞれ個人的には練習したと思うが、一緒に合奏したのは一回だけちょっと心配だった。
お客さんは普段より少なめ、「他に行事があったのかねー」 などとお客さんのほうが気遣ってくれた。

「涙のパヴァーヌ」はスヴェーリンク編 いつものダウランド編とはだいぶ雰囲気が違う。ウエットではなくかなりドライな感じ、思うにパイプオルガンのための曲ではないだろうか。あまりベタベタの涙でないところが良い。

「今こそ別れ」 リコーダー四重奏の楽譜だったが、最初にリュートで全曲演奏した後、トップパートから順番に演奏に加わる演出を試みた。トップパートはソプラノリコーダーを想定していたようだが、あえてアルトリコーダーを使用した。

コレッリ  ソナタ Op.5 No.11  Yさんと二重奏。今回は練習時間も少ないので、1. Preludio  2.Allegro のみ ヴァイオリンの原曲はホ長調だがアルトリコーダー用としてへ長調に移調してある。第二楽章などは跳躍する部分が一部低い音なのでその部分全体を1オクターブ高くしてある。
第1楽章 Preludio は最低音がF、最高音がC 、もちろんアルトリコーダーを前提とした移調なのだが、最高音のCがきれいに出せるテナーリコーダーなら演奏可能。全体としても低い音が多いのでむしろテナーリコーダーが良いと思われる。 

第2楽章 Allegro へ長調への移調だけではなく、跳躍する部分が1オクターブ高くなっている。これはアルトリコーダーに適合させるためでもあるが、跳躍を伴い華やかな演奏とするにはこの処理は正解かもしれない。
実際ヴァイオリンでの演奏を聴いてみると、華やかに高音で演奏しているように聞こえるが、楽譜をみるとちょっとビックリする。音符がほとんど五線譜内に収まっている。
ヴァイオリンの場合はこれを華やかに弾くことができる。キラキラした高調波を多く含ませる演奏も可能なのだ。試みに音域がほぼ近いテナーリコーダーで演奏してみるとおとなしく響き、場合によっては1オクターブ低く聞こえるかもしれない。これはリコーダーの音が基本波がほとんどで高調波成分が非常に少ないという性質のためだ。
そのため1オクターブ高く移動してアルトリコーダーで演奏すると少しキンキン感はあるが、華やかさも出る。

そんな訳で今回第1楽章 Preludio はテナーリコーダーで演奏し、第2楽章 Allegro でアルトリコーダーに持ち替えた。 ちょと変則だったかもしれない。
第2楽章十六分音符の連続する場所は案の定ズッコケかかったが、Yさんが上手く合わせてくれた。

今日の料理テーマ  テレビの料理番組でおなじみの曲。リコーダーでマリンバ風の演奏は楽しい。メドレー2曲は高梨さんの編曲、よくこれだけ集めたと思う。 時々 唱和する声が聞こえたが、演奏用の編曲だから歌いにくかったと思う。
東京ラプソディー  作曲 古賀政男となっているが、原曲(確かイタリアの曲)をマンドリン演奏で聞いたことがある。前半はよく似ているが、後半の手放しの明るさは東京ラプソディーが断然勝る。
次回は9月30日(日)を予定

7月7日 太田光子/平井み帆「コレッリを夢見て〜出会い〜」近江楽堂 ではコレッリ ソナタ第11番を演奏する、変ロ長調 となっている。どんな演奏だろう。楽しみです。

6/17/2018

南米の謎の笛 タルカ

タルカ 2種類 アンデスの家ボリビア にて


南米のフォルクローレと言えばすぐにケーナが出てくる。
しかし現地にはまた別の笛 ピンキージョ、モセーニョ、タルカなどの不思議な笛類が存在する。南米の紹介などで民族衣装を着て、これらの笛を吹いている写真を見ると土着の民族楽器のように思われる。

一般的にはこの3種類の笛はリコーダーと類似であることは言われている、フォルクローレの関係者などでそのような意見が散見される。「アンデスの家」の福岡さんも、なんらかのリコーダーの影響を受けていると言っておられた。

私はさらに一歩進めてスペインポルトガル統治時代に持ち込まれたリコーダーの末裔ではないかと考えている。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりするが、それらは間違いなくリコーダーを指し示している。そしてそれはある時期 特定の場所で起こったことではなく、相互の関連なく時期も場所もバラバラ、つまりかなり長期間 そして南米の広範囲にリコーダーが使用されていたことを示しているだろう。ここまでは当時の貴重な文献による推測で十分な根拠がある。

現地では当然研究が進められていると思われるが、
日本ではこれ以上の資料は入手できないと思われるのでここから先は私の独断で進むことをお許し願いたい。「ピンキージョ、モセーニョ、タルカ は昔持ち込まれたリコーダーの末裔である」
ケーナは竹の筒のようなパイプに息を吹き付けて音を出す(音が出しやすいように切り込みが付いているが)サンポーニャも同様で極めて原始的な発音方式だ、ところがピンキージョ、モセーニョ、タルカはリコーダーと同じウインドウエイ、ラビューム、を有し機能だけではなくその構造まで類似である。これは徐々に改良されたと考えるよりリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものと考えられる。
前述の資料ではフランシス会やイエズス会の修道士達が原住民の教化村を作り自立した生活を保証する、教育を受けた少年たちは見事にリコーダーを合奏し歌を歌う、作曲や指揮ができる少年まで現れる。当然リコーダーの名手も生まれていたはずだ。しかし強欲なスペインやポルトガルの移住者の圧力で最終的には修道士達は国外追放となり教化村は崩壊してしまう。

村から離れた少年は自分でリコーダーを作ってみることにした。リコーダー制作の手伝いもしたことがあるので構造は分かっている。筒状に木を加工するのだが、旋盤など無い、かまぼこ型に木を削り中を彫って溝を作り板を貼ればかまぼこ状の筒ができる。あとはラビュームとウインドウエイを作り、指穴をあければ出来上がり。竹などで代用すればもっと簡単だったと思われるが、少年はあくまで木にこだわったのは、かって使っていたリコーダーが木製だったから。 
現在も演奏されるタルカは大中小と3種類あり3種類同時に演奏するのだそうだ。それも同じ指使いで!リコーダーのソプラノ、アルト、テナーを同じ指使いで同時に演奏することを考えてみれば良い。とんでもない響きになるはずだがその音が人知の及ばぬ世界を表していると考えられているのかもしれない。
この不思議な合奏も以前 教化村で行われていたリコーダー合奏の名残りではないだろうか。ソプラノ、アルト、テナーのようにサイズの異なるリコーダーが大、中、小のタルカに置きかわり、楽譜は失われ忘れ去られてしまった。
・・・いかがでしょうか私の仮説です・・・

巻頭の写真は吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらったタルカ 2種類 他は在庫のケーナ。

ピンキージョ、モセーニョについては別稿で書く予定です。

参考資料
「幻の帝国」 南米イエズス会士の夢と挫折    
 伊藤滋子 同成社  2001年8月10日

6/05/2018

多摩川練習



コレッリ 作品5-11 のソナタ    バロックヴァイオリンのモニカ・ハジェットの演奏があまりに素敵なのでリコーダーで二重奏を約束したY氏に楽譜を送ったのだ。1楽章、2楽章だけだったので軽く考えていたのだが、ム!難しい。 モニカ・ハジェットは軽々と楽しそうに演奏しているのだが、それは確かなテクニックの裏付けあってのこと、16分音符がダダダダダダ・・と続くところなどは、途中から息は乱れ、舌は引きつり、指はもつれ、とても続けられない。
Y氏からは「カラオケ店で練習しましょう」など言ってきているのでモタモタしておれない。
仕事帰りに多摩川の河原で練習するしかないだろう。
久しぶりの多摩川だが快速急行が下車駅の登戸に止まるようになり、おまけに増発までされている。
これは小田急電鉄が私の練習のために便宜をはかってくれたようなものだ。
ケーナは時々持ち込むが、リコーダーは随分久しぶりのような気がする。少年サッカー場なども作られてだいぶ雰囲気が変わってきたが、川岸に岩が並べてあるのは以前と同じ、その一角に腰を下ろす。目の前に川面が広がり、カモ類はもういない。時々コイとおもわれる魚がジャンプしている。遠くでトランペットの練習をしているらしい。

全音の新ブレッサンを組み立てて音を出す。天井がなく音は拡散するだけだから、実にショボい音、でもこれが真の私の音なのだ。
ダメなところは相変わらずなのだが、同じ16分音符の連続でも分散和音になっているところはなんとかできる。そのフレーズを頭の中で歌うことが出来ていれば息も舌も指も連動して動くらしいのだ。ところが単純でも機械的に進行していく場所では歌うことが出来ず、音符を目で追っているので目の反応が少し遅れ、その上 息、舌、指も相互に連動せず途中で破綻してしまうのだ。
突然雲が切れたらしく沈む直前の太陽光が川面に広がる。ふと気がつくと目の前の岩にリコーダーを持った私の影があった。
帰りの電車の中でモニカ・ハジェットを聴く「単純で機械的な進行」ではなかった、実はながーいフレーズなのだ。暗譜して歌えるようになれば多分演奏できるのではないだろうか。