3/16/2014

第10回フレンドシップコンサートを終わって

会場全体にAmazing Graceが響きわたった

フレンドシップコンサート終わりました。
2014年3月8日(土) 稲城中央文化センターホール

参加したみなさんごくろうさまでした。
今回の演奏会を一言で言うなら「多様性」でしょうか。

演奏形態も3人から20人を超える団体まで、楽器もルネッサンスタイプはもちろん、ペッツォルトの Sub Contra Bass FF やSub Great Bass in Cまで登場、
サブコントラバスはコントラバスの1オクターブ下 折り曲げられた管の長さは3.6mもあるそうだ。
曲目もルネッサンスやバロックの曲はもちろんだけれども、ヒンデミット、カチューシャ、コンドルは飛んでいく、The RB(リコーダー、ビートの意味)     など多岐にわたり。カルメン前奏曲に勇ましくチャレンジするグループがある一方 「故郷」などの演奏にほっとしたり、「愛の挨拶」ではリコーダー合奏を始めた頃の高揚感を思い出したりした。

各団体に割り当てられた時間は20分、自己紹介や曲目の説明なども含まれる。ちょっと短いが自分達独自の構成とすることも可能。
またリハーサルは原則午前中で終了し、演奏者は観客席から舞台へ移動、終われば観客席に戻るので、すべての団体の演奏を切れ目なく聴くことになる。「演奏」だけではなく相互の「交流」も大切な要素なのだ。

10回の歴史は多様性への歴史と見ることも可能と思う。初期の頃は、独自性を出したいと思う気持ちはあっても、表現方法がわからず、技術も不足していた。回数を重ねることで、表現のアイデアを相互に学びつつ、演奏技術も積み上げてきたこと。そこへさらに外部から異色のグループが加わった。これが今回の多様性へとつながったと思われます。

ゲスト演奏ではサンマルティーニのトリオソナタやバッハのカンタータのアリアなど、同じくバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ(ガンバヴァージョン なかやまはるみ編曲)もガンバのソロで演奏され面白かった。

私は例によって録音係でした。いつもの使い慣れた録音機材を使用したので、ストレスなく、まずまずの録音が出来た。編集は今まではPerk/Mac.を使用していたが、今回よりSoundEnginFree/windows を使用してみた。各操作に 細かい設定はできず、例えばノーマライズやフェードイン、フェードアウトはプリセットされていて使用するかしないかの選択だけ。それが作業の単純化となり、作業時間がかなり短縮できそう。編集しながら聴いていると当日は聞き流してしまった演奏への思い入れを随所で感じることができる。なるべく早く編集を終え、お手元に届けるつもりですので、ぜひ聴いていただきたい。

写真は今回より復活した全体合奏、 曲はAmazing Grace 、 舞台そでには巨大なサブコントラバスなどが見える。

2/24/2014

フレンドシップコンサート HRCの演奏曲目




フレンドシップコンサートまであと2週間、各グループも曲目などほぼ決定していると思います。今回は照明の操作員も出てもらえるらしく、背景に色の付いた照明を当てるぐらいのことはできるそうです。 

私たちHRCもほぼ曲目が決まりました。多分変更はないと思うので、バラしてしまいましょう。

1.Fine Knacks for Ladies  : J.Dowland
私たちが、いつも最初に必ず演奏しているテーマ曲です。本来は歌詞のついた歌なのですが、軽妙な感じが出せるかどうか。
「珍品はいかが 安くて素敵な品ですよ さあお買い得」と品物を売っているようで実はご婦人方に自分自身を売り込んでいる。

2.My Lord Willoughby's Welcome Home  :J.Dowland (ウイロビー卿の帰還) 
「隣のローランド」と同じメロディーを使用しています。当時の流行歌だそうで、ダウランドはリュートの曲として作曲していますが、今回はリュートとリコーダーで演奏します。YouTubeで声楽と打楽器による演奏を見つけましたので載せておきます。

3.O Nachbar Roland  :S.Scheidt(おお隣のローランド) 
リコーダーではよく演奏される曲で「お試しステラ」のCDにも入っていました。各パートが複雑に絡み合いながら進行します。
本来はガンバで演奏される曲だと思うのですが、アーノンクール   コンセントゥス・ムジクスの演奏がすばらしい。

4.El Condor Pasa : Daniel A. Roblos (コンドルは飛んでいく ) 
フォルクローレの定番ともいえる有名な曲、アンデス民謡ではなく、スペインに対して反乱を起こした英雄コンドルカンキを題材にした歌劇の序曲に含まれている旋律です。
作者のロブロスが各地の民謡を採譜していたノートは残されているが、一致するる旋律は見つかっていないらしい。
以前ケーナで演奏したこともあるのですが、リコーダーでも別な味が出せればと思います。


参考 YouTube My Lord Willoughby's Welcome Home J.Dowland の旋律を元にD.W.Solomons が編曲
合唱曲として迫力ある演奏ですが、当時の流行歌の歌い方を再現しているのかはわかりません。 





2/16/2014

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-6インカ皇統紀

鋤で畑を耕す。 ワマン・ポマの挿絵

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガの「皇統記」を今回も取り上げる、リコーダーに関係すると思われる文章だけを紹介してきたが、今回はリコーダーは出てこない、しかし、原住民達が土地を耕し、歌を唄う、そこへ教会を含むヨーロッパ文化が合流すると何が起こるか、約450年前の出来事だが、彼の記述は学友が関係していたので、実際に体験しているわけだから、具体的で迫力がある。ぜひ紹介しておきたい。

<以下引用>
第5の書 第2章
「土地の耕作に見られた秩序と、インカ王および太陽の土地の耕作にまつわる祭儀について」
土地を耕し、作物を栽培するにも、調和の取れた秩序があった。・・・・人々はまず太陽の土地を耕し、次に寡婦と孤児の土地、そして高齢や病気のため体が不自由な者たちの土地を耕すことになっていた。これらは皆、気の毒な弱者とみなされ、それゆえインカ王は、彼らの土地を優先して耕すよう、人々に命じたのである。・・・選ばれた人民委員よりラッパか笛で合図があると各自受け持ちの畑に弁当もちで馳せ参ずることが義務付けられていた。・・・・気の毒な弱者達の土地を耕してしまうと、今度は自分達の土地を、互いに助け合って、という言い習わしのとおり、協力して耕作した。・・・ ・・・一番最後に耕作されるのがインカ王の土地であり、これはインディオ全員の共同作業で行われた。王の畑、あるいは太陽の畑へ農作業に出かける時のインディオたちは皆、満足感と喜びに満ちあふれ、最大の祭事のためにとってあった、金銀飾りのついた晴れ着で装い、頭には大きな羽飾りをつけていた。そして、鋤で土を掘り起こしながら、インカを称えてつくられた多くの歌を口ずさんだ。・・・・ そうした歌はすべて、ペルーの共通語で「勝利」を意味する(ハイリ)という言葉に基づいていた。・・一節ごとに(ハイリ)の反復句が唱えられ、それは、インディオたちがうまく土塊をとらえて砕くために鋤を打ち込んでは引き抜く、一定のリズムに合致するように、必要なだけ何度でも繰り返されたのである。・・・・・・

インディオのこうした歌とその調子がひどく気に入ったクスコ大聖堂の聖歌隊指揮者が、1551年か1552年のこと、聖体祭のために、インカの歌を完全に模倣したオルガン合唱曲を作曲した。そして、私の学友であった8人の混血児が、インディオの服装をし、それぞれ鋤を手にして繰り出し、聖体行列の中で、インディオの(ハイリ)の歌を披露したのである。各節の反復句に来ると、聖歌隊員がいっせいに唱和した。スペイン人たちはおおいに満足し、インディオたちは、自分達の歌と踊りでもって、スペイン人が主なる神(この神をインディオたちはパチャマック・・と呼んでいた)の祭礼を執り行うのをみて、有頂天であった。

<引用終わり>

インカ・ガルシラーソが貴族の子孫であれば土地の耕作の秩序を書くのはお手のもの。彼でなければできない描写が続く。
オルガンが鳴り響きそこへ学友のメスティソ達が鋤を手にインカの農耕歌を歌う。「ハイリ!ハイリ!」の唱和の声に、詰めかけた観客たち(スペイン人、インディオ、神父など)からどよめきが上がる。インディオの音楽とヨーロッパ音楽が融合した瞬間だろう。

ワマン・ポマの挿絵の中にも鋤で耕す場面が登場する。「8月トウモロコシを植える為に畑を耕し始める。人々はチチャを飲みハイリを歌う」と説明されているから、この場面にぴったりなので使用させてもらった。

参考文献
岩波書店 大航海時代叢書エクストラ・シリーズ「インカ皇統記」インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ

厚木リコーダー・オーケストラ 1st Concert


2014/2/9 (日)厚木文化会館小ホール

前日の大雪からは信じられないほどの青空、演奏会は中止にはならないだろう。
本厚木は降雪量が多かったかもしれない。念のため軽登山靴を履いて出発。
電車の窓から雪をかぶった丹沢がよく見える。少しづつ大きくなつてくる。突然視界が大きく開き、丹沢山塊が目の前に広がる。電車が相模川を越えたのだ。すぐに本厚木駅に到着。
雪のため観客は少ないだろうと思ったが、そんなことは無い、7割以上席は埋まっているように見えた。

プログラムは4部構成となっており、
第1部 厚木 リコーダー・オーケストラ 基礎コース
第2部 厚木リコーダー・オーケストラ
第3部 積志リコーダーカルテット
第4部  合同演奏

第1部
2つのフランス舞曲 J.D.ケアリー  、主よ、人の望みの喜びよJ.S.バッハなど楽しく聴けた。出演者の中に小学生低学年の女の子が4人も含まれているのだ。リコーダーの演奏経験もいろいろ差があるのは当然で、演奏者全員が楽しめる選曲は難しい作業だが、ここでは良好な選曲だったと思う。

第2部
8声のカンツォン”ラ・フォッカーラ”  C.ブラミエリは重厚な音色が聴けた。
8つのマスクダンス  J.コペラリオ では打楽器が入ることによって全体に活気がみなぎる。リコーダーと打楽器との音量バランスも良かったと思う。
小交響曲  C.グノー  リコーダーにとって難しい曲のように思える。特にテンポ感、演奏者が多くなれば、「最大公約数」的なテンポになってしまうことは、ある程度仕方のないことかもしれないが、曲によってはそれが目立ってしまう。しかしこれはどこのリコーダーオーケストラでも難題であり、克服は容易ではない。

第3部
積志リコーダーカルテット(SRQ)は想像していた以上に上手くそして楽しめた。
もしろん演奏テクニックが優れているグループは他にもあると思うが、ここは適切な選曲そしてアレンジを自分たちで行い、それを小気味良い司会でつないで行く、個々の曲がバラバラにあるのではなく、全体が一つの流れとなっていて舞台に引きつけられっ放しになる。リコーダー製作者が2人も含まれていて、お仕着せではない本当に必要な楽器を自前で使用できるのも強みだろう。


第4部合同演奏
サウンドオブミュージック 編曲の河野和男氏は小学校の先生でリコーダーの指導に熱心だったそうだ。
このような場面にはピッタリではないかとの思える曲
アンコールのゆうやけこやけは女の子たちの「♪もういいかい」「♪まあだだよ」のかけ声で始まり、最後はガークラインまで登場するサーヴィスぶりであった。

全体の構成も4部に分かれ、それぞれ特色が出ていて興味が途切れないのだ。
会場の小ホールは音響反射板が設置してあり、観客席後方でも十分な音量で聴くことができた。大雪の直後でもこれだけの入場者がいることは、演奏者を取り巻く家族や友人達との良好な関係が想像され、今後大切にすべき点かもしれない。


場内撮影禁止のアナウンスがあったので演奏中の写真はないが、花束贈呈の時、撮らせてもらった1枚を載せておきます。
当日演奏されたSRQの演奏はすでにYouTubeにアップされているので聴くことができるので紹介します。2つのヴァイオリンのための協奏曲 バッハ  他の曲はイモズル式で聴けると思います。

2/02/2014

中南米におけるルネッサンスリコーダーの痕跡-5 インカ皇統記

Inca Garcilaso de la Vega


 ワマン・ポマの「新しい記録と良き統治」
モトリニーア神父による「ヌエバ・エスパーニャ布教史」
上記二つの文献で南米におけるリコーダーを調査したが他にも有力な文献があるので調べてみる。
 インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガによる「インカ皇統記」

インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ
インディオの子であると同時にスペイン人の子であること、すなわち混血児(メスティソ)である。
1539年クスコに生を受けた。父親 カピタン・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ 1531年南米にやってきた征服者、カピタンとついているから大将なのだろう。
母親チンプ・オクリョと呼ばれるインカの王女 したがって彼はメスティソのエリート。 最初の混血児とも象徴的に呼ばれている。20才でスペインに渡り、60歳ごろから「インカ皇統記」を書き始めた。これをまとめるのは自分こそ最適任者であるとの自負をもっていた事は、前書きなどでも十分にうかがえる。
現地のケチュア語を母語として操り、その上ヨーロッパに渡って40年、スペイン語でも文筆活動を行いすっかりヨーロッパの人間になりきって書いている。
ペルー歴史上の重要人物と位置づけられているらしく、紙幣の肖像になったり、クスコにあるサッカースタジアムの名前は彼の名前がつけられている。海抜3400mの高地に位置している過酷なスタジアムとして有名なのだそうだ。

歴代の王の記述が多くを占めるが、音楽についての記述の部分を抜き出して紹介する。一続きの文章なのだが、内容によって4分割してある。

<以下引用>

「第26章幾何学、算術、音楽について彼らの知っていたこと」より音楽の部分を引用する。
・・・・・・
1)音楽の分野でも彼らは独自のものを持っており、たとえばコリャ族やその周辺に住むインディオたちは,葦の管でできた楽器を奏でた。これは4本か5本の葦管を二列に並べて縛り付けたもので、ちょうどパイプオルガンのように、管は順に隣のより少しずつ長くなっていた。通常は、それぞれ長さの異なる4本の管からなっていて、最初の一本が低い音を出し、次の管はそれよりも高い音を出し、また次のはさらに高い音を出すと言った具合で、それはまるで、四つの自然の声、ソプラノ、テノール、コントラルト、そしてバスのようであった。そして、一人のインディオがある音を出すと、次のインディオが五度の、あるいは他の和音で応じ、さらに次々が別の和音でというように、あるときは音階を上りながら、またあるときは下りながら、しかし常に調和を保って演奏するのであった。臨時記号によって音の高さを変更する方法は知られておらず、すべての音が一定の音階に従っていた。しかし、この楽器を巧みに演奏できるのは、王侯貴族に音楽を聞かせるために訓練をうけたインディオたちに限られていた、というのも、彼らの音楽は素朴ではあったものの、決して庶民の間に普及していたと言うわけではなく、それをマスターするには相当の訓練が必要だったからである。

2)彼らはまた、羊飼いのそれに似た、四つか五つの穴の開いたフルートを持っていたが、これは音を調和させて合奏するためではなく、独奏用であった。この楽器は、ハーモニーをつけて演奏することができなかったからである。彼らはフルートで自作の歌を奏でたが、そうした歌は一定の音節数の詩行からなり、たいていの場合、恋の感情を、すなわち恋の喜びと苦しみ、恋人のやさしさとすげなさを表現している。
歌にはそれぞれ、一般に知られた独特の節回しがあり、異なる種類の二つの歌を同じ調子で唄うことはできなかった。何故かというに、夜、恋人に向かってフルートで小夜曲を奏でる恋する男は、その節回しによって、思い姫と世間一般に対し、彼女の彼に対する好意あるいは冷たさに応じた、心の喜びあるいは悲哀を告げるが、異なった趣の歌が同一の調子で奏されたとするならば、恋する男の表現したいのがどちらの気持ちなのか、判別できなくなってしまうからである。また、このようなわけで、一般に、彼はフルートで話しかける、というような言い方もされるようになった。ここで一つエピソードをあげると、あるスペイン人が、クスコである夜中、知り合いのインディオ女にばったり出逢ったが、夜もふけていたので、早く家に戻るように薦めると、彼女はこう言ったという--
「だんな様、どうか私にこのまま行かせて下さい。あちらの丘から聞こえてきます、情愛のこもった笛の音が、やさしく私を呼んでいるものですから、じっとしてはいられないのです。どうか後生でございますから、このままにしておいて下さい。どうしてもあそこに行かなければなりません。愛が効し難い力で私を引きずり、私を彼の妻に、そして彼を私の夫にしようとしているのですから。」
戦争やそこでの武勲をテーマにして作られた歌が、このように奏でられることはなかった。それらは恋人に向けて唄われる性質のものでなければ、フルートの音色になじむものでもなかったからである。こうした歌は大きな祭りで、そして戦争の祝勝会で、兵士達の勇敢な武勲を称えて唄われるのであった。

3)私がペルーを発ったとき、それは1560年のことであったが、クスコ市には、どんな曲でも楽譜さえ前にすれば、絶妙な音色で演奏することのできるフルートの名手が五人いた。彼らは、その市の住人であったフアン・ロドリーゲス・デ・ビリャローボスの所有するインディオたちだった。これを書いている現在、すなわち1602年の時点では、楽器の演奏に卓越したインディオは、どこに行ってもごろごろしているとのことである。

4)喉に関しては、私がいたころインディオたちが、自慢することはあまりなく、一般に彼らが美声の持ち主とは言えなかった。歌唱法と言うものを知らなかった彼らは、ほとんど発声の練習などしなかったからに違いない。混血児の中には美声を誇る者が沢山いた。・・・・
・・・・<引用終わり>・・・・

一連の文章なのだが、3種類の楽器と歌について記述しているので4分割してある。[1)、2)、3)、4)]

最初の部分1)はあきらかにサンポーニャだろう。二列に並べて縛るのは現在も全く同じ、楽器自体はほとんど変化していないように思う。ただ残念なのは、インカ・ガルシラーソが楽器の名前を言っていないのだ。伝聞だけで実体験が全くないからと思われる。サンポーニャとかシークとか言っても良いと思うのだが。ヨーロッパの音楽学者が始めて出会った楽器を紹介するように、五度の和音とか臨時記号とか、ソプラノ、テノール、コントラルト、・・・・など専門用語をちりばめているわりには、具体性がない。 彼自身経験が全く無く、執筆もペルーを離れて40年も過ぎているのだ。 当時は限られた人間だけが扱えた楽器ということだからある程度仕方ないかもしれない。

2)3)はフルートとしてまとめてあるが、明らかに2)と3)は違う楽器だ。

2)四つか五つの穴が空いているフルートで話しかけ、セレナーデを演奏する。ほぼケーナを指しているだろう。ケーナの名人が多くいたことを思わせるが、すばらしい表現力だけではなく、信号を送る道具としてのケーナの側面もあったのではないかとも想像する。

3)はだいぶ時代が後になる。楽譜を見て演奏するとあるから、これはケーナではない、スペインによって持ち込まれた楽器、多分リコーダーであろうと察せられるが、横笛のフルートである可能性も否定できない。その40年後は笛以外の楽器も含むヨーロッパからもたらされた楽器の演奏に卓越したインディオはどこに行っってもごろごろしているほど多くなった。

4)の歌に関しては、ちょっと面白い記録があるので、後日取り上げるつもりです。

著者のインカ・ガルシラーソは堪能なスペイン語に加えケチュア語も自在に話すことができた。それだけに内容の評価は高いと思われる。
しかし実際に当事者となって苦労し感動しながら書いたワマン・ポマやモトリニーア神父のような臨場感には欠けるような気がする。

注(後藤)
ここにおいてFlute=フルートと翻訳するのは誤解を生む素になる。日本語でフルートといえばまず間違いなく金属でできたベームフルートを想像する。しかしヨーロッパにおいては歴史的に色々な笛の種類があったことは常識として理解されているので、Flute(ドイツやイタリアなど他国語表記も含む) とはそれらの総称であると考えられているように思う。また縦横両方のタイプも含まれている。したがって、Flute=笛と翻訳するのが最良と思われる。篠笛や尺八もbambooーFlute となるだろう。

参考文献
岩波書店 大航海時代叢書エクストラ・シリーズ「インカ皇統記」インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ  牛島信明 翻訳

1/25/2014

第10回フレンドシップコンサート


第10回フレンドシップコンサート(FSC)の概要と参加団体(五十音順)を、おしらせ致します。

[アマチュアリコーダーアンサンブルが集って、正統派あり、個性派ありの楽しいリコーダーコンサート]

各グループの演奏順番が決まりましたので報告します。
数字は演奏開始予定時間です。

1. フェリーチェ      12:30
2. gyachitets        12:50
3. モックなでしこ   13:10
4. ヴィア・モンテ・ビアンコ  13:30
5. 平尾リコーダークラブ    13:50
---休息---
6. 笛魂              14:20
7. チエル・アルコ 14:40
8. ねころびと 15:00
9. Gクレフ      15:20
10.厚木リコーダー・オーケストラ  15:40
11.全体合奏       16:00
---休息---
12.Ricco Suono  16:35
13.奏                 16:55
14.ぴぽ              17:15
15.ジャスミー      17:35
16.細岡ゆき andゲスト2名 17:55

ゲスト演奏家
なかやまはるみ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
細岡ゆき(リコーダー)
佐藤創(リコーダー)
第10回フレンドシップコンサート
開催日: 2014 3月8日(土)
開場: 12:10
開演~終演:12:30~18:00 
入場無料
場所: 稲城市中央文化センターホール(京王線稲城駅より徒歩7~8分)

各グループの持ち時間は出入りを含めて20分を予定しております。
リコーダーの広場演奏会情報にも投稿しました。

チラシの画像最新の版に入れ替えました。2014/2/10
演奏団体    gyachitets  
ゲスト演奏家  「佐藤 創 リコーダー」 追加
問い合わせe-mail 変更  rec04.fsc@gmail.com


全体合奏 2014/2/22
お客さんも含む参加者全員で「全体合奏」を行います。ぜひモダンピッチのリコーダーをご持参ください。
曲はAmazing Grace 楽譜は当日受付にて配られます。

参加グループ名、五十音順に訂正2014/2/23

参加グループの演奏順番と開始時間を追加 2014/3/2
演奏順番一部変更。Gクレフ、ねころびと、平尾リコーダークラブ 3/6


このページは第10回フレンドシップコンサートのお知らせ用として随時追加してゆきます。

小型PA装置 MACKIE SRM150

テスト中のSRM150

小型PA装置 MACKIE SRM150
昨年のクリスマス会でPA装置を併用したが、装置全体が大きいため気軽に使用できない、もっと小型化できないかという思いで導入してみた。
Compact Active PA System とのことで、ミキサー、アンプ、スピーカーが一体化されており、もちろん電源も内蔵されている。本体をカバンに入れて一人で持ち運べる。定格出力も単体アンプに引けをとらず[100Wrms 連続] が保障されている。一体化することで各機器をつなぐケーブル類もほとんど不要となる。
スピーカーが小型になりしかも一個だけだが、メインでガンガン鳴らすのではなく、残響音の補助であればこのくらいでも良いかもしれない。
またリュートやバスリコーダーなど1~2台の場合は手軽に使用できる。

練習会場に持ち込みテストしてみた。スピーカーが小型なので音質上少し気にしていたのだが、ほとんど問題なし、リコーダーの音は超高音とか超低音などは含まれていないのだ。
残響などのエフェクターは内臓されていないが、小型で取り回しが楽なので、例えば後方の壁に反射させて残響を演出するのも面白いと思う。
通常の練習にもカバン一つで気軽に持ち込めるのが嬉しい。いろいろ使ってみれば応用も広がるのではないかと期待している。
写真はテスト中でマイクはSM57を使用、バスリコーダーは表現力はあるが、いかんせん音量がない。PA装置を併用することにより、音色音量に厚みが増えてサキソホーンのような感じで演奏できる。

以上は小型PA装置としての評価であるが、iPadなどと組み合わせて使用する場合また違った面が見えてくる。

iPadとGarageBandのようなアプリケーションと組み合わせ、ライブで使用を目指す場合、例として、GarageBandでギターや弦楽器による伴奏をあらかじめ作っておき、伴奏を自動演奏しながら、リコーダーなどの生楽器を演奏する。
このような場合、生楽器のパワーは、弱小と言われるリコーダーであってもかなりの強さがあり、伴奏がかき消されてしまう。
iPadに接続できるアンプやアクティブスピーカーは数多く発表されているが、すべてこのような目的には向かない。部屋に設置してiTunesなどで音楽を聴くだけなら便利で十分なパワーなのかもしれないが、そもそも目的が違うのだ。
その点SRM150はコンパクトタイプながら[100Wrms 連続]のスペックで。このような目的には最強の組み合わせかもしれない。
小型のミキサーが内蔵されているから、自身の演奏とGarageBandによる伴奏のレベルを最適な比率に調整できるし、たとえ武道館に出演を依頼されて巨大PA装置に接続する場合でも(私の場合あり得ない話だが)SRM150からプロ仕様のバランス伝送で送り出す事が出来る。

できればiPadの信号をディジタルで直接取り込めるようD/Aコンバーターを内蔵しているとありがたい。今後に期待します。

1/21/2014

多摩ムジカアンティカ演奏会

 
演奏中の多摩ムジカアンティカ
多摩ムジカアンティカ演奏会
2014年1月12日(日)小平市中央公民館ホール
思えばかなり変った団体だ。
私達平尾リコーダークラブが発足したころだから10年ほど昔のことになる。当時、よそのリコーダークラブとはどんなものか、あちこちの演奏会を巡り歩いていた時期があった。そんな中でも特異な印象の団体だった。
確かインターネットのKey-Mamaさんの部屋で演奏会を知ったと思う。
中世の曲をリコーダーだけで延々と演奏する。当時私はリコーダー合奏を始めたばかりだったから、作曲者も曲名もまったくなじみがない、親しみやすい曲を演奏するなどの配慮は一切なし。そしてグループをまとめている方の名前もちょっと気にかかつていた。演奏会の連絡はその後何度もハガキが届いていたのだが、つい行きそびれていたのだ。


会場は小平市中央公民館ホール、私は稲城市、どちらも東京の郊外だが、一旦都心を経由しなければならない。時間がかかるのだ。
出発に手間取ってしまい、かなりの遅刻を覚悟したのだが、なんとバスも快速急行も飛び込んでぎりぎりセーフのような感じ、乗り換えもうそのようにつながり、開演3分前ぐらいに会場に到着。

今回のテーマは「イタリア」だそうだ。プログラムにはイタリアに関係する作曲家がずらりと並んでいる。ガブリエリ、パレストリーナ、プレトリウスなど、知っている名前もあるが、知らない名前がほとんど、プログラムには曲目と作曲者を解説してあるから、それを見ながら演奏を聴くことになる。カンツォーナ、リチェルカーレ・・・・など   曲形式の解説もある。この文字情報だけでも大変なもの、読んでいるうちに曲目はどんどん進む、なんせ曲数が多い、途中休息を入れて2時間近く演奏する。一曲にかける練習時間はそんなに取れないのではないか。しかし演奏技術が高いのだろう。それと個々のリコーダーの音が美しい。リコーダーの音色そのものが美しいなどと感ずることは滅多にないことだ。会場には60人程度のお客さんが入っていたが、中央付近にいる私にも十分音は届いていた。バスの音もはっきり聞き取れた。

ふとプログラムの最後のページを見ると「日本フルートクラブ」の楽譜の宣伝が載っている。ああやっぱり・・・・、気にかかっていた代表者の名前も解決した。
その昔、プロからアマチュアまでを含むフルート愛好家たちの組織「日本フルートクラブ」があり、その会長がH氏であった。
私もフルートをやっていた時期があり、会報をもらったり、レッスンを受けたりしたことがある。しかし四畳半一間を借りて生活している貧乏学生にとってフルートは無理だったのだ。結局フルートはあきらめる他なく、フルートクラブとの連絡も途切れてしまった。それからリコーダーの誘いを受けるまで20年以上楽器の演奏をやるチャンスはなかったのだ。
フルートクラブにしても決して道は平坦ではなかったはず、休息時間にHさんに昔のフルートクラブとの関係を話したら、びっくりされていた。現在はHさんが楽譜出版などの業務を引き継いでいるらしい。
参考までにプログラムの一部を載せてみる。

Ⅰ部
A.ガブリエリ・・・ リチェルカーレ 第6番、第7番
パレストリーナ・・・ 第1旋法のリチェルカーレ
インジェニェーリ・・・ カンツォーナ
ヴェッキ ・・・4声のファンタジア
G.ガブリエリ ・・・カンツォーナ第2番
バンキエリ ・・・ファンタジア第1番、第2番
バンキエリ ・・・カンツォン第6番、第8番
フェラボスコ Ⅱ ・・・ファンタジア
アレグリ   ・・・ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス
フレスコバルディ ・・・第三旋法のカンツォーナ
ザネッティ ・・・舞曲
Ⅱ部 省略


この団体のかなりなマニアックぶりもそれなら理解できるような気がする。私は10年あるいは40年?の心の引っかかりが一気に解決したような気がした。
写真はカメラを忘れたのでiPad miniで撮影したが、条件が悪かったのでかなりブレがある。