6/06/2012

コンドルは飛んで行く-2


 前回テブノーの翻訳の最後に、iTunes StoreやAmazonで検索をかける話をした。私はその時、フォルクローレを演奏するグループはほとんどが"El Condor Pasa"を演奏しているから、50曲ぐらいヒットするのではないか程度に考えていたのだ。iTunes Storeで"El Condor Pasa"で検索をかけてみた。ついでに「全てをみる」のボタンを押したら、なんと1200もヒットしてしているのだ。アルバム名が"El Condor Pasa"になっていて、実際は別の曲の場合もあるから、実際はその2/3と見積もっても800もあることになる。フォルクローレのグループだけでなく、その他の楽器や、歌もある、これほど幅広く演奏されている曲だとは思わなかった。(Amazonでも同じ程度ヒットする)

 ジャンルもLatino ポップ、ワールド、サウンドトラック、ヴォーカル、ビッグバンド、New Age,イージーリスニング、・・なんでもありだ。    

 楽器も ケーナや笛類だけではなく、金管楽器、サキソホーン、ヴァイオリン、 ジャズボーカル、朝丘雪路の歌まで見つけた。        

 それぞれ試聴出来るから少しずつ聴いてみるのも楽しい。MP3のダウンロードシステムならではの楽しみだろう。CD購入時代には考えられなかったことだ。  一曲が150〜200円程度だから、コレクションすることも出来る。本来はそれぞれのアルバムに加えられた一曲にすぎなかった曲でもこのように集めてみるとそれなりの意味を持ってくる。
iTuneストアでもAmazonでもそれぞれプリペイドカードがあるので、ダウンロードも安心して出来る。

少し気になった曲を挙げてみると、
フォルクローレ系では、どのグループも色々工夫して楽しませてくれる。ケーナに絞って考えると、オラルテ、テブノー、だろうか?テブノーは、テクニシャンぶりを発揮し、オラルテは、ケーナをたっぷり歌わせている。
そして森山良子が丁寧に歌いこんでいる。バックも出しゃばることなく決まっている。ケーナも歌える楽器だが、人間の声には かなわないと感じてしまう。
   
さらに極め付きはプラシド・ドミンゴだろう。オーケストラをバックに豪快に歌う、オーケストラにサンポーニャを絡ませるオマケ付き(あるいはパンフルート)
フォルクローレとして通常演奏される雰囲気とはずいぶんかけ離れている。
 しかし   作者ロブレスが最初に作曲したのは、「コンドル・カンキ」という民族独立のために戦った英雄の音楽劇の序曲の一部だったそうだから、ロブレスの脳裏に壮大なオーケストラの響きも浮かんでいたかも知れない。

これだけ多岐に渡って演奏される曲はそんなにあるわけではないだろう。  
かの名曲 J.S.Bachの管弦楽組曲第3番のAir(通称G線上のアリア)に匹敵するのではないだろうか。

ぜひEl Condor Pasaの森をさまよって見ることをお勧めする。


6/03/2012

多摩川でケーナの練習




仕事の帰り、多摩川の河原でケーナの練習を始めた。リコーダーは屋外での演奏には向かないが、ケーナは問題ない。
この場所は大きな岩があり、腰かけて練習するのに都合がよい。しかし最近は釣り人が多く、遠慮してしまう。先日などは岩の上に寝ている人物までいたので、せっかく河原まで行ったのに、練習を断念してしまった事もある。

昨日は夕方に雷を伴った豪雨があり、その後晴れたのだ、釣り人達は逃げ帰っただろうと考え、河原に行ってみると、果たせるかな誰もいない。
お気に入りの岩に腰かけて、コンドルの後半やペルーの太陽、アナ・アニタ、アイルランド民謡のサリーガーデンなど思いつくまま40分ほど吹きまくった。週3回ほどこんな練習が出来ればもっと上手くなれると思うが、それが難しい。

写真はその時使用したマルセロ・ペーニャ G管 バンブー製で音程調整の為指孔を修正してある。木製の楽器に比べてバンブー製は音程に少し難があり、音もかすれたような感じだが、音の立ち上がりが良く、フォルクローレには向いているかもしれない。しばらくはこの楽器を使用することになりそうだ。

6/02/2012

ストリートミュージシャン





中国珠海で見かけたミュージシャン
休日に中国珠海の繁華街に出かけた時のこと。かん高いショームのような音が聞こえる、近寄ってみると、 3人の楽師達が演奏していた。


楽器は左から京胡(ジンフ)、哨吶(スオナ)、笙(シェン)である。遠くからは、スオナの音だけしか聞こえなかったが、この距離まで近づくと京胡や笙の音も聞こえる。京胡は二胡よりも胴体が小さいので音も鋭い。スオナはショームに分類されるダブルリードの楽器、笙も思ったよりも低い音がオルガンのように鳴っていた。

バケツにお金をいれて行く人もいて、かなりの量が入っているように見えた。
珠海はマカオに隣接する中国側の地区で亜熱帯に属する地域、背後にはヤシなどの植物が見える。

7月で日差しは強烈、気温もすでに30度を超え湿度もかなりある。  演奏技術はそれほど高いとは思わなかったが、慣れた感じで延々と演奏は続いていた。  

5/13/2012

コンドルは飛んでゆく"El Condor Pasa"


 今からウン十年前、私の職場には常にFM放送が流れていた。
当時の私はポピュラー音楽にあまり興味が無かったので、あまり覚えていないのだが、ある時期同じ曲が一日に、10回以上も流れた。サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」 だ。
まとわりつくような独特の雰囲気で、あまりに頻繁に放送されるので、作業をしている女性にそのことを言うと、にっこりと微笑んで「私この曲大好きなの」と言ったのだ。使用している音階が日本人が固有の音階に極めて近いため親しみを感じたと思われる。しかし私にとってその曲はそれ以前にも聴いた記憶がある。確か労音主催の音楽会だったような気がする。そこでケーナで演奏されたのだ。その当時は後年こんな文章を書くことになるとは夢にも思わなかった。

駅前などで南米系の人達がケーナ等を演奏している。なかなかの演奏だと思うが、通行人は止まらず通り過ぎてしまう。ところがコンドルは飛んでゆく"El Condor Pasa"を演奏すると、立ち止まる人が現れ、結構な数の人達が演奏を聴き、終わると拍手がでたりする。日本に限らず世界的にヒットしたのだからこの曲には特別なエネルギーが備わっているのだろう。最近ふと気がついて愛用しているiPodの中の曲を曲名で並べ替えて見たら、"El Condor Pasa"がなんと10曲も入っていたのだ。
この曲の出生についてはwikipedia にくわしくまとめられている。

南米で伝統的な民謡から世界に向けたフォルクローレが創造されているころスイス国籍のレイモン・テブノーがケーナの音に魅せられ南米ペルーで活動することになる。
彼の著作「ケーナとフォルクローレのラテンアメリカ曲集」はこのブログでも紹介したことがあるが、その中にコンドルは飛んでゆく"El condor Pasa"に関する項目があるので紹介したい。
QUENA  Y  FOLKLORE  LATINOAMERICANO   POR:RAYMOND THEVENOT
LIMA-PERU,  1979

・・・・・・・・以下彼の著作からの翻訳・・・・・・・
数多く議論されてきたメロディ"EL CONDOR PASA"「コンドルは飛んでいく」に関すること

信じられない混乱がアンデスのフォルクローレに存在する。それはほとんどダメな民俗学者たちの高慢さとうぬぼれに原因がある。それらの大部分は民謡であると主張し(もちろん間違いだが)そして本当の作者がだれで有るか知らないのだ。一つのメロディーには2人の異なる作曲者がある場合がある。
幾つかの演奏グループは本来演奏スタイルが定まっている地域からテーマだけをもらって、別の地域のスタイルでそれを解釈してしまう(ペルーに多い)。
同じ曲なのに3っの異なる題名で3っのレコードに記録されている(それぞれの国の要求により)

これは世界に知られたアンデスの曲"EL CONDOR PASA"のケースです、公式に登録されたペルーの作者 Daniel Alomias Roblesが存在するにも関わらず。
 a) アルゼンチンと同様にボリビアでもそのメロディーの起源を主張している。
 b) それはアルゼンチン「民謡」の様なタイトルのレコードで散見されます。
 c) ロス・インカスのディレクターJ.ミルチベルグはエル・インカの名前で"El Condor Pasa"を出している。(彼はただ編曲しただけなのに)あるアルゼンチンのケーナ奏者やヨーロッパで作られたグループではエル・インカを作者として "El Condor Pasa"をレコーディングしている。
 d) アメリカのデュオ「サイモンとガーファンクル」は英語バージョンのバックコーラスとしてミルチベルグのアレンジを使用し、それは世界に大ヒットした。
 e) ある解説者は "El Condor Pasa" を「インカのFox」 あるいはアンデス民謡としてみなしている。
 f) ペルーの民族学者でさえ創作を否定している。いわく、ロブレスはアンデスのいろいろなメロディ ーを組み合わせただけだ。
 g) 通常ペルー人は、はっきりした演奏スタイルが決まっているわけではないのに、クスコ・スタイル で解釈してしまう。

<<真実は>>
オリジナルのスコアは"Daniel Alomias Robles"が所有している。と言うことです。(ペルーのワヌコ出身、1871~1943)
"El Condor Pasa"の著作権は、1933年米国で公式に登録されました。

 オリジナルはピアノ向けで、symphonic poem(交響詩?)のようにアレンジされている
 1)  最初の部分はイントロで1ページ、コンドルの飛翔を思わせる装飾とアルペジオ
 2) そのあとメインテーマがゆっくりのパサカージェ(Pasacalle)で始まります(ロブレス自身が 呼んだ、”インカのFox”とは違う)
 3) そしてそのあとワイノ(Huayno) 「より早く」

この曲がピアノで演奏されるのを聴くとフォルクローレ的ではなく、クラッシックの「アンデスファンタジー」のように感じる。

ペルーのグループがこの曲を解釈した時もっとフォルクローレ的に変える為、色と雰囲気を以下の方法で変更した。
 1) イントロのピアノ装飾の部分を省くこと。
 2) 直接メインテーマでスタートする。それは2度繰り返される
   a) 最初はゆっくりのヤラビ(Yaravi)
   b) 次は同じテーマだが早いパサカージェ(quick pasacalle)
 3)  最後はワイノ(Huayno) 何回か反復される。

私たちは、この新しいバージョンがより民間伝承的でロブレスによって書かれたものよりよく思えることを認めなければなりません。それはさらに最近ペルーで最も一般化されたバージョンです。
 ボリビアとアルゼンチンの奏者は中央部分を省いて "El Condor Pasa"を演奏します。(繰り返されるペルーのパサカージェ部分を省く)
 「サイモンとガーファンクル」に関しては比較する意味が無いでしょう。彼らは最後のワイノ(Huayno)まで省いてしまった。
最後に残る疑問は、中央のメロディー(Yaravi)そして最後のHuaynoがロブレス自身によって作曲されたのか、あるいは彼が聞いた幾つかの民謡に霊感を得て作ったのかと言うことです。

  それはロブレスだけが答える事が出来ることです。
・・・・・・・・以上彼の著作からの翻訳終わり・・・・・・・

私のiPod の中にこの曲が10曲入っているが、それぞれに工夫があり楽しめる。もちろんテブノーの技巧的な演奏やオラルテのじっくり聴かせる演奏など・・・
iTunesストアやAmazonを探すとまだかなりの数を見つける事が出来る、南米のフォルクローレを演奏するグループは必ずと言ってよいほどアルバムにこの曲を加えているのだから。

4/28/2012

Tさん編曲の楽譜




HRCのプログラムには、青い山脈、美空ひばりメドレー、鈴懸の径、・・・・の様な曲が混じっているが、これは全部Tさんの編曲なのだ。
本来ならTさんの経歴を紹介したいのだが、ご本人の希望によって差し止められているので、残念ながら書くことが出来ない。 
        
一般の人たちの前で演奏する場合、ルネサンスやバロックの曲だけでは、なかなか親しみを持ってもらうことが難しい、しかし上記の様なポピュラーな曲を加える事によってぐっと親近感が増すと思う。    

 HRCの練習の終わり近くなると、こんな曲を作ってみました。とTさんが楽譜を配り、みんなでざっと合わせてみる。一回でOKとなる場合もあるが、不具合があれば、その場で楽譜を直したり場合によっては持ち帰って直してもらう。最初の頃はぎこちない部分もあったが、最近はコツをつかんだらしく、リコーダー合奏に適した編曲になってきたと思う。     
新しい編曲が次々と出来てくるので、ほぼ月一回のペースで「昼下がりのコンサート」や老人ホームでの演奏をこなす事ができるのだ。   

先日のフレンドシップコンサートの懇親会でも楽譜があれば演奏して見たい、との要望があり、Tさんも喜んで楽譜がを提供してくれる事になった。とりあえず楽譜が揃っている3曲を準備した。  どの曲もHRCで演奏済みの曲でありパートもHRC用に5声部になっているが、それぞれのグループに合わせて工夫して演奏して下さい。マラカスなどの打楽器なども加えると面白さが倍加すると思います。

著作権が残っている可能性がある楽譜を無制限に公開することは出来ないので、私宛にmailを下さればPDFで送ります。

リコーダー合奏用楽譜

<青い山脈> ( ソプラノ、アルト1、アルト2、テナー、バス  )
永遠の青春歌、歌詞カードがあれば若い人でも歌える。
 作詞:西條八十  作曲:服部良一

<山小舎の灯> ( ソプラノ、アルト1、アルト2、テナー、バス  )
昭和22年NHKのラジオ歌謡として発表された
作詞作曲:米山正夫

<一杯のコーヒーから> ( ソプラノ、アルト1、アルト2、テナー、バス  )
唱和14年コロムビアレコードより発売された歌
作詞:藤浦洸 作曲:服部良一

 曲目は順次追加して行く予定です。

4/08/2012

フレンドシップCD編集





フレンドシップコンサートのCDを編集し必用枚数を焼き増ししたので、現在発送手配中と思う。

 CDの編集作業を書いておきます。特別な事をしているわけではなく、目新しい事は何もない普通の作業です。録音については別に書いてみる予定です。

録音はRoland R-05で三つのファイルに分割して録音してある。 (wav 16bit/44.1kHz)         
それぞれのファイルのサイズはほぼ1GBある。あまり大きなサイズにすると後処理が大変だったりするのでこのくらいが適当なのだ。編集して余分な部分を削れば、ほぼCD1枚分のサイズとなるはずだ。  
これをMacに入れてPeakという編集ソフトで加工する。かなり古いMacでPeakのバージョンも古いのだが、(Power Mac G4,Mac OS X10.2.8,Peak4.1)  使い慣れたこのソフトが手放せない。
またR-05 からデーターをMacに取り込む場合USB経由で取り込む、MacにもUSB端子があるが、古いUSBなのだろう、スピードが遅くて時間がかかる、でも仕方ないか、以前のHDD録音の時はCDに焼いてデーターを取り出していたのだから。またPeak の場合、 AIFF,WAVE,等各種の形式でに対応している、今回はWAVE で処理を行う。 
   
写真は加工途中のPeak の画面である。水平方向が時間軸で縦方向が振幅を表している。  
表示波形はフレンドシップコンサートの三分割ファイルの一番最初、NHK文化センター町田教室からヴィア・モンテビアンコまで6グループ約21トラック分が表示されている。

編集作業
 1GBのファイルに20曲程度の曲数があるのでそれぞれの曲の出だしと終わりの部分にマーカー(白色の矢印)を入れる。
実際の作業としては、音を聞きながら、時間軸を拡大したり縮小したりしてマーカーの位置決め、打ち込んで行く。時間軸の拡大や縮小、マーカーの打ち込み、は全てキーボードのショートカットで行うことができるので便利だ。もちろんオーディオの再生、コピー、カット、ペースト、削除等も全てキーボードで操作できる。

編集作業中の音は、ヘッドホンで聞く事になるが直接PCにつなぐとノイズが乗ったりして決していい音ではなく、疲れてしまう、ぜひUSBオーディオインターフェイスを使用して欲しい、編集作業時だけでなく、YoutubeやiTune等、いい音で楽しく聞けますよ。最初からパソコンに付属しているデジタル→アナログ変換やヘッドホン出力用のアンプなどは付録で付いているような物で決していい音は望めない。

 写真では拍手等の不要な部分は削除してある。  下側がRチャンネル、上側がLチャンネルのステレオ録音。
マーカーの位置決めはこのままでは出来ないので、水平方向の時間軸をうんと拡大し、音を聞きながらマーカーの位置を決めて行く。解説、拍手、演奏等、波形にそれぞれ特徴があるので見当がつけやすい。この画面のでは27本のマーカーがついている。(下側の写真は出だし部分の時間軸を拡大した)


このマーカーに従い、入れ替え時間や拍手などの不要な部分を削除して行く。マーカーの位置は曲の始まりと終わりにぴったりの位置ではなく、数秒間の余裕を持たせて置く、前の部分5秒後ろ3秒程度そしてこの部分にフェードイン、フエードアウトをかける。場内には常に低いレベルの騒音が存在しているので、全くの無音状態から突然曲がスタートすると、違和感がある。マーカーの位置は後から変更出来る  

 また録音時にレベルオーバーしないよう、安全を見込んで6〜7割程度のレベルで録音設定されているので、ノーマライズ処理(注1)をして、最大値のレベルが95%程度になるようにする。このように処理を行うと、リコーダー3本による演奏と20本の合奏も同じような音量になってしまうが、これは今回のCDの性格上 からきている結果であって、全体を通して聴くアルバムの様な編集であれば曲のレベルは細かく調整される必要があるだろう。 内容によってはコンプレッサー処理も有効だが、今回は使用していない。 またイコライザーや超低音域のカットも今回のマスタリング作業では行っていない。

 本来なら次にマーカーに従ってリージョンを決め、Jam形式で書き出し、マスターCDを作るのだが、外付けCD-ROMドライブが使い込みすぎたせいか、動作が不安定になっており、エラーが頻発するようになったため、使用を諦め、Windows マシンにデーターを移して焼き付けを行った。この場合ファイルはAIFF ではなくWAVE である

この場合 、ファイルはトラックごとにあらかじめ切り分けておかなければならない。トラックが多いので、混乱しないように、番号を振ったわかりやすいファイルネームが必用だ。トラックをコピーして neroやRxio の様なCD製作用のソフトにデーターを入れる。
ここでJamであれば、再度各トラックを聞く事も出来るし曲間の時間も変更できるのだが、簡易書き込みソフトではそれが出来ないので先ほどの番号を付けたファイルネームが大切になるのだ。私もそれでも不注意でミスしてしまい、痛い目に会ってしまった。  

焼き上がればこれがマスターCDとなる。これをCDプレイヤーでチェックする。トラックをは正常に表示されるか、曲間の時間は適正か、などをチェックして問題なければこれを焼きましする。HDD上にイメージを作り、それにもとずいて焼く方式が早くて確実だ。それと言い遅れたが、PC内蔵のオプチカルドライブは使用せず。外付けのCD-ROMドライブを使用することが肝要だ。

盤面への印刷
マジックインクなどで適当に書いて置くと 、後で内容がわからなくなってしまうので、演奏会名や日付、演奏団体等しっかり印刷しておけば、後でもう一度聞きたくなった時簡単に見つけることができる出来るだろう。CDケースのジャケット等作れば良いのだが、手間を省くため、盤面に印刷しただけで、薄型透明ケースに収めた。  

(注1) ノーマライズ処理
指定された範囲の中で音量のピークを検出して、そのピークが歪む直前まで全体をかさ上げする。これを自動的に行ってくれる処理。  従って曲中の音の強弱の関係はそのままに、また最大音量時も歪む事なく全体の音量を上げることができる出来る。  

3/25/2012

Garklein アプリ





iPhone/iPod用のアプリを紹介します。
リコーダー愛好家には、まずこれがお勧めでしょう。
ガークライン(クライネソプラニーノ)のアプリです(無料)
<有料になったようです \85>

KUNG社のSTUDIOシリーズGarklein の写真を使用しているようです。
本格的な演奏と言うわけにはいきませんが、十分楽しめるのではないでしょうか。
最大5本の指しか同時に押さえられないのはちょっと残念です、運指表もあります。



また実際の楽器を使用した音のサンプルも聴くことができます。これが可愛らしく素晴らしい演奏なのです。


KUNG社のホームページでもこのアプリを紹介していました。

3/18/2012

Ego sum panis vivus


フレンドシップコンサートで演奏した曲 
Ego sum panis vivus (我は生けるパンなり)

パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina) によるモテトゥスに分類される4声の曲
この曲も結局練習時間が不足のまま演奏会を迎えてしまった。できれば今後も練習に組み入れてもう少し仕上げて見たい。パートを入れ替えて練習してみるのも効果があるかもしれない。

原曲は4声の声楽曲で

同一のテキストがパート別にずれながら次々に歌い出す。拍を数えているようではダメで、他のパートのきっかけや絡みを覚えて歌い出さなければならない。拍を数えていると聴いている方でもそれがわかってしまう。 

この部分のテキストは(ヨハネによる福音書6:48-50)は有名な場所らしく、パレストリーナ以外でも何人かの作曲がある。

 YouTube でも、Ego ・・・で検索すると 簡単に見つける事ができる、私の推薦はこれ。画面は4声の楽譜になっていて、曲が進行するにつれて自動的に譜面がめくられる。さらにすごいのは同じ曲がソプラノ優先、アルト優先、テナー優先、バス優先と優先パートが左チャンネルから強調されて聴こえるファイルがそれぞれ別にアップされている事だ。もちろん優先なしのバランスファイルもあるから、5種類のバージョンがアップされていることになる。受け持つパートが決まっている場合はファイルを選ぶ事によって自分のパートが強調された演奏を聴くことが出来るわけだ。下記は優先なしのバランスファイル

http://www.youtube.com/watch?v=ms2rkmsL4DY&list=FLxWlAd_uQOwZ25pE-L2q8YQ&index=5&feature=plpp_video

 ソプラノが
 Ego sum panis vivus (我は生けるパンなり) と歌い出し、他のパートが追いかける

最後は
non morietur,  non morietur.(死ぬことはない)
の繰り返しで終わる。

Ego sum panis vivus
Patres vestri manducaverunt manna in deserto
 --------------------------
non morietur,  non morietur.


ラテン語は解らないのだが、楽譜の最後に英語で聖書の該当箇所が記載されている

I am the bread of life. Your forefathers ate manna in the desert,but they died.
This is the bread which comes down from heaven he who eats of bread will not die.(John 6:48-50)

日本語聖書による同じ部分を引用する (ヨハネによる福音書6:48-50)
「私は命のパンである。あなた方の先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。
しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。」

 <キリスト教徒でもない私が無謀にも解説をしてみる>

マナとはモーセが民を率いて荒野をさまよった時、神が与えてくれた食料である。 神から与えられたとはいえ非常用の食料 。しかし今度のパンは永遠の命を保証されるパンなのである。つまりはモーセは予言者の一人ではあったが、今回のイエスはもっと格が 上で、「神直属」であることをこの箇所で表明している文章。

それにしても英文の率直な表現は本当にこれで良いのかと驚いてしまう。「ジョン 6:48-50」とあり、中学の英語で習ったような構文と単語が並んでいる。