10/31/2013

「花祭り」その2

アンデスの家ボリビアに展示してある珍しいチャランゴ

フォルクローレの定番で ”El Humahuaqueno”エル・ウマウアケーニョ(直訳はウマウアカの人)「花祭り」という曲がある。
フォルクローレの曲はいろいろあるが、会場の盛り上がりという点ではこの曲の右に出る曲はないだろう。作曲者はエドムンド・サルディバールとなっているが、民謡から採譜したとの説もある。

さて最近と言っても、一年以上前のことになるが、NHKの、「花祭りの村を訪ねて」のような題名でウマウアカの村を取材した番組があった。私は「花祭り」のルーツが明らかになることを期待したのだが、村が過疎化してカーニバルそのものが開催できないような状態になっていた。昔は街道の要所として栄えた村も、都市への集中と交通手段が車になったことによってすっかり寂れてしまったらしい。結局最後まで「花祭り」は出てこなかった。

先日アンデスの家ボリビアに行った時 、福岡さんが麻由美さんと一緒に「花祭り」”El humahuaqueno” の発祥の地と言われるアルゼンチンのウマウアカを訪ねた時の話も話題になった。30年以上前のことになるが、カーニバルを実際に見にいったのだ。私が正式に取材したわけではないので、肝心な部分が抜けていたりするが、「花祭り」に関係しているので、書いてみたい。
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トラックの荷台に他の乗客と一緒に乗り山路を走る。途中でパンクしたり故障したり、大変だったそうだ。そろそろ到着すると思われる頃トラックが停車した。あとどのくらいでウマウアカに到着するか聞いたところ。30分との答えであった。しかしそれは間違いで トラックが出発するまで30分との意味だったのだ。言葉が不自由なための誤解だったのだが、その時はそんな事はわからない。
再度トラックに乗り込み、しばらく走るとまたもやパンクして車から降ろされた。そこで偶然欧米人がいた、やっと話が出来たのだ。なんとウマウアカはもう過ぎたとのこと、先ほど停車した場所がウマウアカだったのだ。そのまま進めばボリビアに行ってしまう。あわてて車から荷物を下ろし、折良く逆方向から来た車があったので強引に頼み込んで乗せてもらってウマウアカにもどることが出来た。カーニバルを見ると言っても現地に到達することが大変だったのだ。
私は思わず身を乗り出して「花祭り」は歌っていましたか? 元歌のような歌はありましたか?と聞いてしまった。福岡さんは笑って、それはわかりませんでしたよ。ウマウアカのカーニバルで歌い継がれてきたということはないようだ 。
続いてここでカーニバルの様子を書くべきなのだが、私は全く聞いていないのだ。情けない。

そのあとウニャ・ラモスの生家を訪ねた。ウマウアカが出身地なのだ。彼はケーナの名手で来日したこともある。本人は不在であったが、父親と面会できて、持参した彼の日本公演の時の写真など手渡した。日本の新幹線の話が伝わっていて話題になった。わざわざ遠方の日本から訪ねて来てくれたことには感激した様子だったそうだ。
しかしもっと驚いたことにウマウアカに住んでいる日本人がいたのだ 。

現地では車を持っている日本人として有名で、福岡さんが宿泊していたホテル?で教えてくれたらしい。麻由美さんと尋ねて車に乗せてもらったりしたが、車が超オンボロのシトロエンでエンジンのあちこちにオイルをさし、それからクランクを手で回すとボロロンとエンジンがかかるのだそうだ。その人の名は今となっては思い出せないし、仕事も何をやっていたか、はっきり覚えていない。福岡さんしばらく考え込んで、布を商売にしていたような気がする。との事。いずれにせよ不思議な日本人だ。
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「花祭り」はサルディバールが1943年発表した。歌詞はその後付け加えられたとされ作詞者が登録されている。
サルディバールが民謡から何らかのインスピレーションを得たと言う可能性は否定できないが、彼の創作と考えても間違いではないようだ。
最初から大ヒットしたわけではなく、
イヴェット・ジローなどがシャンソンとして歌い、その後フォルクローレとして認知された。元の歌詞に”花”は出て来ないが、シャンソンでは異国情緒あふれる夢の世界が歌われていて、花、鳥、水、船 などが登場し、そして題名が「花祭り」である。その題名をそのままフォルクローレの題名に流用したので歌詞と題名にズレが生じてしまったのだ。

1972年ごろ現地で購入したケーナの運指表に「花祭り」が載っていることはすでにこのブログに書いたことがあるが、運指表の横に4曲ドレミで書いた楽譜?がある。一位が「花祭り」二位が「コンドルは飛んで行く」当時でもそれだけ人気があったのだ。

注)
ウマウアカ アルゼンチン北部 フフイ州 の町 ”El Humahuaqueno” エル ウマウアケーニョ「 花祭り」はこの地のカーニバルを歌っている

ウニャ・ラモス 1933.05.27出生 ケーナの名手で作曲家でもある。 「灰色の瞳」など


小林隆雄氏による『福岡稔 小伝』日本におけるフォルクローレの始まりの頃が良くわかる。

イヴェット・ジローによるシャンソン「花祭り」今となっては新鮮にきこえる。


10/18/2013

サンポーニャ 入手

アンデスの家ボリビアに並んでいるサンポーニャとチャランゴ

今私たちのフォルクローレのグループ "Loop"ではプルルーナス(Phuru runas) を練習している。
チャランゴ、ケーナ、サンポーニャがそれぞれ活躍する部分があり、チャランゴはかなりの達人だしケーナもなんとかなりそう、サンポーニャの部分だけがちょっと弱い、サンポーニャの演奏で一つの旋律を二人で演奏する方法がある。トブレとか呼ばれる方法だが、そのためには、私もサンポーニャを演奏する必要がある。そんなことで、サンポーニャを見るため、小平にあるアンデスの家ボリビアに向かった。今月から開店日が変わり、月曜も開店していることがわかったので急に思い立ったのだ。

小平駅前からすぐの店の前に着いてみると鍵がかかっていて中は暗い、しまった電話をしてから来るべきだった。と思いながらインターホンを押して来意を告げると福岡さんが出てきて「今日は誰も来ないようだから横になっていたんだ」などと言いながら店内に入れてくれた。マルタと呼ばれる標準のサンポーニャを選んでいると「自由に音を出していいですよ」などと声をかけてくれる。しかしケーナと違って音を出しても良いと言われてもほとんど音が出ない。管が一本しかないケーナと違って、複数の管を束ねたサンポーニャはあまり厳密に検査するのも意味がないかとも思った。

適当な一台を選び終わると音を聞いていた福岡さんがアドバイスしてくれる。上下の管を吹き分けるとき、楽器をあまり動かさないほうが吹く位置が安定するなど・・そして私がケーナの演奏もまだ一人前でないのにサンポーニャまで手を出していいのだろうかと心配を口にすると、ケーナ奏者はほとんどサンポーニャも演奏する、ケーナ奏者のことをケニスタなどと呼ぶこともあるが、通常はケーナとサンポーニャ両方を演奏するのでビエントス(風の奏者)と呼ばれている。かっこいいでしょう頑張ってください。などと言ってくれる。
ここアンデスの家では楽器も豊富だけれど、福岡さんがいろいろな話をしてくださることが楽しいのだ。

12月発表会のPhuru runasではサンポーニャ2台によるトブレを実現してみよう。

その後 福岡さんが麻由美さんと一緒に「花祭り」El humahuaqueno の発祥の地と言われるアルゼンチンのウマウアカを訪ねた時の話もしてくださったのだが、これは後日書いてみるつもりです。

下はPhuru runas (YouTube)  サンポーニャはトヨと呼ばれる大型の楽器を使用して迫力があるが、私が今回入手した楽器は標準タイプのマルタで長さが43cm程度



Phuru runas YouTube