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9/23/2018

ピンキージョ、モセーニョ

モセーニョ


今回はピンキージョ、モセーニョについて考察してみる。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代 南米にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりする。

ピンキージョ、モセーニョの発音構造から考えてリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものではないかとの推定は「南米の謎の笛タルカ」に書いたのでそちらも併せてお読みいただきたい。

ピンキージョは現在ケーナ代用品のみやげ物として多くつくられていると思われる。ケーナとほぼ同じサイズでリコーダーと同じ吹き口があり、楽器の表面には模様が描かれたり彫刻があったりする。ペルーなどに行った観光客がケーナの音に魅せられ1本欲しくなっても音を出すのは簡単ではないけれど、ピンキージョなら簡単に音が出せるし値段も手頃に作られている。
「アンデスの家ボリビア」には装飾がない質素なピンキージョがあったから現地では実際に使用されているのだろう。以前テレビで(NHKと思う) 南米の街の紹介で3人ほどの男性が大型のピンキージョと思われる楽器を構える画像があったが、音が聞こえる寸前で画像が切り替わり残念ながら音は聞けなかった。
ストリートミュージシャンなどによって近代に(多分1950年頃から)作り上げられたフォルクローレではケーナが使用されピンキージョの出番は無いように思われるが、いわゆるアウトクトナと呼ばれている伝統的な民謡には使われているらしい。

モセーニョ
楽器が大型になるので本体の管に細い管が添えられていて息を誘導する。通常はこのクルーク(吹き込み管)のある楽器を見ればファゴットを連想するだろう。だからファゴットの影響を指摘することが多いけれども、リコーダー奏者から見たら、バスリコーダーそのものである。これもいわゆるフォルクローレには使用されないが、伝統的なアウトクトナには使用されているらしい。

以下は私の想像です
タルカと同じく教化村崩壊後、関係者によって再度リコーダーが作られた。木材を円筒状に削る旋盤が無いので、最初から円筒状である竹とか葦を使って作った。
一般的にはこのように想像することができるが、更に一歩進めて教化村でリコーダーとして使われていた可能性も十分考えられる。
教化村でリコーダーの合奏をしていたが、数多くのリコーダーが必要になるので、このときすでに代用リコーダーとして竹などを使用したリコーダーが作られていた。それが後世のピンキージョやモセーニョになり民族音楽にも使用されるようになった。

代用の材料を使用することは笛類に限らずチャランゴなどの弦楽器でも行われている。
もともと南米には弦楽器が無かったと言われている。そこへヨーロッパからギターやマンドリンの先祖のような楽器が持ち込まれた時、もちろんちゃんと複製も作られたと思うが、アルマジロの甲羅を楽器の筐体に用いたのだ。それがフォルクローレには欠くことが出来ない楽器チャランゴとなった。教会ではオルガンは必要なためかなり早い時期に南米で作られている。パイプを鋳る材料の錫などが不足しているので竹筒や杉の薄板を巻いたパイプ(セップ神父)を使用したらしい。

このように機転を利かせて手に入る材料で楽器を作ることは日常的に行われていたらしいので、竹や葦でリコーダーを作ることはほとんど抵抗が無かったのではないか。

先に挙げた文献の著者  ワマン・ポマ、モトリニーア神父、ガルシラーソなどは観察者としての能力は卓越しているのだが、実際にリコーダーを作ったり演奏した当事者ではない。
 オーストリア出身のイエズス会士 セップ神父は正に当事者だろう。彼の著作にはまだ直接出会ってないのだが、少年時代ウイーン少年合唱団に所属し後にイエズス会士となって南米に渡り 現地の少年たちに音楽を教え、楽器も作った。
「彼の指導で竪琴、バイオリン、クラヴィコード、ファゴット、縦笛、横笛、そしてついにはオルガンまでもつくられるようになった」(注1)
と紹介されているから是非彼の著作を見たいと思う。

巻頭の写真はモセーニョ、吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらった。サイズは2種類あるようだ。下側の短い楽器はピンキージョだと思う。
セップ神父については別項で解っていることだけでもまとめるつもりです。

(注1)「幻の帝国」南米イエズス会士の夢と挫折  伊藤滋子

6/17/2018

南米の謎の笛 タルカ

タルカ 2種類 アンデスの家ボリビア にて


南米のフォルクローレと言えばすぐにケーナが出てくる。
しかし現地にはまた別の笛 ピンキージョ、モセーニョ、タルカなどの不思議な笛類が存在する。南米の紹介などで民族衣装を着て、これらの笛を吹いている写真を見ると土着の民族楽器のように思われる。

一般的にはこの3種類の笛はリコーダーと類似であることは言われている、フォルクローレの関係者などでそのような意見が散見される。「アンデスの家」の福岡さんも、なんらかのリコーダーの影響を受けていると言っておられた。

私はさらに一歩進めてスペインポルトガル統治時代に持ち込まれたリコーダーの末裔ではないかと考えている。
このブログではスペイン、ポルトガルの統治時代にリコーダーが持ち込まれたと主張してきた。(中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡)それはワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」(2013/12/16)のイラストであったり、モトリニーア神父「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(2013/11/29)あるいはガルシラーソ「皇統記」(2014/2/16)などであったりするが、それらは間違いなくリコーダーを指し示している。そしてそれはある時期 特定の場所で起こったことではなく、相互の関連なく時期も場所もバラバラ、つまりかなり長期間 そして南米の広範囲にリコーダーが使用されていたことを示しているだろう。ここまでは当時の貴重な文献による推測で十分な根拠がある。

現地では当然研究が進められていると思われるが、
日本ではこれ以上の資料は入手できないと思われるのでここから先は私の独断で進むことをお許し願いたい。「ピンキージョ、モセーニョ、タルカ は昔持ち込まれたリコーダーの末裔である」
ケーナは竹の筒のようなパイプに息を吹き付けて音を出す(音が出しやすいように切り込みが付いているが)サンポーニャも同様で極めて原始的な発音方式だ、ところがピンキージョ、モセーニョ、タルカはリコーダーと同じウインドウエイ、ラビューム、を有し機能だけではなくその構造まで類似である。これは徐々に改良されたと考えるよりリコーダーの模倣あるいはリコーダーそのものと考えられる。
前述の資料ではフランシス会やイエズス会の修道士達が原住民の教化村を作り自立した生活を保証する、教育を受けた少年たちは見事にリコーダーを合奏し歌を歌う、作曲や指揮ができる少年まで現れる。当然リコーダーの名手も生まれていたはずだ。しかし強欲なスペインやポルトガルの移住者の圧力で最終的には修道士達は国外追放となり教化村は崩壊してしまう。

村から離れた少年は自分でリコーダーを作ってみることにした。リコーダー制作の手伝いもしたことがあるので構造は分かっている。筒状に木を加工するのだが、旋盤など無い、かまぼこ型に木を削り中を彫って溝を作り板を貼ればかまぼこ状の筒ができる。あとはラビュームとウインドウエイを作り、指穴をあければ出来上がり。竹などで代用すればもっと簡単だったと思われるが、少年はあくまで木にこだわったのは、かって使っていたリコーダーが木製だったから。 
現在も演奏されるタルカは大中小と3種類あり3種類同時に演奏するのだそうだ。それも同じ指使いで!リコーダーのソプラノ、アルト、テナーを同じ指使いで同時に演奏することを考えてみれば良い。とんでもない響きになるはずだがその音が人知の及ばぬ世界を表していると考えられているのかもしれない。
この不思議な合奏も以前 教化村で行われていたリコーダー合奏の名残りではないだろうか。ソプラノ、アルト、テナーのようにサイズの異なるリコーダーが大、中、小のタルカに置きかわり、楽譜は失われ忘れ去られてしまった。
・・・いかがでしょうか私の仮説です・・・

巻頭の写真は吉祥寺時代のアンデスの家ボリビアで撮影させてもらったタルカ 2種類 他は在庫のケーナ。

ピンキージョ、モセーニョについては別稿で書く予定です。

参考資料
「幻の帝国」 南米イエズス会士の夢と挫折    
 伊藤滋子 同成社  2001年8月10日

12/16/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-4 ワマン・ポマの挿絵


No.368インディオから情報を収集するポマ

今回はワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」の挿絵ついて検討する。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルー  クスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広め、キリスト教的世界観を持つに至った。
現地の非人道的な統治に苦しめられるインディオを救うためには、過去のインカの時代に戻すのではなく、正しいキリスト教的世界を実現することこそが、その目的に叶うと彼は考えたのだ。
そのため、
スペイン本国に直訴する事を決意し、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわなかったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。

原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。どのような経路でデンマークの図書館に保管されるに至ったかについては多いに興味がわくところだが、ここでは取り上げない。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これを単なる漫画と考え、自分の著作のあちらこちらに、飾りとして使用しているアンデス関係の著作を見たことがあるが、ポマに対して礼を失していると言わざるを得ない。
文字を持たなかった民族の絵に寄せる執念はテレビや新聞、各種出版物、に溢れる時代にドップリつかっている我々にとって想像もできない世界があるかもしれないのだ。
これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、
現に最初に載せた民衆から話を聞くポマ自身の絵は、履物や頭飾りを描き分けることによって4つの異なる地方の人々を表しているそうだ。その他ちょっとした服装の違いで職業を表していたり、十字架を身につけているか否かとか、細かく書き込み、それに意味を持たせている可能性は十分あることは間違いない。
それでは楽器に関すると思われるいくつかの挿絵に絞って検討してみる。
No318 ケーナの演奏


挿絵全体を通して見ると、楽器を演奏している挿絵はそれほど多くはない。この原稿の目的にからしてそれは理解できる。太鼓だけとか伝令の法螺貝のような挿絵を省くと、(No.870)弦楽器が一点、(No318)ケーナらしい笛を丘の上で演奏している(これはテブノーが自著のケーナ曲集の表紙に使用している)、(No.675)リコーダー一本と他の楽器、種類不明なチャルメラ風楽器、(No680) 最初のブログでも取り上げた聖歌隊の少年達がリコーダーを持っている。













サルヴェ・レジナを歌うインディオの少年達





まず最初に気づくことは、少ない数の挿絵で断定はできないのだが、横笛らしい挿絵が一点もないことだ。そして明らかにリコーダーと思われる挿絵が2点、これだけでも「フルート」がリコーダーを指している事の証拠のように思われる。
では聖歌隊がリコーダーらしい楽器を持っている挿絵を検討してみる。中央の少年が持っている楽器の部分も拡大しておく。

挿絵の説明文がサルヴェ・レジナを歌っていると曲名まで書き込んでいる。
聖歌隊の少年達の顔だが、西洋人の顔ではなく、日本人の我々が見ても現地インディオの少年を思わせる顔つきである。省略やデフォルメはあっても的確に表情をとらえているのだ。ポマの優れた描写力がうかがえる。





リコーダーらしき楽器の拡大写真を見ていただきたい。吹き口付近は削られて薄くなっている。窓の部分もしっかり書き込まれている。指穴もしっかり加工されている。そして下側の先端部分は少し裾広がりになっている。これでもリコーダーでないと主張できる人が居るとは思えない。正にルネッサンス型のリコーダーそのものように見える。なぜこのように正確な描写なのだろうか。
たとえばケーナについて考えてみると、ポマを含むインディオにとってケーナの構造など自明のことなので、棒状の楽器を構えていればそれはケーナなのである。(NO.318)
ところがリコーダーを表現するとなると、特徴をしっかり描かなければならない。
ポマは少年たちが清らかに演奏している「フルート」を手にとってケーナとの違いの説明を聞いたに違いない。そうでなければこれだけ的確に特徴を描ける訳がない。
私などポマがリコーダーを演奏できたのではないかと思ってしまう。それほどこの挿絵はリコーダーの特徴をとらえている。

ポマはこの著作の中で統治する官僚たちや場合によっては司祭や伝道師までもがインディオの抑圧に加担していることを告発しているのだ。この原稿が破り捨てられずに後世に残ったことは奇跡に近いことではないだろうか。
ポマの立場はかなり微妙である。過去のインディオの統治には見切りをつけ、かつスペインの統治に対しても激しく告発している。
そのような立場をずっと堅持するのはかなり微妙な部分もあり、批判も浴びたことだろう。


ポマが「キリスト教的世界観」を堅持しつつ著作を書き続けられたのは、教会や身近にいる神父達の影響が大きいのは当然としても、音楽からそのエネルギーを受けていたように思う。
インディオの少年達によるオルガンのようなリコーダーの合奏、それに続いて湧き上がる美しい歌声にインディオの未來を重ね合わせたのではないだろうか。
だからこの一枚の挿絵を曲名まで添えて著作に加えた。
リコーダー愛好家の私にとってはそのように思われるのだ。

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno(1615)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」]

この原稿はデンマーク王立図書館で公開されている Guaman Poma

11/29/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-3 ヌエバ。エスパーニャ

ワマン。ポマによる挿絵(少年達が読み書きを習っている)

ワマン・ポマの挿絵とモトリニーア神父の文章を組み合わせてリコーダーの存在を主張するなど、かなり無茶とも言える話の進め方だ。両者はほぼ同時代ではあるが、ワマン・ポマはペルー国内の伝聞を元にしているし、モトリニーア神父はメキシコ付近で布教活動をしていたのだ。しかしスペインの教会、イエズス会やフランシス会の布教の一環としてのスペイン語や音楽の教育方針はほぼ共通だったのではないかと想像できるし、ラテンアメリカ・・の著者である山本氏もそのような組み合わせてを選択しているのでこの路線でもう少し話を進めて見たい。

モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」は中米に派遣されたフランシス会の神父の本国への報告書である。
モトリニーアの名前はメキシコのナワ語で貧乏人を意味するそうだ。
本国のスペインから送り込まれて来たフランシス会の12名の修道士たちが、ボロボロの修道服なのを見て、現地人たちが「モトリニーア(貧乏人)」とささやきあうのを聞いてそれを自分への呼び名に取り入れたのだそうだ。本名はトリービオ・デ・ペナベンテ修道士。
実際に見聞きしたことに若干誇張した部分があるにしても、全体の流れは、異文化を見下したりすることなく、好奇心、行動力そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。興味深く面白い事柄も多いのだが、このブログでは、リコーダーや音楽に関わると思われる項目を抜き出してみる。核心部分は前述の山本氏の引用部分と同じだが、それ以外の部分も取り上げてみる。少し長くなるが、お付き合いお願いします。「」内が引用部分で、”・・・・”は省略がある事を示している。

   <以下引用>

「第3巻第12章 教えられることはなにごとによらずおぼえてしまう原住民の優れた才覚と器用さについて。彼らは目にしたものはすべてほどなく自らの手で行うようになる」より

「原住民が物事の呑み込みが早いだけではなく、物事を注意深くじっくりと観察する目を具えており、しかもほかの国の人間のように尊大なところも無く、見栄も張らない。」・・・「スペイン語とラテン語の読み方をおぼえるにはたいした時間は要しなかった。」・・・
と賞賛した後 引用された歌に関する文章が続く。引用で省略された部分も書き出してみる。
「3年目の年私たち修道士は原住民に歌を歌うことを教えた。」・・・・「最初に歌を教え始めたのはある老齢の修道士であったが、その時の模様は全く傑作だった。まずこの老修道士は原住民のことばについてはほとんどのまったくなにも知らず、スペイン語しかはなせなかった。にもかかわらず、彼は相手がまるでなんでも聞き分けできるスペイン人であるかのように、懇切丁寧な口調できちんとした内容の説明を原住民の少年たちに対して行うので、彼の話を聞いているわれわれの方がなんとも笑を抑え切れずに困った。他方、少年たちの方はといえば、老修道士が一体何を言おうとしているのかを理解しようと口をポカンと開けたままじいっとそのことばに聴き入っていた。ところが驚いたことには、最初のうちこそ少年たちはなにひとつ老修道士の言っていることも分からず、また通訳をしてくれる者もいなかったにもかかわらず、ほんのしばらくすると少年たちの方が老修道士の言うことを理解するようになり、その結果、立派に歌をおぼえてしまった。
今日では少年のなかには聖歌隊の指揮ができる者がいくらでもいる。優れた才能と大変な記憶力に恵まれた彼らは、自分たちの歌う歌のほとんどを暗唱しており、歌っている最中に楽譜の順序が乱れていたり、楽譜が床に落ちるようなことがあっても、このために歌が途切れたり音が誤ったりするようなことはない。」・・・(少年の聖歌隊員の一人がミサ曲を完成させたエピソード)・・・
原住民はオルガンの代わりに沢山のフルート[注]を使って音楽を奏でる。彼らのフルートの協奏はハーモニーが見事なうえにフルートの数が多いので、本当のオルガン演奏かと思えるほどである。
こうしたオルガン曲を彼らに教えたのはスペインからやってきた幾人かの音楽士であった。音楽士の一行がやって来た時、全員をまとめてその宿舎から食事までの世話をしようという人がここでは見つからなかったので、われわれ修道士が原住民と話をして、音楽士たちを数名ずつ幾つかの村に分けて引き受けてもらった。そして相応の謝礼をする代わりに、音楽を教えてもらうように取り計らったので、この時に原住民は音楽を習う機会を得た。フルートのほかに彼らはチリミーア(クラリネットに似た木製管楽器)[注]も作る。ただし、いまのところはまだその本来の音は出ない。フルートの吹き方を知っていたある原住民の少年がテワカンの町で、ほかの原住民にその吹き方を教えたところ、一ヵ月で全員がミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏ができるようになり、半年もすると立派に一人前のフルート奏者が誕生した。・・・」
「・・・・(原住民がリーベックを作り演奏もできるようになった)・・・」

「第3巻第13章」 「・・・・バンドゥーリア(形はギターに似た12弦楽器で音色はマンドリンに近い)、バイオリン、ハープと言った楽器類も実に多種多様な細工や飾りの付いたものを作り出す。・・・・・・フルートにしても彼らが造ったものは非常に音色がいい。・・・・・」
   <引用終わり>

注(後藤)
フルート ここでは全て、横笛のフルートではなく、ルネッサンスタイプのリコーダーを指すと思われる。
チリミーア 「クラリネットに似ている」となっているが実際はオーボエの様なダブルリードを使用するショームの一種、チリミーアがチャルメラに近い発音であることに注意。
リーベック 洋ナシのような形、通常3弦で弓で弾く

色々な楽器が持ち込まれ、そしてそれらが現地で作られた事がわかる。パンドゥーリア、バイオリン、ハープ、チリミーア、リーベックなどは民間で個人的に使われたのだろう。しかし教会の中では、ミサ、晩祷、聖歌、マニフィカト、モテトなどの伴奏をするため少年達に教える必要があったのだ。

フルートがリコーダーの事を指しているのは間違いがないとおもわれる。沢山の楽器を使ってオルガンのような演奏をするとの記述、テワカンの町で吹き方を教えたところ全員が一ヶ月でミサなどの伴奏ができる様になった。等
本国のスペインでもリコーダーの合奏はさかんに行われていたと思われるし、原住民の少年達に初めて音楽を教える神父の立場で考えてもリコーダーが最良の選択肢であることは当時も今も変わらないのではないか。

多くの職人が中南米に渡って来たことが書かれている。仕立屋、馬具職人、金銀細工師、・・・その中にはリコーダー製作者も混じっていたし。その指導を得て現地でもリコーダーが生産されていたに違いない。「彼らが作ったフルートは非常に音色が良い」との記述もある。
またかなりの数が必要なはずだから量産されていたのだろう。場合によっては竹で作られたリコーダーも存在したかもしれない。この件は後で検討したい。

ここでの写真もワマン・ポマの挿絵を使用させてもらう。
少年達が読み書きを学んでいる。左側の譜面立てに乗っているのは楽譜だ。五線譜とト音記号らしき模様が見て取れる。音楽も習うのだろう。

今回の引用は下記による
モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

11/09/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-2

ワマン・ポマ「新しい記録と良き統治」の表紙

南米をスペインなどが征服して属国として統治した時代、イエズス会が布教の一環として楽器などを持ち込み、音楽を教えた。その楽器の中にルネッサンスタイプのリコーダーが含まれていたのではないかと以前のブログに書いたことがある。
アンデスの家ボリビアに行くと、その末裔ではないかと思われる楽器、タルカ、ピンキージョ、モセーニョなどを見ることが出来る。この件に関してもう少し掘り下げてみようと思った。

ラテンアメリカ楽器紀行、山本紀夫著  前回はこの本より引用したのであるが、小冊子にもかかわらず、内容が充実している。氏は文化人類学者として長年にわたる現地調査を積み重ね、かつ楽器と文化人類学との関係に深い関心を持ち、楽器の演奏も現地で指導を受けるなどかなり造詣が深い。楽器への興味だけでなく、文化人類学者としてのバックボーンがあるので、これだけ長期間かつ広範囲の調査が、可能なのだろう。前回楽器についての踏み込みが少し弱いなどと書いてしまったが、申し訳ない、撤回します。
全編に渡り示唆に富む内容で、掲載されている写真も貴重な記録になっている。

さて、以前ブログに取り上げた
スペインの神父モトリニーアの引用部分に添えられていたリコーダーらしき楽器を持った図版は最初から文章に添えられていたのかと思っていたが、実は別な文献によるものだった。図版の説明には、ちゃんと出典が記入されていたのだが、私はそれに気がつかなかった。
モトリーニャ神父の文章は
・モトリーニア 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(小林一宏訳))岩波書店 1979

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno,Siglo Veintiuno,Mexico,1980(1613)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」}


 「ヌエバ・エスパーニャ布教史」(新スペイン布教史)
スペインはアステカ帝国、続いてインカ帝国をも滅ぼし、この地をヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)と称して統治したのだ。
著者のモトリニーアはフランシス会の神父である。イエズス会ではないが、ここではあまり詮索しない。
大きな流れを見れば、これは侵略であってその結果として、スペインは莫大な利益を得たわけだ。
ほとんどのスペイン人は、一攫千金を願って南米に来たような人間が多かったから、尊大で粗野、現地の文化や歴史など全く興味を示さなかった。しかしそのような流れの中にあって、モトリニーア神父は神父という立場だからと言うより、本質的に人間として対等な立場で周囲に接しているように思う。異文化に接してもそれを見下したりバカにしたりすることなく、好奇心そして驚き、場合によっては賞賛も込めて記述している。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルーのクスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広めた。キリスト教的世界観を持つに至り、
現地のずさんな統治に苦しめられるインディオを救うためには、スペイン本国に直訴するのが良いと思いたち、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわずリマで亡くなったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。
原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、まさに百聞は一見にしかずだ。

今回はリコーダーに関係すると思われる文献の紹介だけだが、別途文献別にブログを書いてみたいと思っている。

8/23/2009

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡



ケーナなどの南米の楽器を調べるつもりで下記の本を読んでいたところ
リコーダーに関すると思われる著述があったので紹介する

「ラテンアメリカ楽器紀行」 山本紀夫

ラテンアメリカ音楽の多様性について従来からあった高度な文明の音楽に、15世紀後半から持ち込まれたイエズス会によるヨーロッパの宗教音楽、
またその後アフリカから持ち込まれた黒人奴隷による音楽、さらにアジア各地から入植した開拓者たちの音楽、
このような多様な源流がありその結果として現在の中南米音楽があると説く。 写真も美しく、楽しめる本である。

特にイエズス会によるヨーロッパ音楽の持ち込みは、日本でもイエズス会のフランシスコ・ザビエルなどによるキリスト教の
持ち込みと同時進行だったらしく。日本側がその後途絶えてしまったのは残念な気がする。楽器などいろいろ日本にも持ち込まれていたのではないか。

本書を読んでいるうちに、気になる部分を発見したので引用する。 以下引用 38Pより

・・・キリスト教の宣教師達は先住民を改宗させるためにヨーロッパ音楽を熱心に教えた。この点について、たとえばメキシコでキリスト教の
布教をしていたフランシスコ会のスペイン神父モトリーニヤは16世紀半ばごろ次のように書き記している。
「私たち修道士は原住民に歌を歌うことを教えた。(中略)今日では少年の中には聖歌隊の指揮が出来る者がいくらでもいる。(中略)
原住民はオルガン(パイプオルガン)の変わりに沢山のフルートを使って音楽を奏でる。彼らのフルートの協奏はハーモニーが見事なうえに
フルートの数が多いので、本当のオルガン演奏かと思えるほどである。こうしたオルガン曲を教えたのはスペインから来た幾人かの音楽士であった。・・・引用終わり

この部分を読んでいて、リコーダーのことだとではないかと疑いを持った。著者の山本氏は文化人類学方面ではトップクラスと聞いているが
氏もあとがきで「私は音楽の専門化ではない・・」と述べておられるように幅広い見識で楽しませてくれるが、音楽には今一歩踏み込みが不足しているように思われる。
引用部分を読めばリコーダー演奏家ならすぐにピンと感じるのではないだろうか。
フルートとはリコーダーのこと意味し、横笛をフルートトラベルソなどと別に呼んだ時代があったなどと思いながら、
添えられていた絵図を再度眺めてみると オヨヨ 全員リコーダーらしい楽器を構えているではないの。

絵図の説明は「キリストの教会音楽サルヴェ・レジナを歌うアンデスの先住民たち。図はGuaman Poma:1980(1613)となっているが
中央の人物が持っているのはルネッサンスタイプのアルトリコーダーのようだ、右側の二人もそれぞれテナーとバスのリコーダーに見える
ラビユームの部分もしっかり描かれていてリコーダーであることをしっかり主張しているようだ。奥の人物二人もリコーダーを演奏しているように見える。

中南米におけるルネサンスリコーダーの痕跡2
中南米におけるルネサンスリコーダーの痕跡3
中南米におけるルネサンスリコーダーの痕跡4