11/29/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-3 ヌエバ。エスパーニャ

ワマン。ポマによる挿絵(少年達が読み書きを習っている)

ワマン・ポマの挿絵とモトリニーア神父の文章を組み合わせてリコーダーの存在を主張するなど、かなり無茶とも言える話の進め方だ。両者はほぼ同時代ではあるが、ワマン・ポマはペルー国内の伝聞を元にしているし、モトリニーア神父はメキシコ付近で布教活動をしていたのだ。しかしスペインの教会、イエズス会やフランシス会の布教の一環としてのスペイン語や音楽の教育方針はほぼ共通だったのではないかと想像できるし、ラテンアメリカ・・の著者である山本氏もそのような組み合わせてを選択しているのでこの路線でもう少し話を進めて見たい。

モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」は中米に派遣されたフランシス会の神父の本国への報告書である。
モトリニーアの名前はメキシコのナワ語で貧乏人を意味するそうだ。
本国のスペインから送り込まれて来たフランシス会の12名の修道士たちが、ボロボロの修道服なのを見て、現地人たちが「モトリニーア(貧乏人)」とささやきあうのを聞いてそれを自分への呼び名に取り入れたのだそうだ。本名はトリービオ・デ・ペナベンテ修道士。
実際に見聞きしたことに若干誇張した部分があるにしても、全体の流れは、異文化を見下したりすることなく、好奇心、行動力そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。興味深く面白い事柄も多いのだが、このブログでは、リコーダーや音楽に関わると思われる項目を抜き出してみる。核心部分は前述の山本氏の引用部分と同じだが、それ以外の部分も取り上げてみる。少し長くなるが、お付き合いお願いします。「」内が引用部分で、”・・・・”は省略がある事を示している。

   <以下引用>

「第3巻第12章 教えられることはなにごとによらずおぼえてしまう原住民の優れた才覚と器用さについて。彼らは目にしたものはすべてほどなく自らの手で行うようになる」より

「原住民が物事の呑み込みが早いだけではなく、物事を注意深くじっくりと観察する目を具えており、しかもほかの国の人間のように尊大なところも無く、見栄も張らない。」・・・「スペイン語とラテン語の読み方をおぼえるにはたいした時間は要しなかった。」・・・
と賞賛した後 引用された歌に関する文章が続く。引用で省略された部分も書き出してみる。
「3年目の年私たち修道士は原住民に歌を歌うことを教えた。」・・・・「最初に歌を教え始めたのはある老齢の修道士であったが、その時の模様は全く傑作だった。まずこの老修道士は原住民のことばについてはほとんどのまったくなにも知らず、スペイン語しかはなせなかった。にもかかわらず、彼は相手がまるでなんでも聞き分けできるスペイン人であるかのように、懇切丁寧な口調できちんとした内容の説明を原住民の少年たちに対して行うので、彼の話を聞いているわれわれの方がなんとも笑を抑え切れずに困った。他方、少年たちの方はといえば、老修道士が一体何を言おうとしているのかを理解しようと口をポカンと開けたままじいっとそのことばに聴き入っていた。ところが驚いたことには、最初のうちこそ少年たちはなにひとつ老修道士の言っていることも分からず、また通訳をしてくれる者もいなかったにもかかわらず、ほんのしばらくすると少年たちの方が老修道士の言うことを理解するようになり、その結果、立派に歌をおぼえてしまった。
今日では少年のなかには聖歌隊の指揮ができる者がいくらでもいる。優れた才能と大変な記憶力に恵まれた彼らは、自分たちの歌う歌のほとんどを暗唱しており、歌っている最中に楽譜の順序が乱れていたり、楽譜が床に落ちるようなことがあっても、このために歌が途切れたり音が誤ったりするようなことはない。」・・・(少年の聖歌隊員の一人がミサ曲を完成させたエピソード)・・・
原住民はオルガンの代わりに沢山のフルート[注]を使って音楽を奏でる。彼らのフルートの協奏はハーモニーが見事なうえにフルートの数が多いので、本当のオルガン演奏かと思えるほどである。
こうしたオルガン曲を彼らに教えたのはスペインからやってきた幾人かの音楽士であった。音楽士の一行がやって来た時、全員をまとめてその宿舎から食事までの世話をしようという人がここでは見つからなかったので、われわれ修道士が原住民と話をして、音楽士たちを数名ずつ幾つかの村に分けて引き受けてもらった。そして相応の謝礼をする代わりに、音楽を教えてもらうように取り計らったので、この時に原住民は音楽を習う機会を得た。フルートのほかに彼らはチリミーア(クラリネットに似た木製管楽器)[注]も作る。ただし、いまのところはまだその本来の音は出ない。フルートの吹き方を知っていたある原住民の少年がテワカンの町で、ほかの原住民にその吹き方を教えたところ、一ヵ月で全員がミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏ができるようになり、半年もすると立派に一人前のフルート奏者が誕生した。・・・」
「・・・・(原住民がリーベックを作り演奏もできるようになった)・・・」

「第3巻第13章」 「・・・・バンドゥーリア(形はギターに似た12弦楽器で音色はマンドリンに近い)、バイオリン、ハープと言った楽器類も実に多種多様な細工や飾りの付いたものを作り出す。・・・・・・フルートにしても彼らが造ったものは非常に音色がいい。・・・・・」
   <引用終わり>

注(後藤)
フルート ここでは全て、横笛のフルートではなく、ルネッサンスタイプのリコーダーを指すと思われる。
チリミーア 「クラリネットに似ている」となっているが実際はオーボエの様なダブルリードを使用するショームの一種、チリミーアがチャルメラに近い発音であることに注意。
リーベック 洋ナシのような形、通常3弦で弓で弾く

色々な楽器が持ち込まれ、そしてそれらが現地で作られた事がわかる。パンドゥーリア、バイオリン、ハープ、チリミーア、リーベックなどは民間で個人的に使われたのだろう。しかし教会の中では、ミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏をするため少年達に教える必要があったのだ。

フルートがリコーダーの事を指しているのは間違いがないとおもわれる。沢山の楽器を使ってオルガンのような演奏をするとの記述、テワカンの町で吹き方を教えたところ全員が一ヶ月でミサなどの伴奏ができる様になった。等
本国のスペインでもリコーダーの合奏はさかんに行われていたと思われるし、原住民の少年達に初めて音楽を教える神父の立場で考えてもリコーダーが最良の選択肢であることは当時も今も変わらないのではないか。

多くの職人が中南米に渡って来たことが書かれている。仕立屋、馬具職人、金銀細工師、・・・その中にはリコーダー製作者も混じっていたし。その指導を得て現地でもリコーダーが生産されていたに違いない。「彼らが作ったフルートは非常に音色が良い」との記述もある。
またかなりの数が必要なはずだから量産されていたのだろう。場合によっては竹で作られたリコーダーも存在したかもしれない。この件は後で検討したい。

ここでの写真もワマン・ポマの挿絵を使用させてもらう。
少年達が読み書きを学んでいる。左側の譜面立てに乗っているのは楽譜だ。五線譜とト音記号らしき模様が見て取れる。音楽も習うのだろう。

今回の引用は下記による
モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

11/24/2013

大福ケーナ入手

2本のケーナ、奥はアハユ リグナムバイタ製、手前は大福ケーナ

リコーダーと違ってケーナは比較的安く、音色や音の出やすさなど個性がある。
普段ケーナの音に苦労しているが、簡単には上達しない。そんな時新しいケーナに出会うと、音色がちょっと個性的だったり、高音が楽に出そうだったりすると、つい買ってしまうのだ。
先日もフォルクローレグループの I さんが大阪へ出張してケーナを何本か持ってきてくれた。大阪で食堂を経営している女性が作っているのだそうだ。
ちょっと細めで口が合わないため音が出ない。しばらく吹いていると少しずつ音が出るようになった。ピロピロと独特の音色、使えそうな予感がしたので購入してしまった。

写真
茶色の木製ケーナはアハユ リグナムバイタ製 いかにもボリビア製らしく太くて指穴も大きい、そのまま吹くと音程がかなり低い。それをビューと吹き上げて高音に引っ張りあげると実に良い音がする。音程もA440Hz にほぼ合わせることができる。ただ私にとっては高音が少し出しずらいのだ。
3年ほど前新百合ヶ丘駅前でフォルクローレを演奏していたリチャード・コタ氏と親しくなりこの楽器を試奏してもらったことがある。彼はすばらしい音色で演奏した後、これはプロフェッショナルケーナだと絶賛してくれた。私は当時より多少は上達したはずだが、未だに手こずる部分がある。

手前の竹製ケーナは今回入手したケーナ、裏側に大福の焼印がある。細めの管で指穴も比較的小さい。
音程は引っ張りあげなくても、ほぼ440Hz でまとめることができるし高音も出やすい。音色は泣かせる音が比較的出しやすいような気がする。

プロフェッショナル達は多彩な表現と音量を求めて太い管のケーナを吹きこなすのだろう。もちろん我々アマチュアもそれを目指すのが王道なのだろうが、大福ケーナのような道もありかもしれない。しばらく取り組んでみようと思う。

入手した楽器は一見何の飾りも無い竹製のケーナだが、細かく観察すると吹き口部分、指穴、先端の節の部分など細かく配慮されているのがわかる。手馴れたそして女性らしい神経の行き届いた楽器と見た。後で聞いて分かったのだが、竹の材料で9年間寝かせてから加工したとのこと、10年物のケーナだそうだ。
YouTube 製作者の竹田さんが演奏している。


11/16/2013

平尾祭りで演奏


第三文化センターでの演奏
リザーブコンサートの翌日
地域の文化センターのお祭りで演奏した。普段この施設を利用している団体の発表会のような内容、絵画やパッチワーク、が展示してあったり、子供達のゲームがあったりする。私たちはフラダンスの発表の後1時間ほど演奏する時間が割り当ててある。
 
演奏曲目
Dreaming of Home and Mother(旅愁) J.P.Ordway
小さい秋見つけた  中田喜直
里の秋  海沼実
Kanon    Johann Pachelbel
Marche Militaire(in G)  Franz Schubert arr.Robert C.Wslshe
オスマントルコ マーチ「ジェディン・デデン」
大きな古時計~モーツァルト風~ H.ワーク
コンドルは飛んでいく   Daniel A. Robles
童謡メドレー
(証城寺の狸ばやし、あの町この町、あめふり、こがね虫、肩たたき、しゃぼん玉、まりと殿さま、兎のダンス)
昭和歌謡メドレー
(さくら貝の歌、あざみの歌、水色のワルツ)
東京ラプソディー

楽器編成はリコーダー5本 あるいは リコーダー4本+(ギターor打楽器)
オスマントルコマーチではリコーダーを加工して笛膜を張りリード楽器のような音を出してみた
コンドル・・・はケーナでも演奏したことがあるが、今回はアルトリコーダーで演奏した。ケーナとは少し違った”切れ”が出せたと思う。

お客さんがちょっと少なく、「いい演奏なのにもったいない」の声も聞こえた。有難いことだが演奏だけでなく、観客動員も真面目に考えてなくてはならないと思った。

11/10/2013

第27回リザーブコンサート終わりました

27回リザーブコンサート Gクレフの演奏

第27回リザーブコンサート
2013年11月9日(土) 
多摩市関戸公民館 ”ヴィータホール”
参加団体 14

リザーブコンサート終わりました今回は今までと会場が異なり、日曜から土曜に変更になった。
そのため参加を見送った団体や、参加しても全員参加ができないグループもあっただろう。しかし従来の会場が借りられないと言う事態でも開催できたことは幹事団体の並々ならぬご苦労があったと思う。今回の幹事団体は「舞ーザ里座」と「Spica」(蛇足ながら"舞ーザ里"は"ブーザリ"すなわちリザーブをひっくり返して読んでいる)

演奏したどのグループも練習を積み上げてきたことが良くわかる。リコーダーの響きがリアルに伝わってくるのだ。これは会場の規模や残響がリコーダー演奏に適しているのだろう。すべての演奏を書くことはできないが、いくつかを取り上げて見る。

国立第一中学校リコーダー部
初出場で最初の演奏、会場全体が注目する中でスタート・・なんと柔らかい音、決して力まず、それでいて音が会場中にしみわたる。これでいいのだと納得させられてしまう演奏でした。

たまの音楽家
 今回は3名だけの参加だったが、よくまとまっていて気持ちよい。このグループの得意分野はこれだと思わせる演奏

Spica、舞ーザ里座は実力派、難曲も手堅くまとめる

リコーダーアンサンブル☆Gクレフ このグループならではの選曲 工夫もあり、いつも楽しませてくれる。

イル・ヴェンド・カルド・スペチアーレ
このグループは前回までは肩肘を張ったような演奏であまり好きではなかったが、今回はまるでガンバの演奏を聞いているように穏やかに流れた。
もともと個々の実力は高かったのだろうが、今回は全員に意思の統一があり、かつ練習を積み上げてきたことをうかがわせる演奏だった。私は思わず派手に拍手してしまった。

私たちRicco Suono 
まだ未熟な部分はあるが、Cantus Missae は「和声が美しかった」との声も聞かれた。これは私たちが日ごろ練習で目指していることがある程度結実してきたのではないかと思う。Fly Me to the Moon 楽しく演奏できたが、まだ未消化の部分がある。
S先生より頂いたRicco Suono の写真追加しておきます


幹事団体、それと参加の皆さんご苦労様でした。
来年はパルテノン多摩 小ホール 11月第三日曜日と決定しているそうだ。


11/09/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-2

ワマン・ポマ「新しい記録と良き統治」の表紙

南米をスペインなどが征服して属国として統治した時代、イエズス会が布教の一環として楽器などを持ち込み、音楽を教えた。その楽器の中にルネッサンスタイプのリコーダーが含まれていたのではないかと以前のブログに書いたことがある。
アンデスの家ボリビアに行くと、その末裔ではないかと思われる楽器、タルカ、ピンキージョ、モセーニョなどを見ることが出来る。この件に関してもう少し掘り下げてみようと思った。

ラテンアメリカ楽器紀行、山本紀夫著  前回はこの本より引用したのであるが、小冊子にもかかわらず、内容が充実している。氏は文化人類学者として長年にわたる現地調査を積み重ね、かつ楽器と文化人類学との関係に深い関心を持ち、楽器の演奏も現地で指導を受けるなどかなり造詣が深い。楽器への興味だけでなく、文化人類学者としてのバックボーンがあるので、これだけ長期間かつ広範囲の調査が、可能なのだろう。前回楽器についての踏み込みが少し弱いなどと書いてしまったが、申し訳ない、撤回します。
全編に渡り示唆に富む内容で、掲載されている写真も貴重な記録になっている。

さて、以前ブログに取り上げた
スペインの神父モトリニーアの引用部分に添えられていたリコーダーらしき楽器を持った図版は最初から文章に添えられていたのかと思っていたが、実は別な文献によるものだった。図版の説明には、ちゃんと出典が記入されていたのだが、私はそれに気がつかなかった。
モトリーニャ神父の文章は
・モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno,Siglo Veintiuno,Mexico,1980(1613)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」}


 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(新スペイン布教史)
スペインはアステカ帝国、続いてインカ帝国をも滅ぼし、この地をヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と称して統治したのだ。
著者のモトリニーアはフランシス会の神父である。イエズス会ではないが、ここではあまり詮索しない。
大きな流れを見れば、これは侵略であってその結果として、スペインは莫大な利益を得たわけだ。
ほとんどのスペイン人は、一攫千金を願って南米に来たような人間が多かったから、尊大で粗野、現地の文化や歴史など全く興味を示さなかった。しかしそのような流れの中にあって、モトリニーア神父は神父という立場だからと言うより、本質的に人間として対等な立場で周囲に接しているように思う。異文化に接してもそれを見下したりバカにしたりすることなく、好奇心そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルーのクスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広めた。キリスト教的世界観を持つに至り、
現地のずさんな統治に苦しめられるインディオを救うためには、スペイン本国に直訴するのが良いと思いたち、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわずリマで亡くなったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。
原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、まさに百聞は一見にしかずだ。

今回はリコーダーに関係すると思われる文献の紹介だけだが、別途文献別にブログを書いてみたいと思っている。

11/07/2013

第27回リザーブコンサート

第27回リザーブコンサート

2013年11月9日 (土)
会場 ヴィータホール(多摩市関戸公民館) 京王線 聖蹟桜ヶ丘駅 徒歩1分
 
今年もリザーブコンサート開催される。ただ例年と大きく異なる点は、演奏会場と日時が変更になる。今まで毎年使用してきた会場が、借りられなくなったためだが、これはしかたのないことだ。今後の運営も少し変えていかなければならないだろう。
開催曜日が変更になった為参加できない団体がある反面、新規に参加してくる団体もある。今回は何と言っても国立市立国立第一中学校リコーダー部だろう。
おばさん、おじさん達の従来の団体とは 成り立ちや練習量も大きく異なる。どんな演奏なのか興味深々だ。もちろん彼らだってそうだろう。

参加団体の演奏順番と開始時間を書いておきます。これは主催者から最初の連絡で、その後変更や訂正があるかもしれないことをご承知おき下さい 。

 1.国立市立国立第一中学校リコーダー部 13:00-
 2.リコーダーコンソート青葉・・・・・・・・・・・    13:12-
 3.スプリングウインド・・・・・・・・・・・・・・・・     13:24-
 4.Ricco Suono・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      13:36-
 5.パフ…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・         13:48-
 6.アンサンブルO・・・・・・・・・・・・・・・      14:00-
 7.武蔵野リコーダーコンソート・・・・・・・   14:12-
  <休息>
 8.Spica・・・・・・・・・・・・・・・・・・         14:40-
 9.すずしろリコーダークラブ・・・・・・・・        14:52-
10.リコーダーアンサンブル☆Gクレフ・・・    15:04-
11.パランポラン・・・・・・・・・・・・                 15:16-
12.たまの音楽家・・・・・・・・・                    15:28-
13.イル・ヴェント・カルド・スペチアーレ・・    15:40-
14.舞ーザ里座・・・・・・                            15:52-


私はRicco Suono の一員として参加します。
曲は
Cantus Missae  Josef Gabriel RheinBerger
Fly Me to the Moon  Bart Howard/細岡ゆき

演奏終了後の打ち上げでは、色々な団体の方と話ができるので、収穫も多いのだ。
ただ翌日はHRCとして地域の文化センター祭りで演奏するので、アルコールはそこそこにしておかなければならない。
こちらはHRCとして単独での演奏なので曲数が多く、気が抜けない曲が並んでいる。本日木曜日が最終演習なので、先ほどまで練習してきたが、全て完璧というわけにはいかない。まあなんとかなるとは思う。