12/29/2013

第15回クリスマスコンサート終了

オカリナサークルの演奏

12月23日恒例のクリスマスコンサートが終了した。今回で15回目だそうだ、よく続けてきたものだ。
平尾りコーダークラブが結成されて最初のコンサートがこのクリスマスコンサート。以来毎年続けているわけだ。
今年も恒例のケーキ、お茶を用意した。演奏団体がひらおオカリナサークルと平尾リコーダークラブの2団体だったのは少しさびしかったかも知れない。

プログラム
オカリナサークル
ムーンリバー・・・H.マンシーニ
雪の降る街を・・・中田喜直
星めぐりの歌・・・・宮澤賢治
心の窓にともしびを・・・中田喜直
ジングルベル・・・アメリカ民謡
カントリーロード・・・J.デンバー
ふるさとは今もかわらず・・・新沼謙治
きよしこの夜・・・F.グルーバー

平尾リコーダークラブ
ジングルベル・・・J.L.ビアボンド
聖なる乙女・・・作者不詳
甘き喜び・・・J.S.バッハ
ウィロビー卿の帰還・・・J.ダウランド
隣人ローランド・・・S.シャイト
コンドルは飛んでいく・・・D.ロブレス
ホワイトクリスマス・・・I.バーリン
神のみ子は・・・賛美歌
グロリア・・・賛美歌
牧人羊を・・・賛美歌
聖夜・・・F.グルーバー
クリスマスメドレー
恒例のケーキと紅茶


お客さんもかなり集まり、毎年ケーキと紅茶の付いたこの会をおぼえていてくださる方もいるのだ。
ただお客さんの数はオカリナサークルが声をかけてくださった方が圧倒的に多い。これは両グループの姿勢の違いが現れているように思う。
オカリナサークルはお客さんと一緒に楽しむ事を大切にしている様に思う。だからコネを最大限使って演奏会に来てもらうことを呼びかけ、会場をクリスマス飾りでいっぱいにするのだ。演奏曲目もお客さん中心で選んでいるのだろう。
一方平尾リコーダークラブは自分達が演奏してみたい曲目を並べ、それがうまく演奏できるかどうかに最大のエネルギーを割いてしまう。その結果としてお客さんの勧誘まで手が回らないことになる。これは大いに反省しなければならないことなのだが、なかなか難しいことでもある。

また演奏内容とは少し違うが、会場の男女の比率はいつもながら考えさせられた。平尾リコーダークラブは女性2:男性3で女性が圧倒的に多いリコーダーの世界では珍しい存在なのだが、当日訪れた男性客は2~3人、全員合計しても女性の1割以下、これは高齢化社会に向かっていく上で由々しき問題であると思われるが、リコーダークラブにとっては手に余る問題である。

リコーダーでPA装置
今回上記プログラムのホワイトクリスマス以降はPA装置を併用した。これは観客の方達により楽しんでもらえるための音量と音色を求めての試みだったが、詳細は別ブログで報告するつもりです。

12/27/2013

ワープ発表会


12月22日ワープの発表会が終わった。
この会場は個人が提供してくれている会場で、多くのグループが使用している。
今回は32グループが演奏した。内容は多彩で、オカリナやウクレレなどの器楽だけではなく、歌やフラダンスのようなものも含まれる。私はループというフォルクローレのグループで参加した。このようにいろいろな方たちが集まっている場だから、全く異なる楽器の練習を覗く機会も多く、交流も盛んなようだ。

そんな訳で他のグループから応援に来てもらう事は簡単なのだ。そしてうまく行けばそのまま定着してしまう事もある。私達のループも当初はケーナサークルとしてスタートしたのだけれども、ギター、パーカッション、ヴォーカルなどが加わり、編成だけはフォルクローレグループの形が整ってきた。さらに今回はボンボ奏者が都合で参加できないのが当日わかったのだが、代役もすぐにお願いできた。
今回の演奏曲
クヌミシータ、サリーリ、プルルーナス。

演奏のレベルもそこそこ上がってきたし、ギターがしっかり支えてくれるので、細部は色々ほころびもあるかもしれないが、まあそれらしい演奏にはなったような気がする。今回選んだ「大福」ケーナも慣れたのか少し細く指穴も小さめで扱いやすいと思った。サンポーニャについてはプルルーナスで出番があったが、テンポが早かったせいか、ほとんど音を出せないうちに曲が終わってしまった 。

これだけいろいろなグループの演奏があると普段知る機会がない楽器などの演奏に触れることができるし、そんな中でキラリと光る演奏に遭遇することが有るのだ。今回はヴァイオリンの迫力に度肝を抜かれたが、その伴奏を急遽引き受けて、微塵も揺るがずやってのけた「I」さんのギターもわかってはいたけれど改めて凄いと思った。そのほかボイストレーニングの方達の歌と一緒に演奏したフルートは、よく鳴っていて美しかったし、フラダンスの先生もビックリするほど見事でした。私達が出演した2部(1~3部中)のみの感想です。

12/16/2013

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-4 ワマン・ポマの挿絵


No.368インディオから情報を収集するポマ

今回はワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」の挿絵ついて検討する。

「新しい記録と良き統治」
著者のワマン・ポマはペルー  クスコ出身のインディオ
親族より教育を受け読み書きができた。
 神父の助手を勤めて各地を回り、見聞を広め、キリスト教的世界観を持つに至った。
現地の非人道的な統治に苦しめられるインディオを救うためには、過去のインカの時代に戻すのではなく、正しいキリスト教的世界を実現することこそが、その目的に叶うと彼は考えたのだ。
そのため、
スペイン本国に直訴する事を決意し、この原稿を書き始めた。ペルーを放浪しながらおよそ30年かけて完成し、年齢も80歳を超えた。フィリペ二世に送るつもりだったが、それはかなわなかったらしい。スペイン本国でも民衆が圧政にあえいでいることなど知る由も無かった。

原稿は一旦歴史から消えてしまった。そして約300年後、1908年デンマークの図書館で発見されて日の目を見たのだ。どのような経路でデンマークの図書館に保管されるに至ったかについては多いに興味がわくところだが、ここでは取り上げない。

モトリニーア神父の布教史は、侵略する側から書かれているが、ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」は侵略されたインディオの側から書いてある。
さらに
500点以上の挿絵が添えられていること。これを単なる漫画と考え、自分の著作のあちらこちらに、飾りとして使用しているアンデス関係の著作を見たことがあるが、ポマに対して礼を失していると言わざるを得ない。
文字を持たなかった民族の絵に寄せる執念はテレビや新聞、各種出版物、に溢れる時代にドップリつかっている我々にとって想像もできない世界があるかもしれないのだ。
これは一見稚拙なようであるが、要点を押さえ大胆にデフォルメしてあるのだ、
現に最初に載せた民衆から話を聞くポマ自身の絵は、履物や頭飾りを描き分けることによって4つの異なる地方の人々を表しているそうだ。その他ちょっとした服装の違いで職業を表していたり、十字架を身につけているか否かとか、細かく書き込み、それに意味を持たせている可能性は十分あることは間違いない。
それでは楽器に関すると思われるいくつかの挿絵に絞って検討してみる。
No318 ケーナの演奏


挿絵全体を通して見ると、楽器を演奏している挿絵はそれほど多くはない。この原稿の目的にからしてそれは理解できる。太鼓だけとか伝令の法螺貝のような挿絵を省くと、(No.870)弦楽器が一点、(No318)ケーナらしい笛を丘の上で演奏している(これはテブノーが自著のケーナ曲集の表紙に使用している)、(No.675)リコーダー一本と他の楽器、種類不明なチャルメラ風楽器、(No680) 最初のブログでも取り上げた聖歌隊の少年達がリコーダーを持っている。













サルヴェ・レジナを歌うインディオの少年達





まず最初に気づくことは、少ない数の挿絵で断定はできないのだが、横笛らしい挿絵が一点もないことだ。そして明らかにリコーダーと思われる挿絵が2点、これだけでも「フルート」がリコーダーを指している事の証拠のように思われる。
では聖歌隊がリコーダーらしい楽器を持っている挿絵を検討してみる。中央の少年が持っている楽器の部分も拡大しておく。

挿絵の説明文がサルヴェ・レジナを歌っていると曲名まで書き込んでいる。
聖歌隊の少年達の顔だが、西洋人の顔ではなく、日本人の我々が見ても現地インディオの少年を思わせる顔つきである。省略やデフォルメはあっても的確に表情をとらえているのだ。ポマの優れた描写力がうかがえる。





リコーダーらしき楽器の拡大写真を見ていただきたい。吹き口付近は削られて薄くなっている。窓の部分もしっかり書き込まれている。指穴もしっかり加工されている。そして下側の先端部分は少し裾広がりになっている。これでもリコーダーでないと主張できる人が居るとは思えない。正にルネッサンス型のリコーダーそのものように見える。なぜこのように正確な描写なのだろうか。
たとえばケーナについて考えてみると、ポマを含むインディオにとってケーナの構造など自明のことなので、棒状の楽器を構えていればそれはケーナなのである。(NO.318)
ところがリコーダーを表現するとなると、特徴をしっかり描かなければならない。
ポマは少年たちが清らかに演奏している「フルート」を手にとってケーナとの違いの説明を聞いたに違いない。そうでなければこれだけ的確に特徴を描ける訳がない。
私などポマがリコーダーを演奏できたのではないかと思ってしまう。それほどこの挿絵はリコーダーの特徴をとらえている。

ポマはこの著作の中で統治する官僚たちや場合によっては司祭や伝道師までもがインディオの抑圧に加担していることを告発しているのだ。この原稿が破り捨てられずに後世に残ったことは奇跡に近いことではないだろうか。
ポマの立場はかなり微妙である。過去のインディオの統治には見切りをつけ、かつスペインの統治に対しても激しく告発している。
そのような立場をずっと堅持するのはかなり微妙な部分もあり、批判も浴びたことだろう。


ポマが「キリスト教的世界観」を堅持しつつ著作を書き続けられたのは、教会や身近にいる神父達の影響が大きいのは当然としても、音楽からそのエネルギーを受けていたように思う。
インディオの少年達によるオルガンのようなリコーダーの合奏、それに続いて湧き上がる美しい歌声にインディオの未來を重ね合わせたのではないだろうか。
だからこの一枚の挿絵を曲名まで添えて著作に加えた。
リコーダー愛好家の私にとってはそのように思われるのだ。

図版は
・Guaman Poma de Ayala,F,. El Primer Nueva Coronica y Buen Gobierno(1615)
{ワマン・ポマ 「新しい記録と良き統治」]

この原稿はデンマーク王立図書館で公開されている Guaman Poma